以前、ホツマツタエと日高見国ついて、
図をはっていたのですが、他の地域の図をみたいとの
ご質問がありましたので、全国の図をはっておきます。

「ホツマツタエ」で言われている国名となりますが、
出典はわかりません。。。参考程度に。

※以前、ホツマ~の先生から頂いた資料です。

『古代主要地名・神社地図』
※古代の境界線は、はっきりしないので、
現在の都道府県の境界を重ね合わせて古代国名としています。

 



【日隈国(ひすみのくに)】

・善知鳥神社
・大本宮 岩木山神社

【日高見国】

・大日霊貴神社
・駒形神社
・志波姫神社
・志波彦神社
・塩釜神社
・多賀国府(ヤマテ宮:安国宮)方ツボ
・大物忌神社


■ホツマツタエでのシワヒコ命------

ちょっと余談。

オシホミミ=シワヒコと仮定すると、
オシホミミは、多賀宮(現:多賀城)に住んで
タクハタチチ姫と結婚し、婚姻を多賀宮で結んでいるホツマツタエでの話し。

オシホミミが病気で亡くなった後、
オモイカネとシタテル姫が守るようになり、
後に「ケタ壷」という現在の陸奥総社宮 にあたる所へ遷都したと。

塩釜神社にフツヌシとタケミカヅチを祀っているのは、
フツヌシとタケミカツチを 左右のトミ(大臣)として、 
政(まつりごと)をするよう書かれているからです。

 

※タケミカヅチを祀る(塩釜神社)

神武天皇の斎名が「タケヒト」といい、
筑紫にいるタケヒトに対し、塩土爺さんが、
ニギハヤヒとナガスネヒコを倒すよう命じていたのでは?という
解釈がされています。

 

※志波彦神社

たぶん、塩釜神社ではかなり古い時代から、
塩の交易をしていた古代の住民がいて、
その子孫は、ナガスネヒコと二ギハヤヒになるのでしょう。

確かに、塩土爺さんの話しは、各島々に伝わっていますね。

二ギハヤヒの母は、タクハタチチ姫
父がオシホミミとなるから、
オシホミミがシワヒコさんと同一かもしれないことは、あるのかも~?

多賀宮にいたというならば。

それで塩土爺さんが、タケヒトにもっといい場所があるよ~
と教えてもらったところが、現在の塩釜になり、
タケヒトは、タケミカヅチとフツヌシを
連れて塩釜に上陸したという事なんでしょうか。

ミミという南国の海洋民族が、北へ開拓してきた歴史っぽい。

ミミが、好きなんだよね~。

ミミ ↑
--------------------------


【越国】

・弥彦神社

【秀真国(ほつまくに)】

・筑波山神社(イサ川宮)
・鹿島神宮
・息栖神社
・香取神宮
・富士山(ハラミ山)富士山本宮浅間神社
・大山阿夫利神社
・大山(安国宮)
・箱根神社
・三島大社
・酒折宮(ハラミの宮)

【信濃】

・戸隠神社
・諏訪神社
・阿智神社
・恵那神社

【ネの国】

・白山比咩神社

【コヱ国(扶桑)】

・熱田神宮

-------------------------

 


【紀志伊国(きしいのくに)】と周辺国

とても多い・・・・(神社名のみ)

・気比神宮
・多賀大社(アワ宮・沖ツボ)
・伊勢神宮
・伊雑宮
・春日大社
・大神神社
・橿原神宮
・熊野大社
・国懸神宮
・日前神宮
・玉津島神社

・イザナギ神宮(幽宮)淡路島

・貴船神社
・上下賀茂神社 
・住吉大社
・広田神社
・西宮神社

・籠神社(真名井)
・元伊勢内宮・外宮

【細矛千足国(くわしほこちたる)】

・出雲大社
・佐太神社
・八重垣神社

※クハシは精の意で精矛即ち精錬なる武器が充実してゐる国を意味する。
矛は武器の代表的な言葉である。
「上古に於ける我が日本国の美称」

【中国(なかくに)】

・厳島神社
・大山祇神社

【アサ国(阿波国)】

なし!

(四国な~い)

------------------------------



【月隈国(つきすみのくに)】(筑紫)

へ~、こっちは月なんだ!

だから「つくし」と言うのね?
青森県は、日隈で、日だよね!

