火曜日

 晴 寒暖計四十二度(=摂氏5.6度)

 

[帝劇新年会諸名士の雑談]

 午前十一時、木挽町田中家に催されたる帝国劇場新年宴会に出席す。当日は帝国劇場社長大倉喜八郎男(爵)、同専務山本久次郎の主催にて、帝劇縁故者渋沢栄一男、小村欣一侯、福澤捨次郎、角田真平、坂田工学博士、役員側に於ては村井吉兵衛、福澤桃介等を招待し、松本幸四郎、尾上松助、沢村宗十郎、作者右田寅彦、舞台主任伊坂梅雪、其他帝劇俳優の重立ちたる者出席。最初に典山の水戸黄門記講談あり、次に小村侯の注文にて三遊亭圓右の素人芝居落語一席あり、圓右が或る村の素人芝居に於て役人不足の為め三河出の藪医者に本蔵の役を割当てしに、其本蔵の台詞が次第に万蔵の調子に変り行く所を話す軽妙、人の頣を解きければ、松助は何時の間にか釣り込まれて首を振り手を動かし之に聽き惚れたる其可笑しさ、頗る珍妙の図柄なりき。是れより前、待合室にて来客暫時雑談に耽りたる時、渋沢、大倉、角田、尾上松助等が維新前後の劇場変遷に関する感想談は頗る珍妙なるものあり。渋沢男は嘉永六年ペルリが初めて渡来したる時、初めて猿若町の芝居を見物したりと云ふ。其頃は芝居払暁より始まりて深更に至るまで興行するを常とし、忠臣蔵十二段を一日に演じ了るという云ふ有様にて、当時の観劇者は幕間の長きに頓着せず、前日より支度して夜の明けぬ中より芝居に繰込み、只長時間劇場の内に居て飲食するを無上の楽みと為したる者の如し。角田真平氏の談に、先年読売新聞にて観劇と云へる発句を募りたる事ありしが、其時幾万首中の秀逸は、

 春雨や芝居見る髪宵にゆふ

と云ふにて、最も当時の人情を穿ちたる者と思はれぬ。又新年吉例として曽我の狂言を演ずるのは如何と云ふに対して尾上松助の談に、初代市川團十郎が或る劇場の非常に寂れ行くに当りて、新年に曽我を演じたるに忽ち当時の人気に投じて、一月より五月まで打続きの繁昌を来したるにぞ、翌年一月にも又曽我の狂言を出したるに是れ亦大入を占めたれば、夫れより年々吉例として曽我狂言を繰返すに至りたるなり云々。当日小村欣一侯と雑談中、欧州講和会議に於て国際連盟の事が第一着に提議せらるる由なるが、如何なる形式を以て斯くの如き大問題を取纏むる事を得べきやと言ひたるに、今や米国大統領ウヰルソン氏は講和会議に出席して予て提唱したる国際連盟を何とか取纏めざれば米国に帰りて其面目を維持する能はず、苦心惨憺の有様にしてロイドジョウジやクレマンソー等にも夫れぞれ内談する所ありしならん。結局此国際連盟は欧羅巴と米国と東洋と世界を三つに分ちて、欧州方面は英仏伊の三国が国際連盟の警察権を持ち、米国は南北併せて北米合衆国が其平和維持者と為り、東洋は日本に警察権を委託するの外なく、此東洋の警察権を日本に委託するに就ては英国に於て最も異議あるの由なれども、斯くの如くせざれば到底連盟を実行する能はざるに依り、ウィルソン(ママ)氏は結局英国を説伏するに至るならん。斯くて此警察権即ち兵力を維持するに就ては、其管轄内に於ける各国が其費用を分担するの制度と為し、又或る連盟が我儘勝手の働きを為すが如き事あれば、他の連盟が之を詰責して若し猶ほ承伏せざる時は之れと交際を断絶して、貿易其他物資の供給はもちろん、様々の方便を以て其横暴を制圧するの規程を定むる事ならん。斯かる制度が永久に維持せらるべきや如何は知らざれども、米国大統領は此辺に於て国際連盟を実現する考なるべしと思はる云々。

 

 午後六時、有楽座に赴き長唄研精会を聴聞す。翁三番叟、鶴亀、賤機帯、中入後越後獅子、大正の栄の番組なり。余は翁三番叟より聴聞せしが、小三郎タテにて荘重なる中に優雅なる節廻しあり、新年の出物として誠に面白き者なりき。鶴亀は小四郎タテにて平凡、賤機帯は小三蔵タテにて例の如く趣味に乏しき唄ひ振は、畢竟斯かる曲を唄ふに適せざるを知るに足る。小三郎の独吟越後獅子は流石に手に入りたる者なり。六四郎のタテ、三太郎のワキ三味線にて替手の合の手も面白かりき。当夜は土間正面の一番遠き所にて聴聞せしが、文句は聴取れたれども音声は十分に徹底せず、蓋し日本の音曲は余り広き場所に適せず、有楽座は実際八百人を容るるに過ぎざれども小三郎の音声にして已に斯くの如し。若し細き節廻しを十分に味はんとすれば四、五百人を容るべき会場にて、然かも音声の反響に注意したる建築が最も適当ならんと思はる。

 

 

 

 

 

 

 

 

0081490128