とほかみサイエンスの

あんこですクローバー

 

プロフィール

 

本日もお越し頂きありがとうございますキラキラキラキラ

 

 

こちらのブログでは、神社、言霊、現実創造などの役立つ情報や、心に響くようなお話をお伝えさせて頂きます。

 

 

やまと魂を取り戻し

幸せと喜びが満ち溢れる平安晴明な

人生を過ごせることを意図します虹

出雲とヤマト

 

 

前回のつづき

 

 

 

 

 

 

出雲の旧家の伝承によると

 

 

 

秦がシナを統一した頃に徐福の集団が3回 日本へ渡来したという

 

 

 

 

1回目の上陸は 土井ヶ浜遺跡(山口県下関)であったと考えられる。

 

 

 

この時に徐福が渡来したかどうかは不明。

 

 

 

 

2回目の上陸 は先遣隊を送った。

 

 

 

紀元前219年ごろ 出雲の海岸に1隻の船があらわれた。

 

 

 

船から降りた異国人たちは 

 

 

 

イズモ兵に捕えられ 神門臣家の王宮に連れていかれた。

 

 

 

8代目の王 八千矛王(大国主)の時代でした。

※神門臣家は西出雲 富家は東出雲でこの時期は富家が副王でした。

 

 

 

渡来した異国人の中の代表は 

 

 

 

穂日(ほひ)と武夷鳥(たけひなどり)の親子だった。

※アメノホヒは天照とスサノオの誓で生まれる神の一柱

※古事記 日本書紀ともに建比良鳥命はアメノホヒの子とされる

とすると

渡来の親子が 現在の出雲の社家である

千家と北島家の御祖神となる

 

 

 

 

彼らは出雲の王に献上品を出してこう告げた。

 

 

 

(われわれは 徐福様から命を受けてきました。徐福様は大勢の秦族の少年少女を連れて出雲王国にくる予定です。子供が多いので出雲王国には危害がありません。到着の際 上陸の許可をお願いします。)と

 

 

 

八千矛王(大国主)は子供であれば危害がないと判断した

 

 

 

そして出雲八重書き(やえがき)の掟を守るのではれば上陸の許可をすることにした。

 

 

 

許可をもらったアメノホヒは 徐福に使いを出した。

 

 

 

アメノホヒたちは出雲にそのまま住み着き 

 

 

 

西出雲王家の神門臣家に仕えることになった。

 

 

 

 

本日も最後までご覧いただき

ありがとうございましたお願いキラキラハート

 

 

 はい! LINE公式をはじめました〜

そしじの漢字をプレゼント!

LINE公式 友達の登録もどうぞ

結界や祓いの作法や言霊などもやってみよう!!

下差し下差し下差し

 

 >友だち追加

YouTube1000人達成花火 ありがとうございます!!

勝手に5000人目指していきます。。

同じく神社や言霊、現実創造などについて話しています。

良かったら遊びに来てください。

下差し

下差し