小雨あり加ふるに夜来の強風遽に(注・にわかに)暖気を催し気候甚だ不順なり

 寒暖計五十六度(注・=摂氏13.3度)

 

 

 桜島の爆発頻々として惨状極むる由新聞紙上に満載せり。

 

 午後中村歌右衛門より依頼の代々木新宅図案を作製す。

 

 [梅若万三郎評論]

 午前能楽雑誌記者来訪、今度同雑誌に梅若万三郎の評論を記載するに就き余の所見を聞きたしとなり。余は万三郎を師とする者なり其評論家としては適任に非ずと辞退したれども、懇請に依り一言せり。曰く、万三郎は其父実が五十歳前後気力の充実したる時に薫陶を受け、実の生前既に其技芸を継承せり。故に実は余等に向つて万三郎は能楽上既に学ぶべきものを学び了りて是れよりは唯自ら工夫する一段となりたり、惟ふに彼れが私の年配にならば私よりも上手に為るべしと公言せし程なれば彼れの技芸が既に蘊奥に達したるは言ふまでもなし、万三郎が性行謹厚にして謙抑なるは技芸の上にも現れて、綾羅に壁を裹[つつ]みたるが如く奥床しく底光りあり、宝生九郎既に老たる今日、徳望を以て能楽界を統率する人を要する事切なければ万三郎の如きは実に此社会の宝物と云ふべし、さるにても此宝物を後に胎したるは則ち実の丹精にして、彼は維新後我が能楽再興に殊勲あるのみならず其芸術継承者養成に於ても亦最も尊重すべき功労ありたる者なり。

 

[山谷八百善改築]

 午後三時より八百善の新宅開きに招がる、八百善は今度旧家屋を改造して二階に重五畳三間続きの座敷を造りたるに就き、其披露として石黒男爵、馬越恭平、田中親美、山澄力蔵と余を招待せしなり。寄付は旧家屋の木材を利用して造りたる十一畳床付きの間にして、掛物の【酒井】抱一筆蓬莱山の図は絶品なり、庭前に出でて一覧するに、旧庭は小さき築山の上に老松一本石灯籠一基あり、片隅の生籬に四つ目垣を結び交ぜ、真に瀟洒にして茶屋めかぬ所に言ひ知れぬ味ひありしが、今度は新に大木を植え大石を用ひて悉く旧佳処を破壊し了りぬ。但し二階の広間は桂離宮式を採用し、面皮普請にて概して角張らず先づ以て上出来の方なり。上段床には光琳百図中の恵比寿岩上鯛を釣る図を描け、砧青磁の竹の子花入に寒牡丹を挿みたるが色合も好く無瑕にて結構なり、次の間には常信筆檜に鶯の一軸を掛けたるが古川叟の落款ありて是れ亦頗る傑作なり。吸物膳椀は明月椀写なるが椀を赤く膳を黒くしたるは好き着想なり、余興には紫朝の新内二段あり。彼の青磁花入に対しては当家第一の宝物正信筆布袋の一軸こそ最も好取組ならんと言ひ出たるに、主人も心得て光琳を正信に取換へけるが果して申分なき取合せにて座客一堂感歎せり。

 

[石黒忠悳男(爵)の珍談]

 座談の上手は例に依て石黒男(爵)にて、男(爵)が過ちの功名と云ふ事に就き語るを聞くに、男(爵)の郷里にて有名なる煙火屋が数々打揚げたる煙火【注・えんか=花火】の中、一本打揚げ前に誤つて破裂したるに観客一同手を打つて今度は蘇鉄を見せたのだと褒めたる事あり、世人の信用を博すれば過ちも却て功名となる事斯くの如きもの多し云々、味ひある佳話なり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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