問題文(段落番号は便宜上付けたもの)

 次の文章を読んで、後の設問に答えよ。

 

1 かりに「写真になにが可能か」という問いを自らに発した時、私にはそれに対する答えというより、ほとんど肉体的な反応といったようなものが二通り生れてくる。
2 一つは、いま自分が生きつつあり、さまざまなかたちで敵対する世界に対して「写真には何もできない」という一種の無力感である。しかしその無力感の下からたちまち意識に上ってくるのは、私が写真によって捕捉しえた世界のさまざまな意味であり、それを考えたときに生じてくる「写真に可能ななにものかがある」という認識である。実は、われわれの日々は、こうした問いと二様の答えのくり返しであり、どちらか一方だけではありえないのだ。アこのような事情はなにも写真に限ったことではない。表現芸術のすべてについていいうることなのである。
3 たとえば、今日、われわれの生きている世界の激しい動きと、その中から生れてきた鮮烈な変革の思想と、その挫折という起伏を前にして写真になにが可能かと考えた時には、われわれは無力感に陥らざるを得ない。政治と芸術を一元化しているわけではなく、われわれが生きていることのなかに両方ともかかわってくるから、このような無力感も当然なのである。しかし、この無力感の中で「写真にはなにもできない」といい切ったところでどうなるものか。しかしその無力感も、少なくとも写真にまつわるさまざまな既成の価値を破砕し、未知の世界の中に自分を位置づける上では有効である。いわばイ写真にかぶせられた擬制―リアリズムもこのうちに入る―虚構をひとつひとつはがしておのれの意識と肉体が露出するところまで下降する根源的な思考が欠落したところに、どのような透徹した精神のリアリズムもありえない。
4 だが写真がわれわれに衝撃を与える機会は、いまでも明らかに存在する。多くの人が記憶しているだろう一つの例をあげてみよう。われわれはベトナム戦争について多くのことを知識として知っている。しかし のある報道写真家がとった「路上の処刑」という写真ほど、ベトナムの意味を理解させるものはない。それは南ベトナムの国警長官をしていたロアンという男が、捕えた解放軍の兵士を路上で射殺する場面をとった二枚の写真である。一人の男がもう一人の男にピストルを向け、次の瞬間にはイモ虫のように兵士がころがっている。この男の死は、二つのショットの不連続のあいだに消失してしまい、この死の消失には胸の悪くなるようなものがある。ウ美しさも悲しみもないゼロの世界がそこに現われている。この世界の現前は多くの示唆を含んでいる。
5 この醜悪さが、もはや言葉でも意識でも捉えられないわれわれの存在の深いところに衝撃を与えるのである。しかもこの写真家は戦争を告発する意図によって撮っていたのではない。その写真、あるいは瞬間の写真が継起するあいだに消失した世界は、もはや彼の思想とか意識とかいわゆる主体を越えてしまって、何ものかになってしまっているのである。この写真はなにを記録したのであろうか。われわれは死に立ち会ったというより、死のゼロ化に立ち会ったのである。この痛みはなかなか消えない。
6 この問題をもう少し広げてみると、写真には、こうした世界の不気味さをとりだす能力がある、ということになる。たまたまそこに居あわせたからということもあろうし、また別の目的でとった写真の場合も少なくない。写真が生れてから百数十年にわたってとられ、残されてきた写真の群れをふりかえってみると、このような無数の人々の無数の偶然によって、全体としてたしかなものも、不気味なものも含めて人間の歴史の膨大な地質を構成しているようにみえる。
7 そう考えれば、改めて写真と、写真家の意味を問い直すことにつながってくる。写真家は不要なのか。それとも写真家はジャーナリズムの写真ページを構成するプロフェッショナルなのか。
8 主体の意識を考えた時、写真は不便なものである。エ自分の内部に思想があってそれを写真に表現するという俗流の考え方は、いつも写真によって裏切られるだろう。だが一方言葉で、たとえばアラン・ロブ=グリエやミシェル・ビュトールらがいかに外的な世界を描写しようと、それは時間の中を動いている意識にすぎないのに比して、写真は無媒介に世界を目の前に現わすわけである。写真と言葉とは異質の系に属しているし、世界をつかむ方法が違っている。今日の文明の変質をとらえて、それは活字文化から映像文化への移行だといわれてきたことにもいくらかの真実が含まれているわけである。読むよりも見る方が「わかりやすい」とか説得的だとかいわれることは、その現前性、直接の機能の一面をすくいとっているだけである。
9 おそらく写真家は、あらゆる表現者のうちでもっとも不自由な人間かもしれない。心のうちなる世界をあらわそうとしても、うつるのは外にある対象である。だが、そのような世界とのずれた関係が、実は、私をひきつけるのだ。写真家は、世界が自己をこえていること、そこには不気味なものもあることをもっとも明確に見出した最初の人間であるかもしれない。世界とは、人間そのものではなく、人間の意識によって構成されるものでもない。世界は存在し、かつ人間も存在している。世界とは反人間的な、あるいは超人間な構造と人間という生まの具体性とが織りあげる全体化のなかにある。

設問

(一)「このような事情」(傍線部ア)とあるが、どういうことか、説明せよ。

(二)「写真にかぶせられた擬制」(傍線部イ)とあるが、どういうことか、説明せよ。

(三)「美しさも悲しみもないゼロの世界がそこに現れている」(傍線部ウ)とあるが、どういうことか、説明せよ。

(四)「自分の内部に思想があってそれを写真に表現するという俗流の考え方は、いつも写真によって裏切られるだろう」(傍線部エ)とあるが、どういうことか、わかりやすく説明せよ。

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問題文(段落番号は便宜上付けたもの)

 次の文章を読んで、後の問いに答えよ。

 

1 学校教育を媒介に階層構造が再生産される事実が、日本では注目されてこなかった。米国のような人種問題がないし、英国のように明確な階級区分もない。エリートも庶民もほぼ同じ言語と文化を共有し、話をするだけでは相手の学歴も分からない。「一億総中流」という表現もかつて流行した。そんな状況の中、教育機会を均等にすれば、貧富の差が少しずつ解消されて公平な社会になると期待された。しかし、ここに大きな落とし穴があった。

