明け方、地震で起こされました。

「緊急地震速報」がスマホからキンキンになって、驚く。

その2,3秒後、揺れが。

すごいね。

速報は地震が起こる前に知らせてくれるから。

そこに感心して、寝る。

 

さて、7年前のこと。


角田の昔はなしに「雲から落ちた雷神様」の話に興味をもち、
その舞台がどこなのか探訪したことがありました。

 

舞台となった「八竜山」やそのお寺を地元の観光課に聞いたけど、
さすがに知らないと。

もう一度、昔話を。
(世界の雷神さんの図と共に)

 

「昔、とても蒸し暑く雷鳴とどろいて近くに雷が落ちた。
その後カラリと晴れあがった涼しい夕方、見慣れぬ僧がこのお寺にやってきて、
しばらく世話になると頼み、寺に住むことになった。

 

※アステカの雷神石碑(トラロック)

 

置いてみると、朝から晩まで夜は寝ずに寺の内外の掃除、
読経や修行と只者ではない様子。


また、水が枯れるほどの日照りが続いていた時、
僧は一晩のうちに深い井戸を掘り、水飢饉を救ってくれた

 

※ギリシャのゼウス(気象を支配する)

 

不思議に思った住職は、僧をこっそり観察することにした。
ある晩、住職が僧の部屋をのぞいてみると、ぴょんと神棚の上にはね上がり
腕組みをしている僧侶の体から、金色の光がさしているのをみた

 

※ギリシャのキュクロープス(雷の精霊)単眼の巨人

 

驚いた住職に僧侶が気付いたので、住職はおそるおそる名前をたずねた。
すると僧侶は、

 

「私は実は雷神であり、去年の夏、誤って雲の上から落ちてしまった。
八竜山の頂上で薪を焚いて煙をあげてほしい。
その煙に乗って天に昇りたい。」

と懇願する。

 

※スラブ神話のペルーン(雷神)

 

住職は村人を集め、言われた通りに煙を焚くと、
僧は再び雷神の姿になり天に昇ったという。

 

※北欧神話のトール(雷神・農耕神):アーサー・ラッカム

 

雷神は、「もし日照りが続いたらこの山の上からワシを呼べ。
必ず降らせる。

それから世話になった御礼に竜神の彫物を残して行く故祀るがよい」と言った。

 

それから龍神を寺に祀り、日照りの年には、
八竜山に登って雨乞いをするのだという。

(丸森線の里:あづま書房より)

 

※日本:天満大自在天神(道真天拝山祈祷の図(小林永濯・画、明治時代)

 

昔話の中で「誤って落ちてしまった」話がよいのですね。
オタキアゲしてもらってお空に帰りたい。
という龍がなかなかよくて、僧侶になって地上で働くところも人間的。

 

そういえば、大荒れだったのは、土曜日でした。

台風のような風がビュービューでした。

雷神さんは、散々、雨乞いをして空に帰ったようです。

(そーいう事にしておこう)

 

昔話は、雨乞いの雷神を擬人化しているわけですが、
このあたりには八龍神社(丸森)や八竜城や八雲神社など「八」が多い。
丸森町では逃れてきた安倍一族が住んでいたので安倍姓が多いと聞きます。

 

世界の雷神の多くは男神です。
「地震・雷・火事・おやじ」という言葉がありますが、
雷神は火神であり、同音の火事が鍛冶にも結びつけられています。

台所も火を使うので、鍛冶の家事にもなっています。

 

雷神は農耕を司るものであり、アメリカのハリケーンがあるように、
嵐や雷による雨のおかげで豊かな食物(特にトウモロコシ)が
生育することで、古来から崇められています。(日本では稲)

 

おやじは、父系社会の父親の象徴としていますが、
他に、病原菌も熱です。


今のコロナウイルスも熱なので、古来も疫病を
火神としている国もあります。(疫神のこと)

 

火を女神にしているのは、ハワイのアペです。
アペも稲妻と農耕を司る神です。

 

■雷神の碑------------------------

 

それで、7年前は、相善山(角田)に行っていたのです。


子眉嶺神社を祀り、福島県相馬郡新地町にある神社から勧請

子眉嶺神社(こびにねじんじゃ)は、豊受大神宮を祀るのですが、
伊具郡誌には、宇加之御魂命(うかのみたま)を祀るとある。

 

馬の子を生んだ話があり、
馬を祀る神様ですが、「オシラサマ」に関係しています。

 

 

角田の相善山は、森の中に巨石がたくさんある不思議なところでした。
ここに立派な雷神の石碑があるのです。

 

 

ちなみに、伊具郡の伊具は、夷語(蝦夷は日本語を使わなかったので蝦夷の言葉)で、
イクといい(アイヌ語との関係は不明)「川向へ」という意味らしい。

 

■角田の深山----------------------------

 

岩沼の深山と通じる話なのですが、
マップでみると、右上が城ですが、向かいに人工湖(内池)があり、
そのすぐ向かいには、「高魂神社(たかたまじんじゃ)」があります。

 

 

A:高魂神社 B:熱日髙彦神社 C:香取神社

 

信夫佐藤氏が関係している神々らしいのですが、詳しいところまではわかりません。


奥州藤原氏は、藤原秀郷を祖としているので、
大蛇伝承が多いのも、滋賀県の琵琶湖絡みかもしれない。(秀郷伝承)

 

泉区の高玉町と同じだと思いますが、807年高魂神社は、尾山荒町に鎮座。
尾山は、麻山と書き養蚕に関係する土地です。


御祭神としては、高皇産霊尊(たかみむすび)とウガヤフキアエズ、
神日本磐余彦尊・玉依姫命を祀っています。

 

