ゴーフル抄(続編) | 松山兎月庵 文化歴史館

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野育ちなれど格高し・・・・

時々ではあるが某社長やその昔、少しだけ事業を手伝った方々がゴーフルを手土産に訪れてくれる。
私のゴーフル愛は幼年の頃から現在に至るまで続いているもので似たような物がスーパー等で売られているがこれは問題外、蘊蓄の対象にはあらず。

昨日も手土産に限定ゴーフルをいただいた。
私のゴーフル統計を顧みた時、一つの法則がある。
それぞれが「気遣い」や「感謝」といった人間関係には欠かせない潤滑油のようなものを豊富に持ち、中庸で物事を捉えられる方々。

大切な時間を割いて懸命に助け船を出しても己の利益、主張、仲間の中傷で自分を売る者は自分の思考ではゴーフルは持ってこない。

数年前、ある経営者が事業破綻寸前で相談に来た時、小さなゴーフルを持ってきてくれた。
手ぶらで来ればよかろうものなのに・・
そんな思いもあったがそれまでにいただいたどのゴーフルよりも嬉しく思った。
今は新たなスタートを試みているようだが仕事はシンプルに本来を磨いて機を待っているように感じ、私は将来必ず上手くいくと信じている。
その根拠はゴーフル。



自分は大いにもてなしたと自己満足して感涙に浸る輩もいるが「持て成し」というものはお客や相手に与える喜びや感謝であることを忘れてはならない。

美しい言葉を並べ立てなくても小さなゴーフルで思いは通じるもの。
少し遠回りして買ってきてくださるその気遣いと気持ちが私にとっては「黄金」なのである。