よく、顔にご飯粒がついてたりするのを人に指摘したりするときに、迷うことがある。


どう迷うかというと、


例えば相手の顔の右側にご飯粒がついてたとして、それを指摘するときに、



「顔の右側にご飯粒がついてますよ」



という場合ですむこともあるが、大抵はそれよりも、


具体的にどこにご飯粒がついているかを、自分の顔を使って教えることのほうが多い。


なぜかというと、言葉で説明したときに、


具体的にどこにご飯粒がついているか、


がわかりづらいからだ。



そこで、自分の顔を使ってここ、という場所を指摘するのだが、


相手によってはそれを鏡写しのように右側を指摘してたら、自分の顔は鏡写しなので、


左側を、左側なら右側を・・・というようにとってくれるかどうかが人によって違うからである。



人によっては、まったく逆についていると思って、反対を触ってしまうこともあるわけだから、


これはどちらをどう教えるかが難しい(笑)



そう、これはそんな大した事じゃない。


大した事じゃないんだけれど、こういうシチュエーションって絶対に出てくるわけだから、


その時に相手の立場で見たときに、どっちについていると思ってくれるかを考えながら、


毎回、指摘する。



でもね、


そもそも、


そんなに相手がご飯粒がついているということが起きるのか、


という指摘をされる人もいるだろう。


でも、子供と一緒にいたりするとか、そそっかしい人といたりするし、


別にご飯粒だけじゃなくて、ホコリがついてたり、ごみがついてたりすれば、


当然、こういった指摘はするわけだから、


やっぱりこれはあるべきことなのだ。



ということで、いつまで経ってもこの指摘が人によって違うので、うまくいかないので、


まあ、とりあえずこれでいいや、という風に思うようにしている。



だって、相手によるわけだし、


もしかしたら、


好きでご飯粒をつけてるかもしれないわけだから(笑)






何も考えないようにしよう、と思うと、ついつい頭でいろんなことを想像してしまう。


こればっかりは、不思議でしょうがない。


じゃあ、何か考えよう、と思ったりすると、今度は何にも浮かばなかったりする。


これも、なぜだかよくわからない。


つまり、人は、何かを考えようとしなくても考えていたり、想像したりしていたりするわけで、


逆に想像しようと思ったりすると、何も考えたり想像したりしなくなったりする。



だから、今もブログを書いているときは、書こうと思ったことを書いているというより、


手が勝手にキーボードを打っている文字を、目で追いながら、それをまた手が勝手にキーボードを


打っている感覚で書いている。


だから、書いている、というより、打っている、という感覚である。



人は想像することで何かを生み出したり、また何かを恐れたり、また何かを喜んだりする。


でも、想像することは、しようと思って出来ることではなくて、きっと、頭の中で整理する状態のときに、


その整理しようとして記憶に残っていることや、これから記憶を残そうとしていたりしていることを、


イメージとして見せてくれているのでは、と思う。



だから、あまり心の状態がよくないときは、悪いことばかり想像するし、いいことを想像しようとしても、


それを心が制御しているせいか、いいことを想像しようとはしない。


そんな時は、それこそよくないことをとことん考えていくだけなので、


それを消し去るような音楽を聴くのがよい。


すると、急に何も想像をしなくなったりする。


さっきまでさんざん想像していたのに。



ただ、これだけはいえるのは、想像はあくまでも想像だから、それをいくら想像したところで、


何も物事は進んでいないということ。



あくまで、頭の中のイメージでしかないから。




音楽を持ち歩ける。


時代をさかのぼると、まずはカセットウォークマンだろうか。


カセットテープに自分の好きな曲を入れて(もちろん、CDから録音したりする)、


それをカセットウォークマン(ウォークマンはソニーの商品名だけど、似たようなものはみんな、


ウォークマンとよんでいた(笑))で聞いている時代。



そんな中、CDウォークマンというのが出た。


CD自体をプレイヤー(ウォークマン)に入れて、そのまま曲を聴けるという代物だ。


ただ、これはカセットウォークマンと違って、爆発的に売れたわけではなかった。


なぜなら、CDプレイヤーをそのまま持ち歩くものだから、


当然、歩けば振動で音飛びがする。


それが続けば、ほとんど曲をまともに聴くことなんて出来ない、ということから、


重宝はしたものの、慎重に扱わなければならないものだった。



そこにMDウォークマンという、カセットテープよりも頑丈なやつが登場する。


MDのすごいところは、カセットテープのように磁気テープで出来てないので、音が間延びしないこと(笑)