2 機会均等のパラドクスを示すために、二つの事例に単純化して考えよう。ひとつは戦前のように庶民と金持ちが別々の学校に行くやり方。もうひとつは戦後に施行された一律の学校制度だ。どちらの場合も結果はあまり変わらない。見かけ上は自由競争でも、実は出来レースだからだ。それも競馬とは反対に、より大きなハンディキャップを弱い者が背負う競争だ。だが、生ずる心理は異なる。貧乏が原因で進学できず、出世を断念するならば、当人のせいではない。不平等な社会は変えるべきだ。批判の矛先が外に向く。対して自由競争の下では違う感覚が生まれる。成功しなかったのは自分に能力がないからだ。社会が悪くなければ、変革運動に関心を示さない。

3 アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)は、個人間の能力差には適用されない。人種・性別など集団間の不平等さえ是正されれば、あとは各人の才能と努力次第で社会上昇が可能だと信じられている。だからこそ、弱肉強食のルールが正当化される。ア不平等が顕著な米国で、社会主義政党が育たなかった一因はそこにある

4 子どもを分け隔てることなく、平等に知識を培う理想と同時に、能力別に人間を格付けし、差異化する役割を学校は担う。そこに矛盾が潜む。出身階層という過去の桎梏(しっこく)を逃れ、自らの力で未来を切り開く可能性として、能力主義(メリトクラシー)は歓迎された。そのための機会均等だ。だが、それは巧妙に仕組まれた罠だった。「地獄への道は善意で敷き詰められている」という。平等な社会を実現するための方策が、かえって既存の階層構造を正当化し、永続させる。社会を開くはずのメカニズムが、逆に社会構造を固定し、閉じるためのイデオロギーとして働く。しかし、それは歴史の皮肉や偶然のせいではない。近代の人間像が必然的に導く袋小路だ。

5 親から子を取り上げて集団教育しない限り、家庭条件による能力差は避けられない。そのような政策は現実に不可能であるし、仮に強行しても遺伝の影響はどうしようもない。身体能力に恵まれる者も、そうでない者もいるように、勉強のできる子とそうでない子は必ず現れる。算数や英語の好きな生徒がいれば、絵や音楽あるいはスポーツに夢中になる子もいる。それに誰もが同じように努力できるわけではない。

6 近代は神を棄て、<個人>という未曾有の表象を生み出した。自由意志に導かれる主体の誕生だ。所与と行為を峻別し、家庭条件や遺伝形質という<外部>から切り離された、才能や人格という<内部>を根拠に自己責任を問う。

7 だが、これは虚構だ。人間の一生は受精卵から始まる。才能も人格も本を正せば、親から受けた遺伝形質に、家庭・学校・地域条件などの社会影響が作用して形成される。我々は結局、外来要素の沈殿物だ。確かに偶然にも左右される。しかし偶然も外因だ。能力を遡及的に分析してゆけば、いつか原因は各自の内部に定立できなくなる。社会の影響は外来要素であり、心理は内発的だという常識は誤りだ。認知心理学や脳科学が示すように意志や意識は、蓄積された記憶と外来情報の相互作用を通して脳の物理・化学的メカニズムが生成する。外因をいくつ掛け合わせても、内因には変身しない。したがってイ自己責任の根拠は出てこない

8 遺伝や家庭環境のせいであろうと、他ならぬ当人の所与である以上、当人が責任を負うべきであり、したがって所与に応じて格差が出ても仕方ない。そう考える人は多い。では身体障害者はどうするのか。障害は誰のせいでもない。それでも、不幸が起きたのが、他でもない当人の身体であるがゆえに自業自得だと言うのか。能力差を自己責任とみなす論理も、それと同じだ。

9 封建制度やカースト制度などでは、貧富や身分を区別する根拠が、神や自然など、共同体の<外部>に投影されるため、不平等があっても社会秩序は安定する。人間の貴賤は生まれで決まり、貧富や身分の差があるのは当然だ。平等は異常であり、社会の歯車が狂った状態に他ならない。

10 対して、自由な個人が共存する民主主義社会では平等が建前だ。人は誰もが同じ権利を持ち、正当な理由なくして格差は許されない。しかし現実にはヒエラルキーが必ず発生し、貧富の差が現れる。平等が実現不可能な以上、常に理屈を見つけて格差を弁明しなければならない。だが、どんなに考え抜いても人間が判断する以上、貧富の基準が正しい保証はない。下層に生きる者は既存秩序に不満を抱き、変革を求め続ける。<外部>に支えられる身分制と異なり、人間が主体性を勝ち取った社会は原理的に不安定なシステムだ。近代の激しい流動性の一因がここにある。

11 支配は社会および人間の同義語だ。子は親に従い、弟子は師を敬う。部下が上司に頭を垂れ、国民が国家元首に恭順の意を表す。「どこにもない場所」というギリシア語の語源通り、支配のないユートピアは建設できない。ところでドイツの社会学者マックス・ヴェーバーが『経済と社会』で説いたように、支配関係に対する被支配者の合意がなければ、ヒエラルキーは長続きしない。強制力の結果としてではなく、正しい状態として感知される必要がある。支配が理想的な状態で保たれる時、支配は真の姿を隠し、自然の摂理のごとく作用する。ウ先に挙げたメリトクラシーの詭弁がそうだ

12 近代に内在する瑕疵を理解するために、正義が実現した社会を想像しよう。階層分布の正しさが確かな以上、貧困は差別のせいでもなければ、社会制度に欠陥があるからでもない。まさしく自分の資質や能力が他人に比べて劣るからだ。格差が正当ではないと信ずるおかげで、我々は自らの劣等性を認めなくて済む。しかし公正な社会では、この自己防衛が不可能になる。底辺に置かれる者に、もはや逃げ道はない。理想郷どころか、人間には住めない地獄の世界だ。

