山羊の角


  
  抱けば子の熱きはらわた十三夜  俊


十 三 夜

(後の月 豆名月 栗名月 名残の月 女名月 姥月)とも言われている。


陰暦九月十三日の月。八月十五日の名月と同様、供え物をして祭る習慣がある。三宝には栗や枝豆を盛ったりするので、栗名月・豆名月の名もある。月光は名月のころよりも澄み、冷たい感じになる。最後の月として名残の月ともいう。民間では十三夜の習俗が伝わっていて、女名月・姥月などともいわれている。晩秋になって、満月ではなく少しかけた月を賞でるところは、いかにも日本的である。夜はかなり寒くなり、もの寂しい趣が愛好される月見である。
                     (現代俳句歳時記/角川春樹 編)


<『山羊の角』 鎌田俊 第一句集/恵曇舎/装幀 丸亀敏邦>


 自序を書く、なんとも気恥ずかしいことである。思えば私は、次女ではなく次男であった。

  流木の匂ひ手にあり寒昴
  義仲の最期のくだり息白し
  ふらここやたましひ誰も買ひに来ず
  蟷螂のやさしさだけが枯れ残る
  鮫にしか聞こえぬ海の音があり
  飽食の世に狼の生きられず
  顔ひとつ桜の前に置いてくる
  鳥にならうか桜桃を口に継ぎ
  湯屋ひとつ花の時雨に灯りけり
  ふところの竜を育てて去年今年
  子の尻を拭うてやりぬ夜の秋
  売られたる喧嘩や四万六千日
  双六の赤い広場に来てをりぬ
  ばらの雨白い鯨が来るだらう
  いちにちを蒼くつかひて沢登
  抱けば子の熱きはらわた十三夜
  冬薔薇のぞけば港ありにけり
  立ちしまま馬の眠るよ十二月
  赦されし鳥より雲に入りゆく
  子の形せし陽炎を抱きあぐる
  子を負ひて五月の端を踏んでをり
  黒あげは表と裏をつかひをり
  尾翼立てダリアのぬるき雨に遇ふ
  マリーナに日柱そだち秋燕忌
  金風や子の触れてゐる山羊の角
  千年を滝まつさらに落ちてをり
  日本史に蟬一匹の鳴きにくる
  ももいろに餃子茹だりて春浅し
  衰へる尾のはるかなり花月夜
  雲の峰どの少年も無銘なり


<付録にかえて 蛇の足‐俳句になじみのない方へ/鎌田俊>

 俳句の特徴に十七音、切字、季語がある。なかでも季語は予備知識が必要なので、全作品について季語を指摘し、いくつかについては関連季語を挙げた。また、日常ではあまり使わない語句には解説を付した。
 俳句は短い詩型である。説明を省略、言葉をリズムに乗せて読者の心に打ち響かせることで、音楽を生み、連想を喚起し、余情を生みだすことになる。
 俳句作品は二つに大別することができる。一つは、季語を中心の題材として詠み、「一物仕立て(いちぶつじたて)」という。もう一つは、季語を含めた二つの題材を効果的に配合して詩趣を醸成する「取り合せ(とりあわせ)」と呼ばれるものである。
 この句集から例をあげると、「一物仕立て」は〈とんぼうの翅にさざなみたちにけり〉という、季語「蜻蛉」を中心に詠んだ作品。「取り合せ」は〈流木の匂ひ手にあり寒昴〉という、季語「寒昴」に句中の人物の心境を託した作品である。
 季語のもつ情感や象徴性と、作者をとりまく世界を調和・衝撃させる「取り合せ」は読解するのが難しいと言われるが、もともと作者自身が言葉にしがたいものを捉えようとする表現方法だと思っていただいていい。感じるもの、読み取る内容は読者の自由に任されている。俳句は一行で書かれる詩であるが、一行で記すまでに、数多の行間を削ぎ落としている。最後に残されたのは、一行の俳句を境界にした、作者と読者という間合いのみである。いわばこの最後の行間に、俳人は表現のすべてを託しているといえる。
 なお、本句集の俳句の表記は歴史的仮名遣いであるが、本稿では俳句中の漢字に現代的仮名遣いによりふりがなを付した。季語の分類は、四立(立春、立夏、立秋、立冬)で区切り、正月に関係するものは「新年」とされる。
 (俳句文芸の理解と普及にご活用いただければ幸いである)

   1 流木の匂ひ手にあり寒昴
    寒昴(冬)牡牛座の星団で寒中に見える。
  18 とんぼうの翅にさざなみたちにけり
    とんぼう(秋)、蜻蛉、あきつ、鬼やんま、塩辛蜻蛉、赤蜻蛉。糸蜻蛉は夏。
  


<抱けば子の熱きはらわた十三夜>                 
                                   原  桐子

「おまけして三千グラム」。助産師さんの張りのある声に半身を起こし見上げた私の第一子は、眩いばかりに輝く女の子だった。
 その年の十三夜、その子を抱いて月を観た。腕に伝わる子の首の熱さに、明るい未来をこの子にくださいと願った。
作者の腕に伝わったのは、やわらかくもずっしりとした「はらわた」の熱さ。やさしく力強く呼びかけてくる子の鼓動にみなぎる命を感じ、小さくとも確かな明日をこの子に約束することを誓ったのだろう。
 「腸には脳があり、しかも豊な感情を持っている」と、アメリカの神経生理学者、マイケル・D・ガーションは提唱している。腸(はらわた)は、腸にしみる、断腸の思い、腸を探る等人間の情動を表わす言葉に使われている。
 理をもってはかることのできない本能、あるいは覚悟か。作者はこの時、親子の情愛と責任を直観したのだろう。
 十三夜の明度と「はらわた」の平仮名表記により、腸の湿り気と生臭さが消え、温かくやわらかな十七音になっている。
 子を抱き、希望に満ちて行く静かな月夜に包まれている姿がそこに在る。

                   (俳誌『河』平成28年3月号より転載)


<著者略歴/鎌田俊(かまだしゅん)>

昭和54年山口県生
平成14年 「河」入会
平成16年 第25回角川春樹賞
平成17年 河新人賞
平成19年 河賞
平成23年 第8回銀河賞
平成24年 「河」編集長
平成25年 「河」副主宰
平成27年 第13回秋燕賞