久しぶりにムカデの毘沙門堂に行ってきました。
家から車で3、40分くらいで割と近いので、
スーパーへ行くついでにいけるという範囲。笑
2年前の夏に行った時、春日神社が草ぼーぼーで入れず。
断念していたのでした。
※夏の春日神社(道がなかった・・・)
今の時期なら行けるな~と思い、気になっていた「龍の枕石」をみたくて。
まず先に毘沙門天さんに新年のご挨拶。
ここはムカデの絵馬が奉納されている珍しいお寺。
以前の内容をもう一度書いておきます。
「福應寺毘沙門堂奉納養蚕信仰絵馬」
「毘沙門堂には古くから小絵馬が奉納されてきました。
絵馬の大半の絵は、百足やムカデなどの文字が書かれているもので、
すべて養蚕繁栄を祈願したものです。
総枚数は、二万三千四百七十七枚にのぼります。」
やっぱり養蚕です。
ムカデは、ねずみの害から蚕を守るために信仰されました。
「またムカデは毘沙門天の使いという信仰と結びついて、絵馬が奉納されたと
考えられ、絵馬は、古いもので1768年、新しいもので、50年代まで
奉納されました。
特に明治時代から昭和初期までの奉納が多く、養蚕が盛んに行われたという。
昭和30年以降、奉納される枚数が急激に減りますが、戦後化学繊維の
普及などによって国内の養蚕業が減少していくとともに、
養蚕繁栄を祈る信仰も減少していったようです。
このような絵馬奉納の風習は全国的にも類例がないことから、
平成24年に国の重要有形民俗文化財に指定されました。
こちらの御堂には、毘沙門天像(高さ84センチ)、
吉祥天女像、善尼師童子像が安置されています。」
丸森・角田には猫の石碑が多いように、養蚕が広く伝わっていました。
これは、同じく養蚕が伝わっていた秩父も同じです。
聖神社で、ムカデを奉納しています。
雄と雌の足の数が違う。(上:メス 下:オス)
※聖神社の蚣(秩父:和銅開珎)
この意味は、「土」という五行説にあたります。
阿武隈川にも近いので。
聖神社も荒川に近い所に神社があることから、同じ地形とムカデが関連しています。
水に対しての「土で剋す」
ということから、「土」に行こうと思った毘沙門堂でもありました。
なぜ、ムカデなのかは、北関東でも「大蛇(男体山)VSムカデ(赤城山)」退治があります。
大蛇が男でムカデが女みたいな。
水の蛇(竜)に強いのは、土のムカデ。
土は水を吸収しますから、水より強い。
「本草綱目」という本に、「性よく蛇を制し、大蛇を見るとその脳を食らう」と。
中国ではムカデは土より生まれ、水を制する蛇を土剋水の理で語っているそうです。
産鉄用語でもムカデは登場し、穴がたくさんある採掘場の様子から、
ムカデに重ねられた話しも。
ムカデは足ではなく、古くは「手」と書いたそうです。
「向手」と。向かいで?からムカデ?
手を合わせる意味があるそうですが、なぜか「足」になった。
百の足。
足がいっぱいついているから、という単純な理由かもしれないが。
毘沙門天といえば、米沢の上杉謙信。
伊達政宗とも関わりがある。
家臣の片平新太夫が伊具郡鳩原村に福島県の封地から赴任地として
やってきた時、毘沙門天を背負ってきたという。
ご開帳は「寅」の年だけとの事。
秩父の妙見信仰と同じですね。
それに機織と繋げれば聖徳太子。
秩父に廣見寺というのがありますが、『地方史研究』という本に、
明治30年まで廣見寺では12月3日の夜祭の朝、
秩父神社の寅の門を開く定めがあったと。
このお寺には妙見堂があり、正門前にある妙見菩薩と関係するそうです。
そのお寺は「鬼門寺」ともいった。
徳川家康も寅年の誕生日だったので、「秩父神社に寅の秘法を信仰した」
とありますが、秘法が何かまではわかりません。
七つの色とありますが、たぶん、妙見七ツ井戸と関係していると思います。
今ではゴーンの救出劇が、秘法として売れそうですけど。www
そーいや、あの人、レバノンに逃げたな。
杉じゃん。タイプ違うけど。
で、ムカデ=寅=妙見ということがある。
エミシ征伐にも北斗七星信仰は欠かせない。
寅といえば、奈良県の生駒。
信貴山という山の寅。(しつこく車輪の生駒)
ルーツはここだと思います。
信貴山の縁起に、
「毘沙門天に援(助)けられたのが寅年、寅日、寅刻だったので、
これに因んで「虎」が神使としての扱いを受けている。
しかし、毘沙門天の本来の神使は百足(ムカデ)とされる。
聖徳太子が、朝敵物部守屋を討伐しようとこの山に来て、
戦勝の祈願をすると、天空遙かに毘沙門天が出現して、必勝の秘法を授けてくれた。
その日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻であった。」
う~ん、物部守屋とは敵?