13 身分制が打倒されて近代になり、不平等が緩和されたにもかかわらず、さらなる平等化の必要が叫ばれるのは何故か。人間は常に他者と自分を比較しながら生きる。そして比較は必然的に優劣をつける。民主主義社会では人間に本質的な差異はないとされる。だからこそ人はお互いに比べあい、小さな格差に悩む。そして自らの劣等性を否認するために、社会の不公平を糾弾する。<外部>を消し去り、優劣の根拠を個人の<内部>に押し込めようと謀る時、必然的に起こる防衛反応だ。
14 自由に選択した人生だから自己責任が問われるのではない。逆だ。格差を正当化する必要があるから、人間は自由だと社会が宣言する。努力しない者の不幸は自業自得だと宣告する。エ近代は人間に自由と平等をもたらしたのではない。不平等を隠蔽し、正当化する論理が変わっただけだ

 

設問

(一)「不平等が顕著な米国で、社会主義政党が育たなかった一因はそこにある」(傍線部ア)とあるが、なぜそういえるのか、説明せよ。

(二)「自己責任の根拠は出てこない」(傍線部イ)とあるが、なぜそういえるのか、説明せよ。

(三)「先に挙げたメリトクラシーの詭弁がそうだ」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。

(四)「近代は人間に自由と平等をもたらしたのではない。不平等を隠蔽し、正当化する論理が変わっただけだ」(傍線部工)とはどういうことか、本文全体の趣旨を踏まえて100字以上120字以内で説明せよ。

(六)省略

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問題文(段落番号は便宜上付けたもの)

 次の文章を読んで、後の設問に答えよ。

 

1 ホーフスタッターはこう書いている。

 反知性主義は、思想に対して無条件の敵意をいだく人びとによって創作されたものではない。まったく逆である。教育ある者にとって、もっとも有効な敵は中途半端な教育を受けた者であるのと同様に、指折りの反知性主義者は通常、思想に深くかかわっている人びとであり、それもしばしば、陳腐な思想や認知されない思想にとり憑かれている。反知性主義に陥る危険のない知識人はほとんどいない。一方、ひたむきな知的情熱に欠ける反知識人もほとんどいない。

(リチャード・ホーフスタッター『アメリカの反知性主義』田村哲夫訳、強調は引用者)

2 この指摘は私たちが日本における反知性主義について考察する場合でも、つねに念頭に置いておかなければならないものである。反知性主義を駆動しているのは、単なる怠惰や無知ではなく、ほとんどの場合「ひたむきな知的情熱」だからである。

3 この言葉はロラン・バルトが「無知」について述べた卓見を思い出させる。バルトによれば、無知とは知識の欠如ではなく、知識に飽和されているせいで未知のものを受け容れることができなくなった状態を言う。実感として、よくわかる。「自分はそれについてはよく知らない」と涼しく認める人は「自説に固執する」ということがない。他人の言うことをとりあえず黙って聴く。聴いて「得心がいったか」「腑に落ちたか」「気持ちが片づいたか」どうかを自分の内側をみつめて判断する。アそのような身体反応を以てさしあたり理非の判断に代えることができる人を私は「知性的な人」だとみなすことにしている。その人においては知性が活発に機能しているように私には思われる。そのような人たちは単に新たな知識や情報を加算しているのではなく、自分の知的な枠組みそのものをそのつど作り替えているからである。知性とはそういう知の自己刷新のことを言うのだろうと私は思っている。個人的な定義だが、しばらくこの仮説に基づいて話を進めたい。

 4 「反知性主義」という言葉からはその逆のものを想像すればよい。反知性主義者たちはしばしば恐ろしいほどに物知りである。一つのトピックについて、手持ちの合切袋から、自説を基礎づけるデータやエビデンスや統計数値をいくらでも取り出すことができる。けれども、それをいくら聴かされても、私たちの気持ちはあまり晴れることがないし、解放感を覚えることもない。というのは、イこの人はあらゆることについて正解をすでに知っているからである。正解をすでに知っている以上、彼らはことの理非の判断を私に委ねる気がない。「あなたが同意しようとしまいと、私の語ることの真理性はいささかも揺るがない」というのが反知性主義者の基本的なマナーである。「あなたの同意が得られないようであれば、もう一度勉強して出直してきます」というようなことは残念ながら反知性主義者は決して言ってくれない。彼らは「理非の判断はすでに済んでいる。あなたに代わって私がもう判断を済ませた。だから、あなたが何を考えようと、それによって私の主張することの真理性には何の影響も及ぼさない」と私たちに告げる。そして、そのような言葉は確実に「呪い」として機能し始める。というのは、そういうことを耳元でうるさく言われているうちに、こちらの生きる力がしだいに衰弱してくるからである。「あなたが何を考えようと、何をどう判断しようと、それは理非の判定に関与しない」ということは、ウ「あなたには生きている理由がない」と言われているに等しいからである。

 5 私は私をそのような気分にさせる人間のことを「反知性的」と見なすことにしている。その人自身は自分のことを「知性的」であると思っているかも知れない。たぶん、思っているだろう。知識も豊かだし、自信たっぷりに語るし、反論されても少しも動じない。でも、やはり私は彼を「知性的」とは呼ばない。それは彼が知性を属人的な資質や能力だと思っているからである。だが、私はそれとは違う考え方をする。

6 知性というのは個人においてではなく、集団として発動するものだと私は思っている。知性は「集合的叡智」として働くのでなければ何の意味もない。単独で存立し得るようなものを私は知性と呼ばない。

7 わかりにくい話になるので、すこしていねいに説明したい。

8 私は、知性というのは個人に属するものというより、集団的な現象だと考えている。人間は集団として情報を採り入れ、その重要度を衡量し、その意味するところについて仮説を立て、それにどう対処すべきかについての合意形成を行う。エその力動的プロセス全体を活気づけ、駆動させる力の全体を「知性」と呼びたいと私は思うのである。

