奇跡の亀龍気功(かめりゅうきこう)
転びました。
自転車で方向転換しようとしたら、
バランス崩してドッテンコロリンと。
両膝すりむいたくらいで、
たいした外傷でもないから、その後、普通に動いていたら、
突然
腰が痛くなりました!
前かがみはゆっくりしないとヤバイ感じです。
このまま無理するとギックリ腰になる。
55歳になると、その場で痛みがくるのではなく、
しばらくしてから筋肉が
「ちょっと〜さっきビックリした。緊張して縮んだよ〜っ」
と時間差で訴えてくるのです。
若いころと違って、筋肉の柔軟性が失われているので、
50歳を過ぎた方は、転んだら無理をせずゆったり体を休めましょう。
私はさらに、
体の声に耳を傾けてストレッチします。
時間ができたので読みたかった本に没頭。
金森 将さん。
私たちは自分で考えて、選択して、実行していると思い込んでいますが、
「自分では何もしていません」
と言い切ります。
この世界は全ては全自動で運ばれていると。
あるのは事実だけだと。
全てはおきるべきして、完璧におきていると。
私たちはその事実に内側で「良い、悪い」「好きだ、嫌いだ」「損だ、得だ」など解釈をして、喜んだり、悲しんだり、悩んだりしているだけなんだと。
↓YouTubeでノンデュアリティの金森幼稚園も聴きやすいです。
金森さんの解釈は、すごく納得するけれど、
少し説明が単純すぎるので、ドイツの若き哲学者「マルクス・ガブリエル」の本も読んでみました。
こっちは、やたらと文字が多かった〜。
金森さんがいう「全て決まって全自動でおきている」って考え方。ドイツの神学者マルティン・ルターも似たような主張をしていました。ただ、500年くらい前の人なので、「神によって」ってことですけど。
ガブリエルさんの説明では、(私がしっかり理解できたかどうか分かりませんが)
私たちに自由はある。
しかしその自由は、条件が完璧であるという前提つきで。
なのです。
たとえば、カフェでランチを選ぶとき、
サンドイッチを食べたくても、
売っていなくては選べないし、お金がなくては買えなし。
突然呼び出しの電話がなったら食べれない。
あらゆる条件が揃ってないとサンドイッチは食べられない。
自由だけど、決まっている。
私が自転車で転ぶのも、
あらゆる原因、条件が揃って、
転ぶべくしてコロンでる。
そこに、「転ぶなんて慌て者だ」「腰痛なんて情けない」「早く治さなきゃ」などと考えるとしたら、それは私の内側、思考の働き。事実ではなく自我の創り出す物語。
事実は
自転車で転んだ。腰が痛い。
だけなんですよね。
じゃ〜ゆっくりして、体を大事にしましょ。
突然与えられた空白の時間は、本を読んで豊かなものにしましょ。
そんなふうに過ごしていると、
とても心は安定して、幸せなんです。
(転んだのは痛かったけど)