帰りに福島県須賀川市にたちよりました。
桙衝村(ほこつきむら)は福島県岩瀬郡。

 

行ってみたかった神社がありました。

天栄村へ通過するので、久しぶりの天栄村でしたが、
やっぱり空気が違うのです。
天栄村に入るとテンションあがります~♪

 

と書いてますが、この頃は、のほほ~んな気分でしたが、
今は、毎日のコロナニュースで、志村けんさんが亡くなって(T T)
だんだんと気分が落ち込んできます。

 

持病のある方が肺炎になると、2、3日とあっという間だとよく言われ、
風邪だけはひかないように、と必ず医師には念をおされて言われるものです。

介護中、いつもそれは聞かされてました。
そのくらい、肺炎になってしまうと、早いのです。
(コロナで亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします)

 

山も例外ではなく・・・。
桃源郷の花見山も観光の入山禁止。(T T)
この状況なので、これからAIやVR技術が発達するのでしょうか…。

宮城県も感染者が増えてきました。

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とりあえず、書く。

 

この日は、春分の日でした。
福島県は小雨で、天気はどんより。
でも、空は明るいので、やみそう。
道の駅に立ちよったりして時間を調整。

 

天栄村の道の駅で、まんじゅうゲット。
酒まんじゅう~。

 


秩父では「酒まんじゅう」を「すまんじゅう」と呼び、
よく買って食べてました。

 

※「日の出屋」さんの酒まんじゅう 

https://guruttosan.exblog.jp/14905702/

 

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天栄村をすぎて、隣接する町が、岩瀬です。

しかし、マップ通りにいったら行き止まりの道になってしまい、
民家にきてしまった。
住宅街に挟まれた感じ。


確か大きな鳥居があって道路沿いにとめられたはず。

最短距離をグーグルマップは指定するので、
森を歩いていく入口まで行かされた。
いや、ここを指定するグーグルの方がすごい。


大体、こうやって入口がわからず、てこづることは多いです。

仕方なくここでは駐車できないので広い道に戻ろうとなった。


ら、またもや地元の人に助けてもらった!
ちょうど、隣の家から高齢の方が出てきた。

おー、ラッキー!


道を聞いたら一つ手前の細い道をまがって上にいくのでした。
これでは、迷うね~。
行ったらちゃんと広い駐車場がありました。
無事、到着~。

 

 

桙衝神社の名前の由来が詳細不明なのですが、
ほこつき→ぽこつき→つぽこ(倒語)→つつこ(都々古)。
というように、古い言葉では「ぽこつき」とパ行でよんでいたのでは?
という話しを聞いたことがあります。

 

広い参道があったもよう。

 

郡山では、都々古別神社が3社(白河も含め4社)あり、
石川町も巨石信仰の神社となっており、
巨石に斎場があったところは、ツポコという音なのか何なのか、
そんな名前の由来が一致しているような気がします。

 

数年前に遠野(岩手県)の続石の巨石に行った時に、
地元の方から「つづき」という名前も、
ツツコ(都々古)から由来しているのではないか?と言ってました。

 

 

※続石(幅7m、奥行き5m、厚さ2m)

 

ポコポコと何かが湧き出している感じ。

桙衝神社は、古来のままの祭祀場と感じます。
素晴らしい鎮守の森でした。

 

 

■男性が化粧をする祭り----------------

 

神社に到着したらだんだん雨がやみ、晴れてくれました。

ありがたい。

 

太鼓獅子
3年に1度(旧暦の閏年)10月、第1土曜日に宵祭り、
その翌日の日曜日に本祭りが開催される。

 

 

桙衝地区に住む地元の男性らが化粧し、
衣装などを身に付け、踊りながら太鼓を叩く。

「祭祀組織」は、社家である室田家を中心として行われている。

 

※岩瀬郡の歴史より


登板になったヤシキは、一戸、一人あるいは、若者が神輿をかつぐ。
獅子舞は青年がやっていたのが、現在は宮本ヤシキの男子が継承しているとの事。

 

神輿の先達は、やはり先頭は、道祖神(猿田彦命)―真榊―獅子―笛―
太鼓―神輿―神主―四神鉾―祝詞―太刀―太刀三振。

装束は、烏帽子、狩衣、大麻を持つ。


道祖神は天狗のお面。
ニニギの天孫の意味があるお祭りのようです。

 

 

神輿のオカリヤ(仮屋)は、姥神(桙衝字古町)の小祠のところに
設けられていたそうです。


この姥神と鹿島神社の関連を示す伝承として「鹿島様の親神」あるいは
鹿島様はこの姥神に育てられた」などと言われています。

また、別の伝承では、姥神様は鹿島様についてきた家来の神様とも言われている。

 


私は、後者の伝承をおす。
なぜなら、鹿島神とヤマトタケルを祀るところから、
元は先住民が住んでいた所であると言えるからです。
その先住の民とは・・・。
後ほど。

 

■桙衝神社の由来---------------------

 