9 ある人の話を聴いているうちに、ずっと忘れていた昔のできごとをふと思い出したり、しばらく音信のなかった人に手紙を書きたくなったり、凝った料理が作りたくなったり、家の掃除がしたくなったり、たまっていたアイロンかけをしたくなったりしたら、それは知性が活性化したことの具体的な徴候である。私はそう考えている。「それまで思いつかなかったことがしたくなる」というかたちでの影響を周囲にいる他者たちに及ぼす力のことを、知性と呼びたいと私は思う。

10 知性は個人の属性ではなく、集団的にしか発動しない。だから、ある個人が知性的であるかどうかは、その人の個人が私的に所有する知識量や知能指数や演算能力によっては考量できない。そうではなくて、その人がいることによって、その人の発言やふるまいによって、彼の属する集団全体の知的パフォーマンスが、彼がいない場合よりも高まった場合に、事後的にその人は「知性的」な人物だったと判定される。

11 個人的な知的能力はずいぶん高いようだが、その人がいるせいで周囲から笑いが消え、疑心暗鬼を生じ、勤労意欲が低下し、誰も創意工夫の提案をしなくなるというようなことは現実にはしばしば起こる。きわめて頻繁に起こっている。その人が活発にご本人の「知力」を発動しているせいで、彼の所属する集団全体の知的パフォーマンスが下がってしまうという場合、私はそういう人を「反知性的」とみなすことにしている。これまでのところ、オこの基準を適用して人物鑑定を過ったことはない

設問

(一)「そのような身体反応を以てさしあたり理非の判断に代えることができる人」(傍線部ア)とはどういう人のことか、説明せよ。

(二)「この人はあらゆることについて正解をすでに知っている」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。

(三)「『あなたには生きている理由がない』と言われているに等しい」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。

(四)「その力動的プロセス全体を活気づけ、駆動させる力」(傍線部エ)とはどういう力のことか、説明せよ。

(五)「この基準を適用して人物鑑定を過ったことはない」(傍線部オ)とはどういうことか、本文全体の趣旨を踏まえた上で100字以上120字以内で説明せよ。

(六)省略

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問題文(段落番号は便宜上付けたもの)

 次の文章を読んで、後の設問に答えよ。なお、この文章の筆者は、アメリカ合衆国力リフォルニア州生まれの小説家で、文中の「星条旗の聞こえない部屋」および「天安門」はこの人の作品である。

 

1 なぜ、わざわざ、日本語で書いたのか。「星条旗の聞こえない部屋」を発表してからよく聞かれた。母国語の英語で書いた方が楽だろうし、その母国語が近代の歴史にもポスト近代の現在でも支配的一言語なのに、という意味合いがあの質問の中にあった。
2 日本語は美しいから、ぼくも日本語で書きたくなった。十代の終り頃、言語学者が言うバイリンガルになるのに遅すぎたが、母国語がその感性を独占支配しきった「社会人」以前の状態で、はじめて耳に入った日本語の声と、目に触れた仮名混じりの文字群は、特に美しかった。しかし、実際の作品を書く時、西洋から日本に渡り、文化の「内部」への潜戸(くぐりど)としてのことばに入りこむ、いわゆる「越境」の内容を、もし英語で書いたならば、それは日本語の小説の英訳にすぎない。アだから最初から原作を書いた方がいい、という理由が大きかった。壁でもあり、潜戸にもなる、日本語そのものについて、小説を書きたかっ たのである。 
3 ぼくにとっての日本語の美しさは、青年時代にイおおよその日本人がロにしていた「美しい日本語」とは似ても似つかなかった。日本人として生まれたから自らの民族の特性として日本語を共有している、というような思いこみは、ぼくの場合、許されなかった。純然たる「内部」に、自分が当然のことのようにいるという「アイデンティティ」は、最初から与えられていなかった。そしてぼくがはじめて日本に渡った昭和四〇年代には、生まれた時からこのことばを共有しない者は、いくら努力してもウ一生「外」から眺めて、永久の「読み手」でありつづけることが運命づけられていた。母国語として日本語を書くか、外国語として日本語を読んで、なるべく遠くから、しかしできれば正確に、「公平」に鑑賞する。
4 あの図式がはじめて変ったのは、もちろん、ぼくのように西洋出身者が日本語で書きはじめたからではない。その前に、日本の「内部」に在しながら、「日本人」という民族の特性を共有せずに日本語のもう一つ、苛酷な「美しさ」をかち取った人たちがいたからだ。

5 日本語の作家としてデビューしてまもない頃に、在日韓国人作家の李良枝(イヤンジ)から電話があった。李良枝は、『由煕』の舞台にもなった、「母国」での何度目かの留学を終えて東京に戻り、ぼくがジャパノロジーの別天地を捨てて、日米往還の時代を含めて十いくつ目に移住した新宿の木造アパートと、さほど遠くない場所に移ることになった。「韓国人」の日本文学の先輩が「アメリカ人」の日本文学の新人を激励してくれる、という電話だったのだが、話しが弾み、そのうちに、『由煕』の主題でもあった、日本語の感性を運命のように持ったために、「母国」の言語でありながら「母国語」にはならなかった韓国語について、ぼくがたずねてみた。
6 動詞の感覚は違う、という話しになった。韓国語では、日本語と比べて、いわゆる「大和ことば」に相当するような動詞を使わないで漢字の熟語+하다(ハダ、する)を言うことがどれだけ多いか。ソウルの学生が交わす白熱した議論の中でたびたび問題にされる「うらぎり」にしても、それを「わざわざ」漢語の「배반」(ペーパン)つまり「背反」すると言うのは、自分の感覚とは違う、ということを李良枝が言った。
7 「日本人」として生まれなかった、そのために日本の「内部」において十分な排除の歴史を背負うことになった日本語の作家が、日本の都市から「母国」の都市に渡ったところ、そこで耳に入ることばは、漢語と、土着の、日本語風に受けとめれば「仮名」的に響く表現のバランスが、どうしても異質なものとして聞こえてしまう、と。
8 あの会話をした日から一ヶ月経って、李良枝は急死した。ぼくの記憶の中で、彼女は若々しい声として残っている。エ「日本人」として生まれなかった、日本語の感性そのものの声を、思い出す度に、「母国語」と「外国語」とは何か、一つのことばの「美しさ」は何なのか、そのわずかの一部をかち取るために自分自身は何を裏切ったのか、今でもよく考えさせられる。
9 そして日本と西洋だけでは、日本語で世界を感知して日本語で世界を書いたことにはならない、という事実にも、おくればせながらあの頃気づきはじめた。

