土曜日

 曇 寒暖計四十六度(=摂氏7.8度)

 

[蜂須賀侯追悼歌]

 蜂須賀正韶侯(爵)より来る二月六日は故茂韶侯の一週(ママ)忌に相当するに依り、寒月と云ふ題にて故侯生前の知己に詩歌の染筆を乞ひ、記念帖を作りて霊前に供ヘンとするに就き、余にも一筆請ひたしとて紫地銀砂子色紙を廻送せられければ、本日左の一首を認めて蜂須賀家に差送れり。

 

  蜂須賀侯の追悼に寒月と云ふ事を

 

 寒けくも月ふけわたる高とのにうたひし君のまさぬかなしさ

 

 

 山田敏行氏より交詢社にて来る二十三日頃交謡会を催さんとするに就き出演の事を依頼し来る、尚ほ他の出演者に就ても余の意見を聞きたしとの事に就き夫れぞれ注意を与へ置けり、

 

 年始雑煮六篇を時事新報に送る。

 

 

[井上侯の戦時欧州宮廷談]

 午前十時、内田山井上侯邸に赴き、去る七日東伏見宮随行員として欧州出張先より帰朝したる侯爵を訪ひしに、当日宮中御陪食にて不在なれば侯爵夫人に面会、侯爵の土産話を伝聞せしが中に、

 

 「英国にてはコンノート殿下が日本に渡来せられし際、非常の歓待を受けさせられたる返報の意味もありしならん、其歓迎実に非常にして英国皇帝と会食四回に及び、其他朝野の優礼も言語に絶せり。英国宮廷にては戦時中国民の模範として飲酒を禁ぜられしに依り、晩餐と雖も一切酒類を出さず、又民間の物資は非常に騰貴して約四倍と為り、殊に木材等の不足極度に達せり、人夫は兵役に徴発せられたるが為め、旅館の給仕人甚だ少数にして容易に用便を果すを得ず、宮家と雖も微行して旅館に在る時は例の切符を以て食物を購求するの有様なり、東伏見宮殿下は英語、仏語共に堪能にて外国人との交際に慣れ給へば、通弁を用ひずして皇帝陛下と直接談話せらるるに依り一層彼の地の好評を博せり。後来は外国との交通益々頻繁と為るべければ、深き学問を為すよりも先づ第一に交際上言語を自由にする事が必要にて、我が皇太子殿下の御教育なども十分此辺に注意せざれば他日非常なる御不便を感ずる事あるべしと恐察す。又殿下が白耳義【ベルギー】皇帝を戦地に訪ひたる時は、皇帝が飛行機にて戦地を一週(ママ)して帰着せられらる所にて、中食の饗応は粗末なる食卓にて食事は只三品に限りたるを以て観るも、戦地の状況如何を察するに足るべし。井上侯は白耳義皇帝より其節敵の砲丸を以て製造したりと云ふ鉄製の時計を下賜されしが、是れは功労ある軍人其他に賜はる者にて、侯の賜はりたるは二千七百八十七番目なりと云ふ。而して近来英、仏、白耳義等は時間を午前午後と区別せず、夜の一時より一二三泗と数へて夜中が二十四時と計算する事と為り、時計の記号も悉く此二十四時組織に改まり居り。現に此時計も即ち同式に拠って製造せられたる者なり。」

 

とて侯爵夫人は右時計を示されしが、鉄製時計の裏に金を以て王冠の模様を彫り出されらる者にて、戦地用の為めにや頑丈造りに見受けられぬ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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