記事の中身はそのまま病院であった事を書いています。

このままでは終われない!

彼女には負けたくない!という気持ちから書き始めました。

大泉病院のデイケアの利用者(患者)から他害行為を受けて1年2ヶ月。

詳しくは2014年の12月頃からですが。

追い詰められて自分の腕を切り、二度目の入院をしたのが2015年の2月。

あの時、両親や家族に早く言っていれば二度も入院しなくて済んだかもしれない。

当時の主治医であった山澤という女医や彼女の主治医、また第2デイケアのスタッフに言ったとしても、逆に私が

「貴方がそう思ってるだけでしょ?」

と言われ、その時だけ人を病気扱い。

いやいや。

実際に殺すぞメールを500件以上、2014年からのを数えてみても800件近く来てましたから。

実際、そのメールを親にも見せてるし。

地元の警察にも相談に行ったし。

お陰でいくらメールを消しても次から次へとメールが来て、アドレスを変えても来るわ来るわで鬱になり、

今のクリニックに戻って、主治医もスマホも変え、

少しずつ前に進めるかなと思ったら、次は体の方に問題が見つかるわで、このままじゃ死ねないと思い、

自ら進んで、職場復帰。

体はボロボロになっても心だけは残しておきたい。

だから今はクリニックの先生には大変大変申し訳ない気持ちでいっぱいだが、

心だけは残しておきたい一心で、先生の話す言葉に耳を傾けるのが精一杯。

本当は今でも死にたいくらい辛くて助けて欲しいけど、

脅迫罪という他害行為をやった大泉病院の彼女達には負けたくない。

もし、彼女達に負けたとしたならば私は自らの命を絶つ。

それに私が仕事をするのにはもう一つ理由がある。

それは彼女達に社会で生きて行く上でのマナーを教えるのも、仕事の一つだと考えているからだ。

悪い事をして「ごめんなさい」の一つも言えない人は社会復帰は愚か、リカバリーすら難しい。

例え仕事をする事が出来たとしても、忍耐力と行動力がなければ仕事を続ける事は難しい。

今日も気分が沈みすぎて、泣いてしまった。

しかし、泣いてばかりはいられない。

それじゃぁ病院にいた頃と同じ繰り返しだ。

病院のトイレに隠れたあの日を思い返す。

お腹が痛くて、そのままトイレで下血。

39.1度の熱のまま診察室に入り、またその診察室で自分の言いたい事を分かってもらえず、泣きじゃくり、

結局、病院は東海という患者を庇ったんだ。

なに言っても無駄だ…

と思い、

病院最終日の日に、手に持っていたカード入れを投げ、

私が味わってる痛みを彼女を庇った医者にも分からせたくて、カルテを投げた。

今思えばなんて大人気ない事をしたんだろうと思うが、後悔はしていない。

なぜかと言うとその時、自分の心の中で決めた事があったから。

いつかは彼女達を見返してやると誓ったから。

今日も辛くて泣いてしまったけど、結果を残すまでは死ねない。

今は辛くても頑張れる方法を探してる途中。

だから私は彼女達には負けない。