 

10 日本から、中国大陸に渡り、はじめて天安門広場を歩いたとき、あまりにも巨大な「公」の場所の中で、逆に私小説的な語りへと想像力が走ってしまった。アメリカとは異った形で自らの言語の「普遍性」を信じてやまない多民族的大陸の都市の中を、歩けば歩くほど、一民族の特性であると執拗なほど主張されてきた島国の言語でその実感をつづりたくなった。まずは、血も流れた大きな敷石の踏みごたえと、そこに隣接した路地の、粘土とレンガを固めた塀と壁の質感を、どうすれば日本語で書けるか、という描写の意欲を覚えた。そのうちに、アメリカ大陸と中国大陸の二つのことばを媒体とした感情が記憶の中で響く一人の主人公の物語を、想像するようになった。
11 古代のロマンではなく同時代の場所としての中国大陸の感触を日本語の小説で体現するという試みは、半世紀前に、上海に渡っていた武田泰淳にも、また満州に渡っていた安部公房にもあった。一九九〇年代に日本から渡ったとき、その半世紀間に繰り返された断絶の痕跡としてラディカルに変えられた文字の異質性を、まず受け止めざるをえなかった。「东」や「丰」や「乡」という形体がいたるところでこちらの目に触れて、それが「배반합니다」(ペーパン・ハムニダ、背反します)という声が在日作家の耳に入ったときとは、またズレの感触が違うだろう。私小説はおろか小説そのものからもっとも遠く離れた、すぐれて「公」の場所、十億単位の人を巻きこんだ歴史の場所で、その歴史に接触して崩壊した家族の記憶が頭の中で響いている。そうした一人の歩行者のストーリーを、どのように維持して、書けるのか。日本から、北京に渡り、その中心を占める巨大な空間を歩きながらそう考えたとき、母国語の英語はもはや、そのストーリーの中の記憶の一部と化していた。
12 北京から東京にもどった。新宿の部屋にもどった。アメリカ大陸を離れてから、六年が経っていた。新宿の部屋の中で、二つの大陸のことばで聞いた声を、次々と思いだした。「天安門」という小説を書きはじめた。
13 二つの大陸の声を甦らせようとしているうちに、外から眺めていた「Japanese literature」すら記憶に変り、オ世界がすべて今の、日本語に混じる世界となった

設問

(一)「だから最初から原作を書いた方がいい」(傍線部ア)とあるが、筆者が日本語で小説を書こうとした理由はどこにあると考えられるか、わかりやすく説明せよ。

(二)「おおよその日本人が口にしていた「美しい日本語」」(傍線部イ)とあるが、ここにいう「美しい日本語」とはどのようなものか、わかりやすく説明せよ。

(三)「一生「外」から眺めて、永久の「読み手」でありつづける」(傍線部ウ)とあるが、どういうことか、わかりやすく説明せよ。

(四)「「日本人」として生まれなかった、日本語の感性そのものの声」(傍線部エ)とあるが、ここでいう「日本語の感性」とはどのようなものか、わかりやすく説明せよ。

(五)「世界がすべて今の、日本語に混じる世界となった」(傍線部オ)とあるが、どういうことか、文中に述べられている筆者の体験に即し、100字以上120字以内で述べよ。

(六)省略

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問題文(段落番号は便宜上付けたもの)

 次の文章を読んで、後の設問に答えよ。

 

1 早朝、目覚めて窓をあける。光をあびて緑がけむっている。あちこちの庭木も屋根も、おりた夜露を吐きだしている。 そのむこうに視界をさえぎる丘があって、それも今はもりあがる新緑におおわれている。
2 この数年、この丘をながめながら仕事をしている。四季が幾巡かしたので、この丘の変化はだいたいわかったつもりでいるが、それでも見おとしたものを発見したり、知っているものでもやはり感銘をおばえたりする。 
3 今年の春、まだ丘の枯林が、けものの背の毛のように赤くそそけだって見えているころ、一本だけ白い花を咲かせている小さな木が、その中に埋まっているのに気づき、おどろいた。だれか画家が描いていたのを見たような姿だ、とは思ったが、実際に出会うとまた別の新鮮な感情がわき出てくるのだった。 
4 また今年は緑が深く厚くなっていく過程をおもしろくながめた。この時期ほど遠目にも木々の様子が細密画のようにはっきりしていることはなく、その変化していくさまは、夏の後期に見る丘の鈍重さとはまったくちがう、めりはりのあるものであった。それは、育っていくものの活力のせいにちがいない 
5 そして梅雨前の今、丘は安定した厚い緑におおわれているが、一か所だけ、丘の背に小さな孔(あな)があいているところがある。わたしは、そのピンホールのような孔からむこうの空を、ときどきうかがったりしている。 
6 去年、わたしは自分にしては長い時間をかけた小説を発表した。それはこの窓のある場所へ来る前から書き出して、ここで季節が二めぐりほどして書き終ったものである。その体験はまだわたしの中で鐘の余韻のように尾を曳いているが、今わたしは次の、時間のかかる小説に着手しようとしている。それは、わたし自身がすこし変化している、と感じるからである。
7 他人が見てどうであるかはともかく、自分をからめとるような世界をともあれひとつ自分なりに書いてしまう。そのときには、これが自分のみえたぎりぎりの世界であると思ったから発表することが出来たわけだが、いざそうしてしまうと、すぐ次に同じような試みをする理由を失う。素材をちがえ構成をちがえ文章のスタイルをちがえたところで、列車は同じレールの上を走り出すだけである。ア自分によって書かれた言葉はその行手行手で心得顔に到着を待っていて、〈おまちどおさま〉と皮肉をいうばかりだ。自分のつくった網から出ることはむずかしいのである。
8 わたしはだから待っているよりなかった。わたしは、そもそもおぼつかない手付きで言葉をかきあつめて、掘立小屋をひとつ建てたにすぎない。それはもう一度ちりぢりにしてもとへもどしてしまう。借りて来たものは返してしまって、しばらく知らぬふりをしている。
9 それにしても、言葉というものをわたしは信じすぎる。いや、わたしたちといってもいいかもしれない。言葉になっている、文字に書かれている、ロから語られるということに信頼を置きすぎる。わたしたちは言葉を現実ととりちがえる。あるいは言葉を現実を完全に把握しているものと思いこんでいる。少なくともわたしはそう思っている。しかし、現実のわたしなりあなたなりは、いうまでもなく言葉以上の知覚体である。そしてまた言葉はその限界性ゆえに表現や認識の媒体たり得る。
10 原子と呼ばれるものにも実はかなりの隙間があると聞いた。言葉と言葉のあいだにも大きな隙間がある。いってみれば、言葉と言葉は、ポイントしか示さないデジタル表示の時刻と次の時刻との関係といってもいいかもしれない。それになぞらえていえばやや平板化のそしりはまぬがれないが、現実はアナログ表示の、ステップしない、電気時計式の秒針の動きということになる。もっともイこの秒針が、テジタルで表示されるポイントと次のポイントのあいだを均質に動く保証はまったくない