勧請当初は、孫神として「熱日髙彦神社」の御祭神であるニニギ命を
造化三神のタカミムスビと一緒に祀っていたそうです。

 

※高魂神社からみる深山

 

高い魂という意味が、玉依姫らしいのですが、
高魂神社は、深山に向いているのですね。

 

大阪に三島溝咋耳命(みしまみぞくいみみのみこと)がいて、
「ミミ」ですが、玉依姫と同一。
玉を操る巫女のこと。


たぶん、玉は、言霊のことだと思います。
「コトタマ」の「タマ」

 

大山祇神社が鎮座する愛媛県大三島に関係しています。
なので、深山の祭神を山津見神にしているのは、
元来、三輪のことをさしているのかもしれません。

 

三島溝咋耳命を祀った一族が、三輪氏の祖

意富多多泥古命(オオタタヒコ)なんだそうです。


関東平家は妙見の他、三輪信仰が盛んだったと思います。
秩父妙見には諏訪神との繋がりが強いです。
(日本書紀では、娘はヒメタタライスズヒメ)

 

阿武隈川から上陸して三輪信仰をもたらした豪族がいたのかもしれないが、
タタラの五十鈴姫なので、タタラの女神を崇拝している。
ここで鈴が登場するから、言霊と鈴を使った巫女の舞みたいな?

ことをして鉄を打ってたんかな~。

 

大山津見神は、越智氏(思兼命の祖)なので、天の岩戸に関係します。

 

妄想でしかないですが、なんとなく、八竜城に関係していた一族は、
物部氏と深い繋がりがあるような気がします。

 

そんなことが7年前にありまして、深山のすぐ麓にある八竜城に行ってみようと
思ったわけです。
それは「八竜山」というのが、八竜城と関係しているかもしれず。

何もなかったけど・・・。

 

さて、伊具十郎といえば、何度か名前をみています。

 

■熱日高彦神社------------------


奥さまは、阿部頼時の娘、中加一乃末陪(なかのいちのまえ)と言われます。

姉は、有加一乃末陪で、激動の奥州藤原氏を影でサポートしていた女性です。

とても気になる姉妹です。


姉の方は、藤原経清の妻で、初代奥州藤原氏:藤原清衡の母でもあります。

熱日髙彦神社の境内にも、子眉嶺神社があるんですね。

 


相善山と同じです。

やはり、馬信仰です。

 


そこに、「伝伊具十郎墓石」があるのです。

どれがそうなんだか、わからないが・・・。


同じく、「サンヤサマ碑」というのもあり、二十三夜講がある。
月待講なので、女性がひろめた講=オシラサマ=安部氏の妻たち。

 

 

これらの信仰を広めた安部氏の妻たちは、
婦人病をなおしたり敗者の妻たちを保護してきたと想像します。

 

渡来してきた豪族が海民の信仰を山に遷したとも考えられ、
霊を山に返す意味は、馬が神と近い存在である「乗り物」と考えられたそうです。

 

どこにでも神馬はいます。

白馬ね。

 

 

https://伊勢神宮-御朱印.jinja-tera-gosyuin-meguri.com/
※伊勢神宮・御朱印のサイト

 

熱日高彦神社は、格式高い神社でしょう。
境内に、白山神社があるので、白山信仰かも。

(奥州藤原氏と関係すれば)

 

熱日高彦神社のご神体は、大森山(影蔵山)なのです。
「影」なんですね。→黄泉国にしている。

 

こんな風習が。

海で亡くなった人が大きな火の玉(宝来)になって駆けあがるとか、
昔は、産気づくとカラ馬を引いて山に登る風習があり、
馬がひひーんと立ち上がると魂が馬の背に乗ったと言われ、
馬を連れて麓へ降りると子供が生まれた
話などが伝わります。

 

まさに、オシラサマの世界なのです。

 

■丸森大内熊野神社---------------------

 

もうひとつ、丸森大内にある熊野神社
狼像がある神社です。

 

 

ここにも伊具十郎が登場。


創建由来について、

『熊野神社は、1046年安倍貞任が国守の命により、
紀伊の国の熊野大権現を勧請したものといい、宝物としてつたえられる
「なべ」も貞任が奉納したものという。

 

 

青葉の神楽は神代神楽といわれ、伊具十郎が諸病退散、
五穀豊穣を祈願し
熊野神社に奉納したことに始まるという』

 

歳神、蚕神、安産神、愛宕神。

・・・婦人の女神、養蚕、口寄せ、鉄の火。

 

ということなので、安部氏と戦ってきた伊具十郎とは、平永衡の別名ですが、
オシラサマと関わりがある鍛冶神として八竜城にある愛宕神社へ行った

ことを妄想するに、伊具十郎が物部のことだったりして。

 

安倍氏と共にいたような。

影の存在が、もう一人いる感じです。

そんなタタラな雷神を感じる探訪でした。

 

源氏は、安倍氏討伐のさい、八幡神などの祖神を祀りますが、
安倍氏は神々を祀ることは、まずありません。

その代り、女性たちの祈祷があります。

これは、母系社会だったことを示しているのです。


安倍氏はネイティブな人たちだったので、自然霊に近いモノを崇拝していたようです。

なので、形あるモノを残してきた人たちではないので、
彼らの痕跡を辿るのは難しいですが、知ることで喜びを感じています。

 

■おまけ------------------------------

 

 

角田の菜の花畑。(蔵王がみれなくて残念)

 

角田ロケット~。(中央の白いもの)