やっと御礼参りができました。
主人のご先祖様は、大崎騒動に登場する伊場野惣八郎です。
伊場野家の系譜にあたるそうです。(名前は違います)

 

伊場野惣八郎は、
大崎義隆の寵童であった新井田刑部と伊庭野惣八郎の争いが
家臣を二分する戦いになり、刑部は義隆を抑留して家臣の大半を同心させ、
伊庭野方は氏家吉継を頼って、さらに吉継は伊達氏を頼って援軍を求めた。

(『伊達正統正次考』)。

 

詳しい歴史は、割愛。

むずい。

 

※船形連峰

 

といったことで、「片倉家を通して」伊達政宗に助けてもらったのですが、
始めて伊達家が負けた争いでもあります・・・。

 

名前は全然違いますが、この大崎合戦で、
伊場野氏の一族が逃れ、名前を変えて暮らしていたそうです。

 

それで、この前の土曜日。
主人は「あった!」と何かを見つけるのです。
今まで、「伊場野」を「伊庭野」と「庭」の漢字で検索していたので見つけられなかった。


「場」にしたら、三本木に「伊場野」の地名があり、大崎にある八幡神社の由来に、
先祖の名前があることを知るのです。

漢字違いで、こんなに見つかるものとは・・・。


また、このタイミングもなんだか不思議です。

私みたいに他人の先祖を調べている者として、
この発見は、かなり意味があると思ってしまいます。

 

 

そして、「明日いく!」ということになった。
大崎まで南から1時間ちょっと。
そんなに遠くないので、私も一緒に参拝。

 

500年前と考えると、そんなに古い時代でもなく。
家と道路が変わっているだけで、昔とさほど変わっていない風景だと思いました。

 

 

神社のそばに、眠そうなネコちゃんが。

 

 

 


相変わらず境内をいそいそと動き周り、写真を撮るしかない私・・・。

 

 

それにしても、のどかで~す。
ここに住んでいたのか~という感想でしかないのですが。

 

八幡神社の由来----------------------------

 

祭神 応神天皇 (大崎氏松山下伊場野字宮下16)

配神 天照大神、イザナギ・イザナミ、スサノオ命、オオヤマツミ、
月読命、火産霊神、速玉命、事勝命、カグツチ命、天御中主命、
タケミカヅチ、金山彦神、菊理姫神、コノハナサクヤヒメ、ウカノミタマ、
天穂日神。

 

配神が多すぎ・・・。

 

 

由緒。
西暦1046年~1064年の創祀。
「明治十七年社寺明細帳」「明治四十年社寺神社由緒調」に、
後柏原帝(104代天皇)1501年~1527年ノ御宇永正年間
1504年~1520年伊場野覚太夫ノ祖先、
伊場野惣八郎(伊場野筑後)領主ノ折勧請ノ由ニ有リ

明治維新後は、地主の佐藤家が継ぐことに。

 

こちらが、合祀社

 

 

 

 

青面金剛童子

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向かいに気になる祠が。
素敵な所でした。
雰囲気は、とても良かったです。

 

 

 

でも、八幡神社しか行けなかったのです。
伊場野城跡もあるのに、すぐそばに月山神社もあるのに、道に迷い、見当たらず。
車でぐるぐる。

 

 

この森の小山に城があった?


田んぼのあぜ道を歩いて、何もない田園風景をただ歩くだけで終わった・・・。

あちらが、もういいよ、と言っているみたいです。笑
人見知りなのか、なんなのか。

 

 

寒くて、田んぼも凍ってます。

 

主人は、ずっと伊達政宗とは敵だと思っていたそうです。
しかし、調べてみてわかったのは、伊達政宗は味方してくれたとの事。
ずっと誤解していたことに、気づいたのです。

 

私は、地名しか残されていないことと、どこでどうやって縁をもったのか、
よくわからない東北の静かな風景があるだけなのが、不思議です。

 

釜跡という看板をみつけたけど、小山をひとつ越えて、再び下道にもどってしまった。

もうマヨイガみたいになる。ww

途中、立派なお屋敷があったりしましたが。

 

 

この裏手だと思うのですが、「龍谷寺」というお寺があり、龍の話があります。

 

『昔、伊場野の太郎沢の西丘陵の中腹に、穴之坊が住んでいた。

またすぐ隣の沢に、中之坊が住んでいた。

この北沢に寺ヶ沢と称する所がある。

 

その西側の丘陵の頂に祀られているのが月山権現である。

同権現は寛治5年、八幡太郎義家公が東夷御征伐之時、その家臣の鎌倉権五郎景政が

奥州三山権現へ祈祷し、当村へ月山権現を勧請したものと伝えられている。

 

往古月山に宿坊あり、月山権現に詣る人々を案内をしていた両坊であると伝えられる。

古老の話に依れば、昔或る時一天俄にかき曇り、黒雲に乗じ突如現れた竜は、黒雲が消え去っても、巨大な魔の竜は其の儘寺ヶ沢に留まって、諸村の人々を脅かしたのである。

 

この時、霊験あらたかな穴之坊は、この竜を消そうとそばに立ち寄り合掌し一句を念ずると共に、持っていた「錫杖」を気合諸共、一度運進せば風車の如く右往左往に転じ、竜は踊りかかれども、みるみるうちに刻み落とされ、竜は遂に消え去り、難なく退治したという。

時去りて、天正の初期頃に、卓山和尚が寺院を開祖した。

この物語は、世にも珍しい出来事であると、場所は変われど、月峯山龍谷寺と命名されたのが現在の寺院の寺山号であると言い伝えられて来た。』

 

また、鎌倉権五郎景政の伝説・・・。

 

関東からしたら葛西氏側なので、伊達政宗とは敵だし。
でも、こうやって夫婦で先祖をたずねることができるなんて、幸せなことですが、
あちらは、何も気にしていない感じがまた良いのです。

 

結局、私も主人も仙台に居座るようになったのも、ご先祖様が宮城県だから。
一番そのご加護を受けているのは、主人であり、
歴史でも、ご先祖様は氏家吉継(岩出山城)に助けてもらい、伊達政宗にも助けてもらっていたのです。

 

私は霊統が、伊達政宗に関係するかもしれません。

 

帰りは、中華屋さんでがっつり食べて帰りました。
これでまたひとつ、家相がUPしたかもね~♪

 

おまけ----------------------------

歴史に登場する中新井田城跡へ。
ここも八幡神社でした。

 

 

※斯波家兼

 

詳細は、こちらのサイトを。

陸奥・中新田城
http://www.hb.pei.jp/shiro/mutsu/nakaniida-jyo/