先週の木曜日、11月23日、皇祖皇太神宮の秋の大祭に行ってきました。
今回は、鎮火祭(火渡り)があるので、とても楽しみでした。
最近は、他所の団体の方々の参詣も増えているのようですが、
火渡りに臨む、美しい姿勢があったので写真に収めました。
まあ顔とか写っているのを出すのは、今はやかましいご時世なんで
出しませんが。
火渡りに臨むには、はじめ神職のお祓いを受けます。右端の方が、
幣で祓っていただいてます。手には、結んだ印に、鎮火祭のお守りを
正面に向けて持っています。そして、渡っていくのですが、
小学生か中学生くらいの方ですかね。初めて鎮火祭(火渡り)に臨まれたようで
渡る前に、深々と頭を下げられていました。
渡り初めはちょっと腰が引けた感がありましたが、中程ではしっかりとした足取りで
歩みを進めていました。渡り終えた後は、子供らしい感想を声にしていましたね。
ただ、渡れたことを当然と思ってはいけないのですよ。穢れが少ないから難なく渡れるのです。
鎮火祭(火渡り)に臨んだことの無い方は勘違いをされて、これは、我慢比べの類のものでは
無いのですよ。あくまで御神事として行っているので、あなたに、除ききれない程たくさんの
罪穢れがついていない限り、不遜な思いを持って臨まない限り、難なく渡れるものです。
でも、それを当然だと勘違いしてしまうのは恐ろしい事です。今回外国の方が親子で参拝されていて、
お父さんだけが、鎮火祭(火渡り)に臨まれました。かなり早いうちから靴下を脱がれ、渡る気まんまん
という感じでしたが、渡ったらなんか意気消沈してしまって、火傷を負われたみたいでした。神職の方から
抑えの法を受けていましたね。
まあ神事ってある意味、えいやあでやれっていうのもあるのですが、
大事なのは、心根です。火の禊ですからね。慎重になりますよね。
人は大人になると誰しも諸々の禍事罪穢れつき易くなりますよね。
自分ではつけていなくても、禊をしていても、他から執拗に
つけてこようとする輩もいるのでね。そういうのを腐れ縁なんていう言い方を
していますが、まあよいことではありません。己の元気を他人さまから、削がれてしまって、
それでみそぎになってしまう?。そんなのは、禊ではありませんよ(笑)