水曜日 

 淡晴 寒暖計五十六度(注・=摂氏13.3度)

 

 花曇りにて春色漸く人に可なり、諸方の桜花少しく紅蕾を含みたるが今年は例年に比して花候数日間遅延したるを覚ふ。

 

 参謀総長上原勇男(爵)より電話にて、知人蔵幅の鑑定を乞ひたきに就き明日午前中に自身持参、序ながら伽藍洞の模様も拝見せんとす、都合如何と問合せあり、因て目下家屋の一部模様替へにて取り散らし居れば御来訪は他日に願ひ、先づ其幅類を拝見すべければ使者を以て御届あるべしと答へたるに、夜分に至り劉松年筆山水中人物行列巻物、安信筆中布袋左右瀧鯉三幅対、柳里恭筆中福禄寿左右山水三幅対を回示さる。何れも絶品には非ざれどもさりとて又偽物にも非ず、明朝上原勇男に面会して委細所見を申述ぶべき筈なり。

 

[金更紗服紗の消失]

 午後一時、日本橋倶楽部に赴きたるに、山下亀三郎氏只今辞去したる所なりと云ふ。昨日より今日に掛けて入札品観覧者終日各室に満ちたるは世間に数奇者の増加したる一証と見るべし。場内にて益田多喜子の談に、過日稲葉、平岡両家入札会の節七千百円にて落札したる平岡家所蔵萌黄地金更紗服紗は其後大阪人の手に落しが、大阪三越呉服店にて模様参考の為め一時右所蔵者より借入置きたる其際、同店旧館の出火にて遂に烏有に帰したれは今や代償を以て弁償するか或は同種の更紗を提供するか未だ決定せざれども、多喜子所蔵の更紗中に同種類の萌黄地金更紗一巻あり、三越社長野崎広太氏は真逆の時には之を譲受けて持主に返還する積りなりとて予め多喜子に依頼したとなり。物品の存滅は人智の測る所に非ず、若し是れが平岡の庫中に在りたらんには容易に焼失せざるべきに、人手に渡るや否や忽ち火災に罹りたるは、形あるもの必ず滅すの一例として見るべきなり。

 

 山県公夫人も亦下條正雄氏夫婦と共に来会、休憩室にて暫時雑談せしが、山縣元帥は旧冬以来風邪に冒されず元気倍々旺盛にて、来る十日頃より京都に赴き久し振りにて同地の花を賞玩する筈なりと、幸ひ来る二十一日京都鷹峯常照寺に於て吉野太夫の追善茶会を催す筈にて、土橋嘉兵衛等は今より頻りに余の来会を乞ひ居れば其頃余も入洛し、山県公夫妻と共い鷹峯吉野会に出席しては如何と言ひたるに、夫人は至極面白き事なり、予て鷹峯を見物したしと思ひ居りたれば主人も必ず悦んでお供するならんと言ひ居れり。

 

 夕刻清元お若来宅、久振りにてお菊を復習し十六夜を稽古す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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