という叫びなのかどうか久々に塩釜神社へ行ってきました。
やっぱり塩釜さまは久々に来るといいですね。
塩爺さんの庭って感じだ・・・。
「お釜様」の由縁がある寺社は、塩釜付近にいくつかあります。
1、御釜神社
2、塩釜神社
3、鼻節神社(七ヶ浜)
4、松崎神社(浦戸諸島)
■御釜神社
参拝する時は、いつも先に御釜神社へいきます。
ここは落ち着いているので好きです。
ずっと前にもブログでいろいろ書いてましたが、ほとんど忘れてます…。
けど、何かいいな~と思う「牛石」。
7歳の子供の姿になって現れた塩の神様が登場する。
塩を牛にひかせてきたと。
1年に1度、水替えの神事の時に、その姿を見ることができるそうです。
何でも7歳。
童子か河童か・・・。
藻を刈ったらここの竈へ。
塩釜の由来は、この釜がそうです。(↓)
めんどいので由来は、御釜神社へ。
http://www.shiogamajinja.jp/topics/201807moshioyaki.html
この中に4つの竈があります。
そういえば、大衡村に行神社と須岐神社があり、
行神社は猿田彦を祀り、須岐神社はスサノオを祀ると。
行神社の向かいに大きな池がありますが、
塩釜神社の7つの釜のうち3つの釜が行方不明になったという伝説があります。
四釜→色麻。
行神社前の池
そのひとつがこの池に沈んでいるといわれており、
やっぱり塩土の爺さんは、猿ちゃんじゃないか(白髭神)とも思う。
猿田彦は七変化?
当時は奈良の大和朝廷から多賀城まで道ができていたので陸からのルートは大和側。
エミシや大和に反対していた人は海や川を渡って多賀城に入ったルートが考えられます。
須岐神社を移したという児玉氏は、武蔵国児玉町出身なんですね。
大衡村は黒川郡奥十郡といわれ、奥郡の入口にあたり朝廷に対して
服属を黒川郡で代表させた例で、陸奥国の斎部であったというのだから、
あの「石神山精神社」はその聖地と考えられます。
あの場所の付近一帯、七ツ森は、各地の和エミシ(朝廷側)についた
地方の豪族を呼んで、エミシ狩りをしています。
■志波神社と塩釜神社------------------------------
愛知県の神社で書いてましたが、
藻塩草というものが霞ケ浦(茨城県)の特徴で、
愛知県のチカマも藻潮を焼いていたという話しでした。
塩釜神社には3つの入口があります。
他に、長い階段の表参道、七曲坂。
まずは、シワヒコさんへ。
※志波彦神社
愛知県一宮にある「尾張猿田彦神社」は、猿田彦命とアメノウズメを祀ります。
配神に塩竈大神が祀られています。
茨城県だったかな、千勝神社も祭神が猿田彦大神で。
たぶん、塩土爺→白髭→猿田彦と変化したのだと思います。
尾張(伊勢)→常磐→陸奥。という流れがあり、
尾張の猿田彦、常磐(千勝)の猿田彦、陸奥(鼻節)の猿田彦という共通点が塩。
しぶいっ
こっちは、きんきらきん。
タケミカヅチ
タケさんとフツさんの向きがおかしいから、迷う。
フツヌシ
寒椿
■鼻節神社---------------------------------
ということで、猿田彦命と塩が意外に関係していたりして。
飛んで七ヶ浜。ここも「七」
「鼻節神社」があり、うっそうとした森の岬に立っておりうす暗いです。
一人では行かない方がよいかも。
岬なるので、「ふなと神」です。
遺跡に錨が。
猿田彦命 = 岐神(ふなどのかみ)
「元文3年(1738年)記の『鼻節大明神の御縁起』によれば、
鼻節神社の社名は猿田彦命の鼻が高く、節があったことに由来するという。
同様の記述は『鹽社由来追考』や『鹽竈社神籍』などの鹽竈神社社誌にも見られる。
『鹽竈社縁起』では「鹽竈六所明神」で、猿田彦命、事勝国勝命、塩土老翁、
岐神、興玉命、太田命の同体異名の6座であるとするが、
この説によれば『延喜式内陸奥一百座』が指摘するように、
鹽竈神社祭神の塩土老翁神と鼻節神社祭神の猿田彦命は同一の神であることになる。」
(Wikipedia)
藻刈神事では、この岬あたりから取ってくるとも言われます。
■浦戸諸島の松崎神社--------------------------
もうひとつ、行ってみて良かった浦戸諸島。
(桂島)
桂島という塩釜から一番近い島に、松崎神社(桂島神社)があります。
塩竈神社の竈と関係しており、塩を精製していた人がこの島にやってきたと。
その人は、「塩土翁」とされる。
「翁は、民に漁塩農桑の事を教え玉い、鹿島、香取の二大神が日高見の国御征服のとき、
同時にこの地方に御降り、塩釜の浦にても漁農煮塩の道を民に教え玉いしとき、
塩をお焼になる材料たる海草を、この桂島の藻根島において、
所属の神たちをして採取せしめ玉いしより、
藻根の称ができたのであるという。」
ということで、ざっと塩の神ひとつとってみても、
いろんな島なり、お社の由来があります。
塩の精製技術は、古くはメソポタミアと言われています。
原始的医療(ミイラ)で塩を使っていたそうで、これが食べ物の保存に役立つ?と思ったのかどうか。
肉食の狩猟民にとって、肉を保存する際に用いられたと考えますが、
その塩の精製技術を「竈」として敬っているのは、
今では塩釜神社だけであり、もしかしたら、たまたま竈に海水があったのを
火で炊いた時に水が蒸発して塩だけが残されたと。
それを偶然知った先住民が、塩がどのように残されるのかを発見したかもしれない。
ならば、その技が竈にあると考えたのも、わかります。
コロナウイルスで静かな神社でしたが、せめて塩で清めておきたいと思うものです。
何もしてないけど。
早く収まるといいですね。
おまけ-------------------------
本塩釜駅周辺は、変わっていた~!
御釜神社の向かいは、宿だったのが今はカフェになってます。
▽カフェ「はれま」
https://www.facebook.com/cafeharema/
浦霞は、塩釜神社の御酒酒店です。
かっけぇ~。
チョコレート!
ここのカフェ、よかったっす。
コーヒーとおやつの店 アンドモア 「ando More」
駄菓子屋さんはまだあった。
やっぱ、ほっとする。
以上、さくっと塩釜探訪でした。