やっと新羅人の記念碑をみることができました。
大きな池がありそのまま道なりに進み左折。
しばらく行くと、左側にあります。
※人工湖?
行ってみたらわかりやすい所にありました。
ちょっと登った所にあります。
草ぼーぼーでなくて良かった。
ちょっと暗い所ですが、寂しそうにありました。
石碑に何か文字が彫ってあったようですが、
何が書かれているのかは分かりません。
隣の小さな石碑の方は、梵字の『あ』でした。
梵字の阿・・・大日如来
ここに鉄屑など遺跡が発見されています。
■新羅の卵伝承-----------------
埼玉には、新羅系の地名が多い。
歴史でいえば、
朝鮮と日本の関係は、古来からずっと摩擦を繰り返してきた。
勝者側は歴史として系譜を語りついでいきますが、
伝承や昔話などは、逃れてきた人が、その土地に自分たちの
証を残すために、伝え歩いてきた人(歩き巫女や比丘尼)が、
地方には多いからです。
新羅の郷に伝わる新羅三郎義光は、なぜ新羅と名乗ったのか?
詳細わかりませんが、「白い馬」を象徴しているかもしれない。
オシラサマは馬でした。
意外にも、東北は、甲斐国からきている人が多いのだ。
南部藩もそうだ。
先祖の実家の村もそうだ。
甲斐からきた一族の末裔がここに来ているとなれば、
甲斐や信濃国に関係します。
新羅建国の物語に巨大な白馬が登場します。
「人々が集まって王を求めて祈っていたとき、
稲妻の電光から白馬が現れ、輝く卵に跪(ひざまづく)いた。
(紫色の卵とも)
白馬が天に飛び去った後に卵から生まれた少年こそ
赫居世居西干(かくきょせいかん)で、
のちに彼は6つの村を纏め上げ、新羅を建国したとされる。」
朝鮮神話の新羅の他、伽耶国や高句麗、
アフリカなどでも、「卵から生まれた」始祖伝承があり、
卵から生まれた人が王になりました。
「白馬がひざまづいているのでみにいくと、『紫色』の卵があった。
馬は人の姿を見ると嘶いて天に昇り、
卵を割ってみると美しい容姿の男の子がいたという。
村長たちは男の子を沐浴させると、体の中から『光』が出てきた。
鳥や獣は『舞い踊り』、地は『震』え、
『日月の光』は清らかであったという。」
日月の光→「明」
光は、「日と月が合体して」初めて光るという意味かな。
やっぱり、踊って震えるんですね。
「えんぶり」は、新羅の始祖伝承から来ているかもしれませんね。
この卵が「匏(ひさご)」に似ていたので、瓢箪(ひょうたん)とされます。
産まれた卵が瓢箪のように大きいので、
辰韓の語で匏を意味する「バク」 を姓したといい、
腰に匏をぶらさげて海を渡ってきたことから、
匏公(ホゴン)を称された倭人と同族する説があります。
また、ひさご=ひょうたん=妙見信仰のシンボルとも言われます。
(広島県に伝承あり)
信濃にも通じる話しで、飛騨一宮水無神社の神紋
は、瓢箪です。(水瓢箪・・・6つの水の形にしている)
水を汲む器の初めに用いしたもの。
火を鎮める意味です。
あ~、
これでコロナウイルスの熱(火)を止めてくれるといいね。
ちなみに、ひょうたん星雲。
ひょうたんを持っているおじいちゃんと言えば、
七福神の寿老人(じゅろうじん)は道教の神仙ですね。
※仙台七福神の寿老人
壽老尊(仙台市青葉区通町1丁目3-16)
酒を好み頭の長い長寿の神とされる。
寿老人は不死の霊薬を含んでいる「瓢箪」を運び、
長寿と自然との調和のシンボルである牡鹿を従えている。
頭の長い人は、エジプトにもいるよ~。
お酒が好きなのは秦氏だよ~。
で、その新羅の王が、「赫居世居西干」とありますが、
Wikipediaでは、
「赫」は辰韓の語で瓠の意味とする説、
「赫居」と日本語のヒコ(日子)やホコ(矛)との関係をみる説等がある。
「赫居世」は世の中を照らす意味。
しかも王の名には「赤」が二つなのです。
赤と白なのです。
源氏と平家が、赤と白と区別されています。
(源氏=赤、平家=白)
岐阜県ではリゲルが白の平家星と言われてました。(赤色説もあり)
リゲルの和名が源氏星で、肉眼で星の色がみえていた事を伝えてます。
弁慶がつぶした瓜が、匏になったのは、
胡瓜(きゅうり)でスサノオの牛頭天王に繋がる。
ということで、朝鮮に伝わる新羅は、卵と白馬を象徴とし、
光輝く卵型の瓢箪から生まれた人となり、
世界を統一した光の神話になっています。
それを信仰する人たちが、後の平家となります。
■白馬と竜退治------------------------
といった事を考えると、埼玉県の入間と入間田は同じかもしれません。
入間には射日神話があるので、オロチョンです。
オロチ=スサノオ=新羅神社には、スサノオも祀られています。
しかも、毘沙門天は中国では左手に「銀のねずみ」をもつと。
今年は、子の年でした。
色でいえば、銀は、白です。
金は、黄色。
※多聞天像(熊本県玉名市の蓮華院誕生寺)
ちなみに、「ねずみ」で繋げれば、
夢に出てきた兜跋毘沙門天は、
「金の鼠(ねずみ)が現れ、敵兵の弓を食いちぎった。」という伝承。
その発祥は、狼と鳥のトーテムをもつ「チベット」とよばれた「吐蕃」
クシャン朝統治下のガンダーラで生まれた毘沙門天は、
中央アジアのタリム盆地や天山山脈あたりで誕生。
だから、やっぱり秦氏→弓月氏なんですね。
結局、新羅妄想をすると、ここに繋がります。
新羅の郷がある川崎町は、支倉常長の出身地なのです。
先祖は、伊藤家なのですが、支倉に住むことになり名を支倉にしたのです。
長谷観音の。
古くは長谷か馳倉。
それに、出羽三山開山の蜂子皇子は、崇俊天皇の皇子とされますが、
崇俊天皇が「泊瀬部皇子」の「ハセ」だったわけで。
蘇我氏と物部氏。
これがまだ続いてしまう・・・。
石碑の前の光景。
何もない感じですが、今では長閑な風景が広がっています。
いつまでも変わらない里であってほしいです。
新羅がグイグイくるので、次にします。
卵の始祖伝承は、ある所が発祥でした。
場所の説明は、難しい。。。