11 自分のつくった掘立小屋におさまっているうちは、わたしは、そのデジタル時計の表示が、アナログ時計の表示のように見えてしまっていた、ということである。それは言葉で擬似現実をつくり出すというトリックの呪縛に他ならぬ当人がひっかかってしまっている、ということに他ならない。しかし、今のわたしはそこから脱しつつある。言葉と言葉のあいだにひろがっている闇がしだいに深さを増しつつある。それはまだあるべきものにまではかなり遠い、といわざるを得ないが、それでも言葉の背後の領土をもういちどつかみなおしてみたい、という気持がおこってきていることはたしかである。 
12 振りかえってみると、いつもわたしは自分が変化することをねがっていたと思う。それも自分にとって自然なかたちで、自然にそうなりたいと思っていた。それはウわたしなりの現実への尊敬のしかたなのだと思う。わたしが変れば、現実はもっともっと深いものを見せてくれると思っている、ということなのだから。
13 この五月でわたしはまたひとつ年齢を重ねた。これからさらに意外性ある未知の視覚を体験する可能性も失われていないという予感もある。これからどう変化していくのか。エ活力あふれる初夏の丘の変化をながめながら、そんなことを思ったりする。 

設問

(一)「自分によって書かれた言葉は、その行手行手で心得顔に待っていて、〈おまちどおさま〉と皮肉をいうばかりだ」(傍線部ア)とあるが、どういうことか、説明せよ。

(二)「この秒針が、デジタルで表示されるポイントとポイントのあいだを均質に動く保証はまったくない」(傍線部イ)とあるが、どういうことか、説明せよ。

(三)「わたしなりの現実への尊敬のしかた」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。

(四)「活力ある初夏の丘の変化をながめながら、そんなことを思ったりする」とあるが、ここには筆者のどのような気持ちがこめられているか、説明せよ。

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問題文(段落番号は便宜上付けたもの)

 次の文章を読んで、後の設問に答えよ。

 

1 それぞれに独自の、特殊な、具体的な経験の言葉を、「公共」の言葉や「全体」の意見というレベルに抽象して引きあげてしまうとき、そうした公準化の手つづきのうちにみうしなわれなすいのは、それぞれのもつとりかえのきかない経験を、それぞれに固有なしかたで言葉化してゆく意味=方向をもった努力なのだ。たとえどのように仮構の言葉であっても、言葉は、その言葉をどう経験したかという一人の経験の具体性の裏書きなしには、その額面がどんなにおおきくとも割りきれない手形でしかない、ただ「そうとおもいたい」言葉であるしかできない。

2 たとえば、「平和」や「文化」といったような言葉に、わたしはどんなふうに出会ったかをおもいだす。「平和」も「文化」も、どのようにも抽象的なしかたで、誰もが知ってて誰もが弁(わきま)えていないような言葉として、ア観念の錠剤のように定義されやすい言葉だけれども、わたしがはじめてそれらの言葉をおぼえたのは、子どものころ暮らしていた川のある地方都市に新しくつくられた「平和通り」「文化通り」という二つの街路の名によって、日々の光景のなかに開かれた街路の具体的な名をとおしてだった。

3 「舟場町」といった江戸以来の町名、「万世町」といった明治以来の町名をもつ古い小都市にできた「平和通り」「文化通り」といった人通りのおおい新しい街路の名は、いかにも戦後という時代をかんじさせるものだった。たかが街の通りの名というだけにすぎないかもしれないが、しかしわたしたちが戦後という一つの時代を経験することがなかったならば、そうした言葉をそんなふうなしかたで知るということはおそらくなかっただろう。「平和」という言葉、「文化」という言葉についてかんがえるとき、いまもまずおもいうかぶのは、わたしのそだった地方の小都市の、殺風景だったが、闊然としていた街路のイメージである。

4 一つの言葉がじぶんのなかにはいってくる。そのはいってくるきかたのところから、その言葉の一人のわたしにとっての関係の根をさだめてゆくことをしなければ、イ言葉にたいする一人のわたしの自律をしっかりとつくってゆくことはできない。言葉にたいする一人のわたしの自律がつらぬかれなければ、「そうとおもいたい」言葉にじぶんを預けてみずからあやしむことはないのだ。「そうとおもいたい」言葉にくみするということは、言葉を一人のわたしの経験をいれる容器としてでなく、言葉を社会の合言葉のようにかんがえるということである。

