月曜日

 晴 寒暖計四十七度(=摂氏8.3度)

 

 夜来の強風漸く収まる。

 

 池田慶次郎予て噂し居りたる川部利吉所持東山時代松竹梅蒔絵錫縁香合(三千円)を持参す。川部は一時余に買上げを乞ひ、他日不用と為らば買戻したしと希望し居る由なれば、兎に角買置く事と為せり。昨日、川部、池田等原宿池田(注・仲博)侯邸に赴き、雑品笠伏入札の準備を為し明日之を実行する筈なるが、見積金額一万円内外なるべしと云ふ。

 

 徳川家達公所蔵名物茶器の実見記を口授す。

 

[高田釜吉氏の音曲談]

 午後六時、高田釜吉氏の木挽町山口楼の晩餐会に出席す。高田氏は先頃或る友人会合の席に於て一中節を語りたるに、之を聴かされては一夕の御馳走なかる可からず、と同席者より要求せられたれば当夜此宴を催せし由、来賓は井上辰九郎、有賀長文、岩原謙三、土方久徴、川田鷹、今村繁三諸氏なり。高田氏は先頃余が茶人の御馳走には一品位必ず心入れの品物を交へざる可らずと言ひたるを、至極尤もと思ひたりとて今日国分寺の別荘に赴き自から鶉十数羽を打取りて、当夜席上に於て之を透き焼と為し葱に大根下しを添へて饗応せられたるには一同大満足なりき。余興は典山(注・錦城斎てんざん)の仙台騒動講談なりしが、後高田氏は自から義太夫を語るべければ余にも一曲をと頻に所望するに依り、余はおしんをワキとして清元保名を唄ひ藤間政彌に踊らせたり。続いて高田氏は其師匠某の三味線にて初めに紙治、後梅川の一節を語りしが、役者の声色などを学びたる事ありと覚しく口跡に稍聞くべき所あり。後余は高田氏が一中節を語りたるに依り今夕の御馳走を為したりとすれば、余も亦先例に倣い来月四日を卜して当席に於て今夜列席の諸君を招待すべしと相約せり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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