どんなことにでも、疑ってかかってしまう人がいることは、よくあることです。
疑うことは、むしろ、仕方がないことだと思います。
それは、今までに自分が騙された経験があるからだからです。
そうでなければ、疑うことなど、しないでしょう。
素直になろう、と簡単にいったところで、
そう簡単に素直になれるわけではありません。
むしろ、素直になることがどれだけ難しいことなのかを、実感させられるでしょう。
それでも、私は思います。
素直になろう、と。
これは、現実を受け止めるでも、何かを信じることでもなく、
自分が本当は何がしたいのか、という気持ちに対して正直に向き合おう、ということです。
普段考えないから、なかなか答えなんて出てきません。
でも、それでいいんです。
素直になることを始めることで、自分が本当にしたいことを片鱗が見えてくるのですから。
表現者、役者の人などは、とにかく自分をなりきる(だます)ことが素直になることです。
その役に入り込むことは、自分の今までの人生を否定してまで?その役になりきることもあるからです。
そんな風に考えていくと、
素直になることというのは、自分の気持ちをはっきりさせることだ、ということに気付くでしょう。
考えてなくたっていいんです。
ただ、素直になろうとすること。
それだけで、人生は違った視点で見えてくるようになるんです。
新しい、扉を開くために、素直になろう。
人生は人によって違うし、
人によって同じになるわけがないのは当たり前なのだ。
それは、その人にしか背負えない宿命をもって生まれたからだ。
何事も、転機が起きることがある。
事故だったり、何か失敗をやらかしたりしたときなどは、特にそうだろう。
でも、そんなときこそ、自分の生き方を見つめなおすチャンスではないのだろうか。
人間は小さな出来事はさっと通り過ぎてしまいがちである。
だから、大きな出来事を起こすことで、自分の生き方がそれでいいかを
確かめるキッカケを与えてくれる。
それがどんなキッカケかは人によってバラバラだ。
だけど、そのキッカケをもとに、自分が本当にやりたいことに気がつくことこそ、
生き方を決める大切なプロセスなのだ。
だから、嫌なことがあったり、めんどくさいことがあったりしたときも、
自分の生き方は1つには縛られない。
嫌なことから逃げるのも、めんどくさいことから逃げることも、できるからだ。
そう、その時、自分がどんな生き方をしたいかが、
生き方を決めていくんだと思う。
それの集大成が、自分が死んだとき、表れるのだ。
だから、後悔とかそんな小さなことよりも、
自分で選んだ道はどんな道だったのかに比重を置いて、考えてみるべきなのだ。
今やってることに、無駄なことなど1つとしてないのだから。
ただ、これだけはいえる。
死んだ後、残るのはどんな風に生き方か、ではなく、
どんな死に様をしたか、だけであるということである。
だから、生きてるうちに、生き方を1つに決める必要なんてないのだ。
いろいろ探すことにこそ、生きるという意味になるのではないか。
そんな気がしている。
音とは言葉である。
言葉とは、音に後から共通の意味をつけたに過ぎない。
だから、
赤ちゃんは音(泣き声)だけで、親に何かを訴えかけることが出来るのだ。
そう、音を発信しているだけで。
そう考えると、音とは言葉である、と言い換えることも出来る。
言葉が通じない国同士のものがしゃべっても、
音の抑揚によってなんとなく感情は伝わる。
それは、言葉が伝えるのではなく、音の微妙な違いが相手の心に響くからだ。
だから、言葉が通じなくても、伝わるのだ。
人間は昔から、
この音を利用して生活を便利にしてきた。
この音を最大限に一番利用しているのは、赤ちゃんだろう。
万国共通、赤ちゃんは泣くことしかできない。
しかし、その泣くことですべてを伝えることができる。
それは、音が言葉であることの何よりの証拠であるからである。
役者の上手い下手でもそうだが、
上手い人は音の使い方がうまい。
その場面に合わせて音を自在に操る。
なぜなら、基本的に台本に書いてあることを読むだけなのだから、
それをどう表現、そう、音として表現するかはその人にゆだねられる。
その音をうまく使える人こそ、役者としても一流の証なのだ。
たかが空気の振動とあなどるなかれ。
音は、言葉として、そして、相手の心に響く道具として、
世界中で使われている。
そのことをもう一度頭に入れた上で、言葉を使おう。
そして、音の魅力に気付こうではないか。
そんな気がする。
人は言葉を話す生き物です。
ですが、民族によって話す言葉が違います。
それによって、
異民族同士では、言葉のやりとりにどうしても限界があります。
そこで大事なのが、
言葉の受け取り方です。
その人の言葉の受け取り方は、
その人が今まで生きていた価値観で決まります。
つまり、価値観こそが、共通の言語になり、言葉の受け取り方の受け皿になるのです。
そう考えると、
価値観が違う人同士の会話はどこかぎこちないことがわかるでしょう。
それは、当然なのです。
同じ価値観をもっていないのだから。
だからこそ、舞台であれば、何度も怒られながら練習して、
少しでもみんなと同じ価値観を得ようと必死になるのです。
相手の 言葉が素直に受け取れない場合、
まずは相手と自分の価値観の違いを確かめてみてください。
そこに必ず答えがあります。