5 わたしたちの戦後の言葉が、たがいにもちあえる「共通の言葉」をのぞみながら、そのじつウ「公共」の言葉、「全体」の意見というような口吻をかりて合言葉によってかんがえる、一人のわたしの自律をもたない言葉との関係を、社会的につくりだしてきたということがなかったか、どうなのか。合言葉としての言葉は、その言葉によってたがいのあいだに、まずもって敵か味方かという一線をどうしようなく引いてしまうような言葉である。しかし、言葉を合言葉としてつかって、逆に簡単に独善の言葉にはしって、たがいのあいだに敵か味方かというしかたでしか差異をみない、あるいはみとめないような姿勢が社会的につくられてゆくことへの怖れが、わたしのなかには打ち消しがたくあり、わたしは言葉というものを先験的に、不用意に信じきるということはできない。

6 言葉というものを、それを信じるものとしてでなく、むしろそれによってみずから疑うことを可能にするものとしてかんがえたい。わたしたちはふつう他者を、じぶんとの平等においてみとめるのではなく、じぶんとの差異においてみとめる。この単純な原理を活かすすべを、わたしたちの今日の言葉の大勢はどこか決定的に欠いているのではないか。「私」については饒舌に語りえても、他者について非常にまずく、すくなくしか語ることのできない言葉だ。そうしたわたしたちのもつ今日の言葉の足腰のよわさは、「共通の言葉」をのぞんでいまだそれをじゅうぶんに獲得しえないでいる結果であるというよりは、むしろ、わたしたちの言葉がみずから「差異の言葉」であることを正面きって受けいれることができないままできたことの必然の結果、なのではないだろうか。

7 たがいのあいだにある差異をじゅうぶん活かしてゆけるような「差異の言葉」をつくりだしてゆくことが、ひつようなのだ。わたしたちはたがいに現にさまざまなかたち、位相で、差異をもちあっているのだから、一つひとつの言葉をとおして、わたしたちがいま、ここに何を共有しえていないかを確かめてゆく力を、じぶんにもちこたえられるようにする。言葉とはつまるところ、一人のわたしにとってひつような他者を発見することなのだ、とおもう。わたしたちは言葉をとおして他者をみいだし、他者をみいだすことによって避けがたくじぶんの限界をみいだす。エ一つの言葉は、そこで一人のわたしが他者と出会う場所である。たいせつなのはだから、わたしたちの何がおなじか、をでなく、何がちがうかを、まっすぐに語りうる言葉なのだ。

設問

(一)「観念の錠剤のように定義されやすい」(傍線部ア) とはどういうことか、説明せよ。

(二)「言葉にたいする一人のわたしの自律」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。

(三) 「『公共』の言葉、『全体』の意見というような口吻をかりて合言葉によってかんがえる」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。

(四)「一つの言葉は、そこで一人のわたしが他者と出会う場所である」(傍線部エ)とはどういうことか、説明せよ。

問題文(段落番号は便宜上付けたもの)

 次の文章を読んで、次の設問に答えよ。

 

