飯舘村のお隣、川俣町へ。
すかっと広い道に入ると、川俣町の公園があります。


ここには大きな小手姫の像があります。
今回は立ち寄らなかったのですが、大きいので遠くからでもよく見えます。

 

 

※小手姫の像

 

■川俣町絹織物の歴史----------------

 

 

川俣の養蚕・絹織物は、今からおよそ1400年前
崇俊天皇の妃であった小手姫が、蘇我馬子に故郷の大和を
追われた皇子
を探しもとめてこの川俣に辿りつき、
桑を植えて養蚕を行い、糸をつむぎ、機織の技術を伝えたと言われています。

 

 

この時から、絹は川俣の物産として各地に広がり、
楯絹の名声は、全国に波及しました。

透けるように軽い川俣シルク

 

 

髪の毛の6分の1といわれるほどあまりにも細いため、
機械では切れてしまうため、
職人さんの人の手で糸を機械に紡ぐ作業をしています。

 

NHKの「動画で見るニッポン」を参考にしてみてください。(3分30秒)
「川俣シルク」
https://www2.nhk.or.jp/archives/michi/cgi/detail.cgi?dasID=D0004990513_00000


■からりこ館へ----------------

 

川俣シルクの歴史が展示されてます。
私は絹は好きですが、お裁縫や家庭科は嫌い。笑

 


小学校の家庭科の授業は、憂鬱だったな~。

もう、乙女なことはできない。

 

 

 

 

 

NHKの「八重の桜」の衣装は、川俣シルクでした。

 

 

■情報「からりこ館」道の駅川俣シルクピアの隣です。
https://www.town.kawamata.lg.jp/site/kanko-event/silkpia-karariko.html

 

 

■小手姫の歴史--------------------------

 

まほろばブログを書き始めた頃から、もう何年もずっと小手姫を追ってました。
簡単に説明するのは難しいのですが、
知らない方も多いと思いますので、ちょっとまとめてみました。

 

 

が、いろいろ振り返ってみるとちょっと謎が。
新たな謎が生まれてしまったというか。

 

伝承では、小手姫は出羽三山を開山した蜂子皇子の母とされます。

小手姫は、息子の蜂子皇子を探して福島にやってきたと言われ、
最後は、池にあやまって落ちてしまい亡くなったそうです。

 

(女神山)

 

もしくは、崇俊天皇の暗殺事件から逃れてきたとの説もいろいろありますが、
伝説として残されているだけで、時代錯誤もあり、詳細は明らかではありません。

 

お墓は、女神山の山頂に置かれているそうです。

 

 

※小手姫のご神体といわれるイワクラ

 

女神山も巨石が多いので、
昔、雨乞いをやっていたようです。

 

女神山の伝説はたくさんあります。

大蛇伝説の役小角(蛇石)、
山頂付近で、熊野神や五行神に会ったとか、
前九年の役、八幡太郎義家が木幡山にたてこもり、
阿部貞任と戦った時、遥かに女神山を望んで、戦勝を祈願したなど。

 

 

※木幡山

 

 

山頂から千貫森。(左の三角山)=UFO目撃多いらしいよ。

このあたり砂鉄が多いのかも。

 

伊達政宗の伝承もあります。

「千貫森の麓に小手神社があり、伊達政宗が白河に来た時、
突然馬が暴れ落馬してしまった。

 

この異常さに、政宗は同地より望見できる
小手大明神の神威にふれたと思い、社を低地へ移動したという。

これを「白河の下馬落とし」として伝承されています。

 

 

 

 

※小手神社と出羽三山

 

■機織の小手姫とは------------------------

 

小手姫の像がある川俣中央公園の近くに、機織神社があり、

 

「仁徳天皇の頃、大和国高市郡川袴の里に、庄司秦峰という人あり。
天皇の命を蒙り、一子、
小手姫を伴いこの地に来り桑を植え蚕を飼い、
絹を織る業を教えたり。
朽人山より西北の諸村を総称して小手郷というは、小手姫より出たるものに」

 

 

昔は、川俣町、飯野町を含め「小手郷」とよんでいたそうです。

 

川俣の地名由来は、奈良県川俣町の里にちなんだ説と、
町に流れる広瀬川(小手川)と五十沢川の合流なので川股とよんだ説があります。

広瀬川を小手川とよんでたのか!