秩父神社での寅とは、北東=「艮」ウシトラなので、なんかある。
丑と寅の間。
やっぱり養蚕が伝わる所が、一致しています。
聖徳太子が助かった木は、椋の木という話しがあった。
秩父固有の椋神社。
ムグとは、朝鮮語で村の意味があるそうな。
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門をくぐった時に、ふと下をみたら、猫か犬か、動物の足跡?が。
コンクリートが固まる前についてしまったのでしょうか?
さて、鳥居のそばに立派な巨木があります。
こちらの巨木は、カヤで、高さ32m。
樹齢は約800年~千年とも!
カヤは縄文の木ともいわれ、木の実だけではなく、
いろんな用途に使われた木です。
名取では、カヤの木は阿部氏という口承も。
栗の木は源氏。
とにかく、今は、大杉ばかりがシンクロしている。
なんだろう?
毘沙門堂の入口手前に、春日神社があります。
アマノコヤネ、一柱のみ。
行ってみたら、なんだか寂しそうなのです。
金毘羅大権現、青麻大神、庚申碑
松尾権現、不明
この参道の途中に、大きな岩がありますが、ちょっと不思議です。
ぼこぼこしている、さざれ石みたいな。
伝説では、
「この地域の周辺に住む龍がこの岩を枕としたと言われている。」
どの地域の龍?と思うんだけど。。。
なんとなく、この先北上していくと岩沼の方になるのですが、
名取老女生誕地としてある岩蔵寺の大蛇を封じたという石に似ているのです。
太い木の根。
石が積まれているようです。
神秘的~。
横道があり、下に降りる道があったのですが、毘沙門堂の境内の場所に降りていけそうです。
寂しそうな祠。
参考に、『龍の枕』という昔話が三重県多気郡にあるのでご紹介します。
これも大杉の太郎坊と似ています。
『むかし大杉谷(おおすぎだに)の深山という所に、竜神が住んでいました。
ある嵐の夜、川の水があふれて、大きな丸太が流されてきたのです。
翌日、それを見つけた村人がその丸太を家まで運んで、
「これを薪にしよう」
と、オノで丸太を割ろうとしたのですが、その途端、村人は雷を受けたような
ショックを受けて、ばたりと倒れてしまったのです。
それを見た家族があわてて介抱しますが、倒れた村人は目を覚ましません。
そんな時、この村を修業中の山伏が通りかかり、
丸太を割ろうとしただけで倒れてしまった村人の話を聞いたのです。
山伏は、その村人の家に行くと、
「よければ、わたしが原因を調べてみましょう」
と、村人の枕元に座って、何やら呪文を唱え始めました。
すると山伏に何かが乗り移り、心配する家族に、こうお告げをしたのです。
「あの丸太は竜神さまの枕である。そまつにする事は許されぬ。
今すぐ、大切にまつられよ」
そこで家族が、さっそく丸太をまつり、病気が治るように一生懸命祈りました。
すると村人の顔色がみるみる良くなって、やがて元気を取り戻したのです。
その後、この丸太は『龍の枕』として、多くの村人たちがお参りするようになったそうです。』
ということで、水に対して土が剋する。
そこに木が関わり、龍が登場。
やはり、木を伐採している事に繋がり、天狗が何か言っているんだなぁ・・・。
※大杉谷の大杉(三重県多気郡大台町)
https://blog.goo.ne.jp/yss2141/e/d9bd3e5fc118364bc6b9b4d8956e3955
自然を破壊し続けるから、水の祓いを受けるのは当然のことなのです。
都合良く龍神の力とするのではなく、バランスを欠いているわけです。
蔵王連峰
岩沼方面
昔も同じことがありました。
教訓として龍の枕石伝説があるのだと思います。