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2限始まり
遅刻せず。7分前に登校。
考察:テストがあったため。
5月23日
1限始まり
遅刻。1限サボリ2限10分遅刻。考察:この1限の授業はずっと出ていない。余計行きづらい。
サボって2限余裕だと思っていたら
失敗。
幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、と私はありとあらゆる場面で遅刻しまくってきました。
遅刻魔、という不名誉な称号を何度与えられたことか・・・
遅刻が多い、というだけでかなりだらしない人間のように思われちゃいますよね。
ということで、社会人になる前に何とかして!この遅刻癖を直してやる!と決意したわけです^^
まずは原因を分析ということで・・・
なぜ私は遅刻をするのか!?という普遍的な理由(笑)
私の遅刻の傾向を鑑みるに、
①試験時など、絶対に遅刻してはだめだ、という場合にはあまり遅刻しない。
②最初は遅刻しないけど、だんだんギリギリ、遅刻となっていく。
③15分以上の遅刻になると行く気すら失せてくるw
④朝早いとかは関係なく遅刻する。
ということで、
絶対に遅刻しないぞ!っていう意識さえ持てれば、
遅刻はしないんだろうけど、
たぶんその高い意識を持ち続けることが難しい、と。
そんなダメ人間が考えた解決策は、
①始業20分前到着を目指して登校
②極力、朝準備するものをなくす。(服とか)
③寝坊遅刻してかなり遅れても出席はする。(冷たい視線を浴びる)
とりあえず、この1週間はこの計画で頑張ってみようと思います^^
遅刻した場合は逐一ブログで報告、原因を分析していこうと思います。
それでは、今から2限の授業に遅刻しないように、行ってきます(^O^)ノ
先日も約束をすっぽかしてしまい
しかも電話されるまで気づかなかった(´・ω・`)
ホンマ自分がカスすぎて
辛いんやけど、
落ち込んでるだけじゃしょうがないし
これからはよりスケジュール帳に気を配って
どうしても忘れそうな時は
手にマジックででも書く!!
私の父方のおじいちゃん、もうすぐ88歳になります。
そんなおじいちゃんが先月入院しました。
癌、と言われました。
末期ではないようですが、このままではもちろん危険な状態で・・・
現在抗がん剤治療を行っていますが、
回復したとしても、脳に障害が残るそうです。
3月に帰省した時にお見舞いに行きましたが、
その時には認知症であまり私のことを覚えていないようでした。
もうまともに話すことなんて無いのかなって思うと
すごく辛かった。
実家を離れてる身だから
きっとおじいちゃんの死に目にだって会えないんだろうな。
人の死って本当に本当に苦しいなあって思う。
7年前の中1の時の担任の先生が亡くなったときは
あまりにも突然で、もうその先生に会えないんだって、実感することもなかなか出来なかったけど
今回はじわりじわりと・・・受け止めて、覚悟していかなければならないんだよね。
そんなの嫌だなあ、って思うけど
親より先に死ぬなんてことだけは絶対にしたくないから
この先、人の死でもっともっと辛い思いをすることもあるんだろうな。
今日はセンター試験の1日目でしたね。
受験生が聞いたら怒るかもしれませんが
試験会場になる大学は大抵、金曜日は休講で
金土日の3連休になるんですよね^^うはうはですよ(笑
とは言っても、私は学期末プレゼンの打ち合わせがあったので
ガッツリ学校に行く羽目になってたんですが・・・
1年って本当に早いなーと思います。
受験の1年は長かったな。苦しいことは長く感じるんだよねー
今日明日と、全国の受験生が全力を出し切れることを祈っています。
頑張ってくださいね。
現在の期末試験地獄を抜け出せたら、センター試験を解いてみたいな。
そしてどのくらい点数下がっているのか確認してみたいw
特に世界史とか倫理とかはひどいだろうな^^
暗記物は直前に詰め込んだ分、忘れるのも早かったんだよね・・・
せっかく覚えたことを維持できなかったのは悔しいなあ。
一応下宿にもかつての参考書をいくつか持ってきているので
趣味程度に勉強してみようかなあ、とも思ふ。
そして、受験時代のことを書き記したこのブログは
私の宝物であると感じています。
当時の私のそのままの気持ちが残ってる。
今、くじけそうになったりした時に、背中を押してくれるのは
あの時あんなに頑張ってたんだ、っていう自信なんですよね。
大学生活も長いようであと三年!