 

他に、小手姫古事によると、

常陸より来られ女神山中腹の堂平に住み、蚕を伝える。
47歳で亡くなる。
1014年、桑苗及蚕種類を上州に遣わし、蚕飼いを教えたり」

「全国蚕神考」の一部に、機織りの祭神は小手姫、赫夜姫、白瀧姫といずれも婦人である。

 

 

ちなみに、白瀧姫は、兵庫県のあこや姫と同じ伝承です。

小手姫の父は、「大伴糠手」といわれますが、「糠」という名前は、
なにかといろいろ気になります。

 

ちなみに、崇俊天皇は、泊瀬部天皇といい「はせ」の長谷なのです。


娘もおり、錦代皇女というのだから、錦なんてまさに錦の織物。

 

ですが、錦木塚の話になっているため、娘を錦と呼んでいることもあると考えられます。

 

■謎の落馬説--------------------

 

ちょっと落馬説が気になります。

落馬説は各地に多いのですが、
小手姫の場合も伊達政宗が落馬したことになっている。

 

名取の道祖神では、藤原実方が落馬している。

もうひとつ、秋田県の秋田物部文書が保管されている唐松神社でも
佐竹氏が神社の前を通ったら落馬した為、社を下に置いたという伝承がある。

 

この落馬説には、「都からやってきて何か罪を犯した巫女(皇女)」という関連がある。
都の巫女は、武将や豪族、貴族と関係づけられるのです。


理由は定かではないのですが、名取の道祖神の場合、
そこにいた巫女の死を地元の人が葬るための話しとして、
藤原実方をもってきたという説がある。

※道祖神は、都にいた「あこや姫」という話も。

 

都からきた格式の高い巫女が何かあって亡くなったと思われ、
その威厳を後世残すために、藤原家と関わりがあったことにした、と。

 

ということを考えると、小手姫も都から逃れたわけあり皇女なり巫女となる。
東北地方にはそのような伝承が非常に多いです。

 

二本松にも小手姫伝説みたいな話があり、「小手森の樵明神」と言います。
この小手森が、小手姫のある山のことを指しているか定かではありませんが、
小手森とは、香野姫(カノ)、草野姫(カヤノ)=焼畑の意味があるという。

 

なぜか、カノ姫が「あこや姫」の名になっている話しです。
藤原実方が陸奥へきた時に、妻は夫の実方をずっと待っていたという。
その妻は「香野姫」であると。

 

■二上山と似ている女神山--------------

 

なぜ、蜂子皇子の母とされたのでしょうか?

 

出羽三山や羽山信仰などによる巫女が、

伝える理由には、女性同士の鎮魂があります。

 

巫女(比丘尼)が地方巡礼でなくなっている地に伝説を残すわけです。

 

あの世へいって、巫女としての生業を成就させるために将軍や武士、天皇家と結びつけるのです。

 

川俣町の女神山と奈良県の二上山が雰囲気似ているのですね。

里の風景は、どこも似るものではありますが、
川俣町が葛城に似ていたのでしょう。

 

※女神山

 

※二上山(奈良と大阪にまたがる)

 

香芝市に何があるかといえば、二上山。
平野塚穴山古墳のそば。(寅の毘沙門天:信貴山とも近い)

 

古墳は、二上山に向いるとの事。
そして地名も「香」。

 

A:信貴山 B:平野塚穴山古墳 C:二上山

 

平野塚穴山古墳は、相当身分の高い貴人の墓だとわかったそうだ。

 

 

二上山は、悲劇の大津皇子が眠るとされますが、
ここ葛城には、中将姫が織り上げたという當麻曼荼羅(たいままんだら)を、
本尊として安置する當麻寺(たいまでら)がある所
です。

 

采女伝説がある福島ですから。

 

 

 

※蜂子皇子を祀る御堂(出羽三山神社境内)

 

 

 

 

 

近くの公園の椿と桜がね~。

仲良くしててね~。

 

 

空は青くてね~。

雲が花々に写りこむのね~。

 

経済は大変ですけど、

皆が動かない方が、環境は良くなります。

 

妄想はつきませんが。
ふくふく福島の探訪は、おしま~い。


しばらく私もストレスない程度に自粛しまーす。

あっちこっち動きすぎたから、遠出はしないことに(いつまでもつか・・・)

近場で面白いところみつけておきます。