先週の話しです。
春のお彼岸は宇都宮へお墓参りにいってきました。
行きは高速でしたが、まあまあ、空いてました。
帰りは須賀川市に寄ったので、そのまま国道4号で帰ったのですが、
平日以上に、かなり空いてまして、驚きました。
おかげで帰りはスムーズに早く帰ってこれました。
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主人の実家は、もう売却してしまい大きな家が建っていました。
結婚して間もなく、義理両親ともに病気で一人生活できなくなり、
仙台につれてきて同居し、介護をし、最期の看取りまで面倒をみてきました。
なので、長い間、宇都宮での生活の思い出がないのですが、
なんだか、寂しいのです。
ただ、「しもつかれ」だけは慣れない。。。
が、宇都宮が実家である主人は、別にそんなに未練がないらしい。
老後は宇都宮へ帰ろうと、嫁である私が言うのだからおかしい。
帰っても家はないのだが。
もし、宇都宮に住めたら群馬県と茨城県が近くなる♪
コーフン!
でも、無理ぽ。
転勤とかないので。
ということでして、最期の終末期という余生を家族と暮らせたことは、良かったのかもしれません。
昨年まで法要をずっとしていたので、今年からゆっくりとお墓参りができました。
早くお役目が終わったので、今は、自由すぎて暇なのです。
ぜいたくな悩みです。
終わった後、胃炎になりましたけど・・・。
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さて、そんな縁をもった栃木県。
栃木県の神々といえば、日光の他に、星宮神社です。
栃木県だけで、こんなに星宮神社があるんですよね~。
(青印は塩原温泉付近)
それに古墳も多い。
星宮神社は天海水木土火金地と、すべての万物を司る神だという。
これは宇宙の中心を司る天御中主命と似てる。
それが妙見信仰と合体したような。
大星大神は星の神で香香背男(加賀男神)は高天原で時々怪しい光、
諸神を惑わした悪神であるといわれています。
この悪神を経津主神(フツヌシ)と武甕槌(タケミカズチ)が天神の命を受けて
成敗(殺害)された神であり、その後、葦原中国を平定したと伝わっています。
宇都宮の他にも星宮信仰は、各地にあります。
■宇都宮:岩裂根裂神社(いわさくねさく)------------
介護中、病院の往復で見つけた神様です。
星神で剣の意味をもつ神は、岩裂根裂神社(いわさくねさく)という。
詳細はこちらを。
イワサク・ネサク
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AF%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%8D%E3%82%B5%E3%82%AF
天正十三年(七四一)日光開山の勝道上人は、
「日光男体山頂きをきわめたのは、常に磐裂神、根裂神を尊崇して、
必ず神恩を忘失すべからず」とさとされた当神社の神様です。
ここには「八塚」という古墳があり、総称して「亀塚古墳」とよびます。
崇神天皇の皇子が、この辺りに永く住まれ、長寿なされた為との伝承。
栃木県は「落雷が非常に多い」ことから、由来するかもしれません。
■日光の岩裂神社------------------
日光憾満ガ淵(かんまんがふち)の側にある岩裂神社。
創立年は不明。
昔は星の宮と称し虚空菩薩を祀り、現在の匠町の人たちが氏神として崇敬している。
岩裂神社となったのは明治2年頃で、イワサク・ネサク神を祀る。
憾満ガ淵のお地蔵さんは風情があって有名です。
男体山から噴出した溶岩によってできた奇勝。
※とちぎ旅ネット(憾満ガ淵)
https://www.tochigiji.or.jp/spot/1025/
■宇都宮砥上町の星宮神社---------------------------
さて、今回は「砥上(とがみ)」という「戸神」な言霊の星宮へ。
こんもりした森に鎮座します。
やはり、こちらの星宮のご祭神も、磐裂命・根裂命です。
神社の由来
延長二年924平安時代創建の古社。
境内社:雷電神社・稲荷神社・大杉神社・八坂神社・水神社
・鶏神社・琴平神社・神明宮・生駒神社・疱瘡神
例祭:11月19日
普通にシンプルな神社です。
森は光がよくさしていて、鎮守の森といった感じ。
祠がたくさんあります。
ここで不思議な石を発見。
『男体山』と書いてあります。
天保十二年1841男體山の石碑。
この石、穴がぼこぼこあいてる!
なんかちょっと気持悪い感じもするが、これは人工的にあけてますね…。
見事な盃状穴!
上の方の4つの穴をみて、北斗七星みたい。
こんな風に穴があくのは自然とは思えない。
数えると7つか8つあった。
結んでみても、大体、そうなる。
他にも穴はたくさんありました。
江戸時代、不思議な石があると誰かが発見して、
その石に男体山の文字を掘って崇めていたんですね。
石碑や燈籠などに穴が彫られる場合もあるそうです。
不思議な石を発見した星宮神社でした。
■人々の星をお守りする--------------------
下野市下古山にある星宮神社の由来は、
「人々の背負う星々(一生)をお守りする神社」とされています。
これが、「ロマンティック・アストロジー」だったりして。
そうそう、これは2008年に、スピ系の『ヴォイス』から販売していた
西洋占星術を占ってもらった本です。
今から12年前。
これをずっと探していたのが、見つかったのです!
アストロジーとは、占星術で、
生まれた日と産まれた時間で、その時の星がどの位置であったかを
調べてもらったのですが、とても細かく数々の星のハウスから、
その星の位置と関係性が書かれているものです。
震災でその本を思い出したのですが、部屋がごちゃごちゃになってしまい、
見つからず。ずっとそのままにしていました。
それが、なんと、宇都宮から帰ってきてすぐ、以前父が単身で住んでいた泉のマンションの部屋へ
行った時に、父が不要な本を処分するので廊下に置いてあった中にあったんです!
捨てられるところだった~。
2008年からずっと開いていなかった私だけの星の本。
あれから今を比較してみると、人格や性格、気質などは、
ある程度「星で決まっている」ことがわかり、
結婚相手(職種も)、このようなブログを書いている意味や、
その素質や能力なども含めて、ほぼその通りになっていることに関心してしまいました。
未来を予測しているのではなく、産まれた時の星の位置によって、
その人の人生の道筋は、決定しているといっても過言ではありません。
なので、やりたい事や自然に興味がわくことは、生まれた時の星たちが、
人を創造した・・・と考えるとロマンがありますね。
そう考えると、蘇民将来から由来していると思われる縄文時代の火炎土器の祈祷に、
「過ぎ去るのを待つ」という出産の概念があり、「産まれる時にその子が悪い星巡りに合わないように」
出産を遅らせるということが、あったのではないか?と言われています。
※出産時に火を焚いていた土器がある。
例えば、神功皇后が出産を遅らせるために腹帯に石を入れたとか、
そんな伝承があるのは、星の運行に関係するのだと思います。
一番面白いのが「サビアン・シンボル」です。
占星術研究家が1925年に提唱したもので、
各度数ごとにシンボリックな詩を付したもの。
例えば、「山の神殿に至るきつい階段をのぼる巡礼者」
とか、詩的な内容を10の天体で割り当てるシンボルで、想像ふくらみます。
星宮神社のお参りから、こんな本で星を思い出すとは!
やっぱり、皆、宇宙の子。
西洋占星術は、面白いですね。
これからの地球のために、星から生まれたことを思い出しましょう。