「伝承では、日本武尊が東征の際に亀居山神居山)に上り、
山上にあった大石を祭壇に見立てて武甕槌神に対して戦勝祈願したというが、
奈良時代の養老2年(712年)に、常陸国(現在の茨城県)に土着していた
豪族
が鹿島神宮より勧請したのが起源とされる。

 

 

平安時代の弘仁12年(821年)、境内地から神鉾が出現したので鹿島大明神の依り代
として祀るようになっている。

また、『延喜式』の神名帳にも記載された。天喜5年(1057年)には、
前九年の役の最中の源頼義が戦勝祈願を行い、改めて鹿島神宮を勧請合祀し、
桙衝鹿島大明神と呼ばれるようになった。


慶長2年(1597年)には火災によって社殿が焼失したが、
慶安元年(1648年)に白河藩主の榊原忠次によって再建建立された。」

 

 

■福島県指定重要文化財---------------

 

タケミカヅチとヤマトタケルを祀り、延喜式神明帳に
「磐瀬郡一座桙衝神社」と記された式内社である。

 

本社は中世からは鹿島神宮と呼ばれていたが、明治三年桙衝神社と
再び改称された。

 


現在の本殿は、1648年白河藩主榊原忠次の命によって建立されたもので、
桁行三間、梁間三間、切妻の流造木羽葺の三間社で、三方に縁を付している。

この建て物は、妻飾、大瓶束の結綿部分・虹梁の上下面・懸魚(げぎょ)
の形など特に時代と地方の特色を示していて、貴重である。

 

本殿の建立、修復の記録として慶安元年から明治年間までの12枚の
棟札が保存されており、本殿修理・屋根ふき替えなどの経過とともに
奉行・大工・名主などの使命が記されており、当時の組織をよく知ることができ、
これも貴重な資料である。』

 

 

※榊原忠次は、母が徳川家康の姪。

松平家を名乗る。

福島県白河の南湖神社は、松平定信を祀る神社(家紋は梅)

ちなみに、本殿は、福島県指定重要文化財です。

 

 

 

 

 

武将の絵図。

 

神楽堂

 

 

喜惣神と天満宮

 

龍の彫刻が見事です。

 

■祭祀場---------------------------------

 

本殿裏手に石碑が並び、道がありました。

 

 


たぶん、この裏手にイワクラがあるのかもしれないと思い、
どんどん登って言ったら、上まで行ってしまった・・・。

 


そこにあったのは、祠でした。

 

 

なぜか、泣けてくるほど嬉しい。
やっと再開できたような喜び。

 

 

日差しもでてきて、さわやかな森。
ずっとここで潜んでいたのですね・・・。(ナニが?)

 

 

こういう場所にくると、いつも「ふるさと」の歌が頭で流れます。
たまに歌ったりしますけど。(一人の時は)

私にとっては、この歌の旋律、音が一番の癒しです。
詩も好きです。(しばし謡を)

 

1 『兎うさぎ追おひし彼かの山やま
小鮒こぶな釣つりし彼かの川かは

夢ゆめは今いまも巡めぐりて
忘わすれ難がたき故郷ふるさと』

 

 

2 『如何いかにいます父母ちちはは
恙無つつがなしや友ともがき

雨あめに風かぜにつけても
思おもひ出いづる故郷ふるさと』

 

 

3 『志こころざしを果はたして
いつの日ひにか歸かえらん

山やまは青あおき故郷ふるさと
水みずは清きよき故郷』

 

 

イネハポみよさんが、3/29は、マヤ暦260日周期の大晦日と。そして、3/30は、260日周期の最初の日。という。

 

春分の日を宇宙元旦と呼んでいるスピの方がいるように。「ふるさと」は、地球のことなのかもしれないね。

 

これはなんだろう?↓

 


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ヤマトタケル伝承は、武甲山もそうなので、
「ふるさと」の歌は、武甲山を思ってのことです。


私にとっては、武甲山しかないので。

悲しくも東北で歌う。

 

ここも、ヤマトタケルだから。

そして、アジスキタカヒコネ。

 

 

 

石川町の鉱物は、中央部と周辺に花崗岩類で分布。
変成岩帯(東と西)にあり、阿武隈山系のペグマタイト(巨晶花崗岩)
であると考えられます。

 


結晶が大きいもので、阿武隈山系は日本三大ペグマタイト。
種類も豊富なのです。

 

 

 

ヤマトタケルが矛をつきたてたことから由来するとも言われますが、

古墳時代の祭祀遺跡が見つかっています。

 

土師の祭器が出土したそうで、どのようなものか不明ですが、

奈良県三輪山の大輪神社でも土師器の祭祀が発掘されているので、

このようなものだったのかどうか、想像がふくらみます。

 

※土師器(大輪神社)

http://oomiwa.or.jp/keidaimap/houmotsu/houmotsu2_2/

 

「土着的な神格が律令的神格へ移行する間の事情が反映しているものと考えられる」

※『産鉄族のオオ氏』より

 

 

さて、ツツコのために、繋いでみよう。
次は、岩瀬の古代史と鴨大明神について。