九州と東北の繋がりは、「日月」だった~。
おもしろ。

・宗像大社
・志賀海神社
・住吉神社

※オトタチバナのアワキ宮(筑紫宮)

・宮崎神宮
・鵜戸神宮

・霧島神宮
・鹿児島神宮

■日高見国と秦伊呂具---------------

またまた余談ですが、「機織」と変換する時、
間違って打ってしまうことがたまにあり、
秦伊呂具」と変換されてしまうことが度々ありました。

 

はたおり

と、

はたいろぐ・・・似てない?

以前、秦伊呂具と検索したことがあったからだと思うけど、
そんなことがあって、改めてこの人の名を調べたら、

伏見稲荷大社創建の物語というのがありました。

 



伊侶具(いろぐ)の秦公(はたのきみ)、
稲梁(いね)を積みて富裕(とみ)を有(たも)ちき。

すなはち、餅を的と為ししかば、白鳥と化成(な)りて、
飛び翔(かけ)りて山の峰に居り、稲(いね)なり生(お)ひき。

遂に社の名と為しき。
その苗裔(はっこ)に至り、先の過(あやまち)を悔いて、
社の木を抜(ねこじ)にして家に植ゑて禱(の)み祭りき。


今その木を殖ゑて蘇(い)きば福(さきはひ)を得、
その木を殖ゑて枯れば福あらじとす。』

 



餅が白鳥に姿を変えて飛んで行った伝説は、伊呂具からでした。

この伝説の解釈は、wikipediaより、
山背秦氏の経済力が古代社会においてなみなみならぬものであった」

やっぱ経済・政治力は、蘇我氏。
山背→山背大兄王=聖徳太子の子=蘇我一族。

「柳田国男はこのような神事が各地にあったことがこの伝承の背景にあり、
後世にはその意味が忘れられて不遜かつ不敬なふるまいとして
伝承されるようになった、と推測している」


「この儀式の原型狩猟と関わるものであり、
本来は狩りの儀礼であり、宍の肉を的にしていたものが、
秦氏の入植以降、餅という農耕的な儀礼に変容を遂げたものであり、
秦大津父が深草から伊勢へ向かう山道で猟師の手から2匹の狼を守った、
という伝承と関わりがあるのではないか、と水谷千秋は述べている。」

 

狩猟と農耕の転換には、大蛇(龍)と牛伝説で表されることが多いです。


狼のケンカ話しを仲介したのは、秦氏にいました。

狼の育てられた子も、奥州藤原氏(藤原秀衡)でした。

 



これらの背景は、第一次新羅討伐が600年頃にあり、
古代大和王朝は、新羅によって崩壊されている。
このため、3度、新羅へ進行し、新羅は降伏する。

 



新羅の征夷大将軍は、蘇我氏の一族である境部摩理勢(境部臣)。
副将軍が穂積氏だったという。
古代ヤマタイ国を征伐してきたのは、
蘇我氏や秦氏一族で、穂積氏も含まれる。


大和王朝とは、はっきりわかりませんけど。

海軍力(熊野水軍)を強め、後の大和王朝打倒のために、
大陸と交易を強めて軍事力に力を注ぐことに。

 


そのため、東北の太平洋側には熊野神社を多く祀り、
そのリーダーというか大きな存在に穂積氏がいる。

室根山伝承が残る由縁です。

 


室根山伝承にあるように、東北にもってきた祓戸神は、
瀬織津姫ですね。


わざわざ、紀州の滝神を東北にもってきたのは、なんだろ~。
蝦夷を以て蝦夷で制す。
妄想でしか語れないね~。

 



新羅は平家となり、百済(大和政権)は源氏となって、
今も、追い続けている先祖がいるのを、
遠くから昔の映像をみているように、行脚しています。

 

 

世界は変わろうとしてるけど、ここ、高舘山の森は、昨年と変わらず。

 

 

 

成長しすぎたタケノコの周りを、

大きな蜂が飛んでるのよ。

 

 

シダもあい変わらず里山を君臨してるよね。

 

 

 

蛇のように、のたうち回っている枝は、崩れないのよ。

頑固な根。

 

面白い世界だよ~。

 

 

 

新幹線の高架橋と田んぼ。

 

うっそうとしてた観音様が、明るくなってました。

 

 

奥州札所観音霊場 一番。

閖り上がった観音さま。

 

ということで、ホツマツタエも、なかなか面白い。