でも、音飛びがしないかというと、走れば当然する場合もあるが、


CDウォークマンに比べれば、そんな比ではない(笑)



しばらく、MDを使う日が続いた。



そこへ、今度はipodという、ハードディスク自体に曲を入れて持ち歩けるものが出た。


SDカードで聴くやつも、ある意味同じ。



そう、今まではカセットデッキやら、CDデッキやら、MDデッキやらの、プレイヤーを通して、


録音したりしていた作業が、パソコンで出来るという、ある意味画期的、衝撃的なものであった。



そのお陰で、家にあるCDは全てパソコンに入れ、それをipodにも全部入れて持ち運べるという、


すごい時代になった。



今、手元にはipodがあり、それで曲を聴きながらブログを書いている。


一昔前なら、CDプレイヤーにCDを入れて、曲を聴きながらやってた作業である。



つくづく、便利になったなぁ、ということと、


音楽を持ち運べるようになったんだなぁ、


という思いがよぎる。



ちなみに、昔録音していたカセットテープがまだ家にはある。


プレイヤーが無いので、再生できないが、


いったい、このカセットテープには何が入っているんだろうか。



たぶん、



その当時の思い出



が入っていることだけは、間違いないだろう。







FNSの27時間テレビを見ていて思ったのは、


普段収録された番組でやっているものを生放送でやる際に、


しゃべっている人の声がぜんぜん聞こえないんだなぁ、ということ。


ピンマイクをつけている人はともかく、


そうではない人の声を拾うには音声さんが音声マイクで拾うんだけど、それが間に合ってないのと、


とにかくしゃべる人が多すぎる(みんながいっせいにしゃべりすぎる)せいか、


何を言ってるかが聞き取れない(笑)



収録された番組ではよくテロップなどを流すけど、なぜそれを流すのかがよくわかった、


というのが生放送を見て改めて思ったこと。



テロップを流してもらえるだけで、その人が何を話しているかがわかるし、


何を話そうとしているかもわかるから、それだけでもテロップを流す意味があるのだなぁと感じましたね。



それにしても、あれだけの数の芸人さんが集まると、


とくにしゃべる人がいっせいにしゃべるせいか、


よゐこの二人はほぼしゃべってなかったなぁ(笑) というのがよくわかりました(笑)



ほとんど、他の芸人さんがしゃべってるのを見て座って笑ってたりしてましたからね(笑)




初めていくところには、カーナビを一応使って道を調べることにしている。


がしかし、カーナビのデータをバージョンアップしているわけではないので、


カーナビのデータがいつだったか、によって、道があったり無かったりすることが多々ある。



今もっているカーナビも、多分発売から1年か2年くらい経つと思うので、


気がつくと道だったところ(既に家が立ち並んでたりする)を案内される。



「次を右に曲がります」



と言われても、道が右にはなく、というより、あるのは家だらけ(笑)


また、今日もちょっと遠出をして道案内をカーナビに任せてみたところ、


実際についたところは何もない土地に・・・。


なんとなく到着地点に近づいていくごとに「違うなぁ~」と思ってはいたものの、


まさかなぁ~~~~~~~~んにも無い場所に連れて行かれるとは・・・(笑)



結局、再度目的地を入れなおしたら、きちんと目的地に到着できたけど、


何で最初はだめだったんだろうか・・・(笑)



カーナビはやっぱり、万能ではない、というより、うちのカーナビはほとんど信頼が2割程度なので、


とりあえずなんとなくあってるな、くらいのレベルであれば十分であると思うようになった。



それにしても、ほんと、何で何も無い場所につれてったんだろよ、カーナビ君。