最高の三年間になるように、精進していきたいと思います。
長かった大学の夏休み。
2ヶ月近くあったわけで、小中高生や社会人の方が見れば恨むぐらいの長さ。
二度とは無い、一回生の夏休み。
私が何をしていたかというと・・
8月の1週目にテストが終わり、
2週目は週末のサークル(ジャグリング)の発表会に向けて準備をしました。
ジャグリングというよりもネタに走ったところ、素敵な賞をいただけました。ジャグリングのガイドブックをいただけました。
3週目は実家に帰省。
今回は初めて帰省の手段にフェリーを利用しました。
というのも、高速バスだと全く眠れない事が多く、また6・7時間ほとんど身動きが取れないことで
いつも腰が痛くなっていたからなのです。。。
乗ってみてびっくり、フェリーの中には売店あり、自販機あり、ゲーセンあり、レストランあり、お風呂あり!!
港からの電車賃を含めるとだいたい高速バスと同じぐらいの運賃だったので
今度の帰省からも利用しようかな・・・と考えています^^
そして1週間近くの実家ぐらし。
そのうち3日間はおじいちゃん家だったわけですが
田舎の畳張りの部屋で、風を感じながらねっころがっていると、
時間がのんびり流れていくようで気持ちよかった((´∀`●))
大阪に帰ると次の日には関空へ!
関空→ベトナム!!
ベトナム空港へ降り立ち、まず最初に目に飛び込んできた看板はCANON(笑)
ベトナムでは、戦争証跡博物館やクチトンネル、枯葉剤の影響で障害を持った子達の施設など、
ベトナム戦争にまつわる施設を見学しました。
クチトンネルでは実際に銃を撃つことができました。
撃ったときの衝撃、耳に突き刺さるような爆音、
怖くてしょうがなかった。
でも、もっと怖かったのが、最後のほうには自分がそれに慣れてしまっていたこと。
人間は、生きるためにどんな状況にでも、慣れてしまうのだと感じました。
昼からはベトナム→カンボジア(プノンペン)へ!
そこからの衝撃の多さたるや(^^;)
結局カンボジアには10日近く滞在したわけですが
その一瞬一瞬どれもが、貴重な体験だったなあと思うわけです。
たくさん写真を撮ったのですが
デジカメのケーブルが無くてパソコンにUPできないんです。。
今度手に入ったら、写真と共に、記録に残していきたいな、と思います^^
帰国後、それでもまだ夏休みは終わりません(∀)
9月1日からは、サークルのボランティア活動に力を入れてきました。
9月中盤にはボランティア合宿。
しんどい事、つらい事もありましたが
かけがえのない経験が出来たと思います。
そして現在に至る。
あと10日で長かった夏休みも終わります。
心残りといえば
車の免許と、バイトが決まらなかったことですね。。
バイトは面接に落ちてしまいました。
世の中厳しいですね。
残り10日間、
できれば北海道旅行と、バイト決めを達成できればなあと思います。
それでは(o´∀`o)ノ
今日の1限はグループ討論でした^^
テーマは『構造的暴力』
私たちはこの暴力の加害者でもあるし、被害者でもあるんです。
例えば、核廃棄物・・・日本では受け入れる所なんてありません。
それらはモンゴルで処理されています。
見返りとして多額の援助が行われます。
風評被害で売れなくなった東北の食べ物・・・ODAとして発展途上国へと送られました。
日本と外国だけの話ではありません。
大阪に住む私は福井の人々の不安を犠牲に電力を享受しています。
実家が愛媛の私は、伊方発電の存在に怯えている。
私はまだ選挙権もないし、生まれたときには既に原発はそこに存在した。
子ども達に罪はない。全ては大人達がやってきたこと、許容してきたこと。
でも、そのつけを払っていくのは私たち子どもなんです、間違いなく。
嫌になりますよね。でもこれが現実。。。
何だか、今日は救いの無い内容ですね(^^;)