1 白は、完成度というものに対する人間の意識に影響を与え続けた。紙と印刷の文化に関係する美意識は、文字や活字の問題だけではなく、言葉をいかなる完成度で定着させるかという、情報の仕上げと始末への意識を生み出している。白い紙に黒いインクで文字を印刷するという行為は、不可逆的な定着をおのずと成立させてしまうので、未成熟なもの、吟味の足らないものはその上に発露されてはならないという、暗黙の了解をいざなう。
2 推敲という言葉がある。推敲とは中国の唐代の詩人、賈島の、詩作における逡巡の逸話である。詩人は求める詩想において「僧は推す月下の門」がいいか「僧は敲く月下の門」がいいかを決めかねて悩む。逸話が逸話たるゆえんは、選択する言葉のわずかな差異と、その微差において詩のイマジネーションになるほど大きな変容が起こり得るという共感が、この有名な逡巡を通して成立するということであろう。月あかりの静謐な風景の中を、音もなく門を推すのか、あるいは静寂の中に木戸を敲く音を響かせるかは、確かに大きな違いかもしれない。いずれかを決めかねる詩人のデリケートな感受性に、人はささやかな同意を寄せるかもしれない。しかしながら一方で、推すにしても敲くにしても、それほど逡巡を生み出すほどの大事でもなかろうという、微差に執着する詩人の神経質さ、器量の小ささをも同時に印象づけているかもしれない。これはア「定着」あるいは「完成」という状態を前にした人間の心理に言及する問題である。
3 白い紙に記されたものは不可逆である。後戻りが出来ない。今日、押印したりサインしたりという行為が、意思決定の証として社会の中に流通している背景には、白い紙の上には訂正不能な出来事が固定されるというイマジネーションがある。白い紙の上に朱の印泥を用いて印を押すという行為は、明らかに不可逆性の象徴である。
4 思索を言葉として定着させる行為もまた白い紙の上にペンや筆で書くという不可逆性、そして活字として書籍の上に定着させるというさらに大きな不可逆性を発生させる営みである。推敲という行為はそうした不可逆性が生み出した営みであり、美意識であろう。このような、イ達成を意識した完成度や洗練を求める気持ちの背景に、白という感受性が潜んでいる
5 子供の頃、習字の練習は半紙という紙の上で行った。黒い墨で白い半紙の上に未成熟な文字を果てしなく発露し続ける、その反復が文字を書くトレーニングであった。取り返しのつかないつたない結末を紙の上に顕し続ける呵責の念が上達のエネルギーとなる。練習用の半紙といえども、白い紙である。そこに自分のつたない行為の痕跡を残し続けていく。紙がもったいないというよりも、白い紙に消し去れない過失を累積していく様を把握し続けることが、おのずと推敲という美意識を加速させるのである。この、ウ推敲という意識をいざなう推進力のようなものが、紙を中心としたひとつの文化を作り上げてきたのではないかと思うのである。もしも、無限の過失をなんの代償もなく受け入れ続けてくれるメディアがあったとしたならば、推すか敲くかを逡巡する心理は生まれてこないかもしれない。
6 現代はインターネットという新たな思考経路が生まれた。ネットというメディアは一見、個人のつぶやきの集積のようにも見える。しかし、ネットの本質はむしろ、不完全を前提にした個の集積の向こう側に、皆が共有できる総合知のようなものに手を伸ばすことのように思われる。つまりネットを介してひとりひとりが考えるという発想を超えて、世界の人々が同時に考えるというような状況が生まれつつある。かつては、百科事典のような厳密さの問われる情報の体系を編むにも、個々のパートは専門家としての個の書き手がこれを担ってきた。しかし現在では、あらゆる人々が加筆訂正できる百科事典のようなものがネットの中を動いている。間違いやいたずら、思い違いや表現の不適切さは、世界中の人々の眼に常にさらされている。印刷物を間違いなく世に送り出す時の意識とは異なるプレッシャー、良識も悪意も、嘲笑も尊敬も、揶揄も批評も一緒にした興味と関心が生み出す知の圧力によって、情報はある意味で無限に更新を繰返しているのだ。無数の人々の眼にさらされ続ける情報は、変化する現実に限りなく接近し、寄り添い続けるだろう。断定しない言説に真偽がつけられないように、その情報はあらゆる評価を回避しながら、エ文体を持たないニュートラルな言葉で知の平均値を示し続けるのである。明らかに、推敲がもたらす質とは異なる、新たな知の基準がここに生まれようとしている。
7 しかしながら、無限の更新を続ける情報には「清書」や「仕上げる」というような価値観や美意識が存在しない。無限に更新され続ける巨大な情報のうねりが、知の圧力として情報にプレッシャーを与え続けている情況では、情報は常に途上であり終わりがない。
8 一方、紙の上に乗るということは、黒いインクなり墨なりを付着させるという、後戻りできない状況へ乗り出し、完結した情報を成就させる仕上げへの跳躍を意味する。白い紙の上に決然と明確な表現を屹立させること。不可逆性を伴うがゆえに、達成には感動が生まれる。またそこには切り口の鮮やかさが発現する。その営みは、書や絵画、詩歌、音楽演奏、舞踊、武道のようなものに顕著に現れている。手の誤り、身体のぶれ、鍛錬の未熟さを超克し、失敗への危険に臆することなく潔く発せられる表現の強さが、感動の根源となり、諸芸術の感覚を鍛える暗黙の基礎となってきた。音楽や舞踊における「本番」という時間は、真っ白な紙と同様の意味をなす。聴衆や観衆を前にした時空は、まさに「タブラ・ラサ」、白く澄みわたった紙である。
9 弓矢の初級者に向けた忠告として「諸矢を手挟みて的に向ふ」ことをいさめる逸話が『徒然草』にある。標的に向う時に二本目の矢を持って弓を構えてはいけない。その刹那に訪れる二の矢への無意識の依存が一の矢への切実な集中を鈍らせるという指摘である。この、オ矢を一本だけ持って的に向う集中の中に白がある

設問

(一)「「定着」あるいは「完成」という状態を前にした人間の心理」(傍線部ア)とはどういうことか、説明せよ。

(二)「達成を意識した完成度や洗練を求める気持ちの背景に、白という感受性が潜んでいる」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。

(三)「推敲という意識をいざなう推進力のようなものが、紙を中心としたひとつの文化を作り上げてきた」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。

(四)「文体を持たないニュートラルな言葉で知の平均値を示し続ける」(傍線部エ)とはどういうことか、説明せよ。

(五)「矢を一本だけ持って的に向かう集中の中に白がある」(傍線部オ)とはどういうことか。本文全体の論旨を踏まえた上で、100字以上120字以内で説明せよ。

(六)省略

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問題文(段落番号は便宜上付けたもの)

 次の文章を読んで、後の設問に答えよ。

 

1 その日、変哲もない住宅街を歩いている途中で、私は青の異変を感じた。空気が冷たくなり、影をつくらない自然の調光がほどこされて、あたりが暗く沈んでゆく。大通りに出た途端、鉄砲水のような雨が降り出し、ほぼ同時に稲光をともなった爆裂音が落ちてきた。電流そのものではなく、来た、という感覚が身体の奥の極に流れ込んで、私は十数分の非日常を、まぎれもない日常として生きた。雨が上がり、空は白く膨らんでまた縮み、青はその縮れてできた端の余白から滲み出たのちに、やがて一面、鮮やかな回復に向かった。

2 青空の青に不穏のにおいが混じるこの夏の季節を、私は以前よりも楽しみに待つようになった。平らかな空がいかにかりそめの状態であるのか、不意打ちのように示してくれる午後の天候の崩れに、ある種の救いを求めていると言っていいのかもしれない。

3 強烈な夏の陽射しと対になって頭上に迫ってくる空が、とつぜん黒々とした雲に覆われ、暗幕を下ろしたみたいに世の中が一変するさまに触れると、そのあとさらになにかが起きるのではないかとの期待感がつのり、嵐の前ではなく後でなら穏やかになると信じていた心に、それがちょっとした破れ目をつくる。

4 このささやかな破れ目につながる日々の感覚は、あらかじめ得られるものではない。自分のアンテナを通じて入って来た瞬間にそれが現実の出来事として生起する、つまり予感とほとんど時差のないひとつの体験であって、なにかが起こってから、あれはよい意味での虫の知らせだったとするのはどこか不自然なのだ。予報は、ときに、こちらの行動を縛り、息苦しくする。晴れわたった青空のもと街を歩いていて、すれちがいざま、これから降るらしいよといった会話を耳に挟んだりすると、ア何かひどく損をした気さえする

5 空の青が湿り気を帯び、薄墨を掃いたように黒い雲をひろげる。ひんやりした風があしもとに流れて舞いあがり、頬をなでる。来る、と感じた瞬間に最初の雨粒が落ち、稲光とともに雷鳴が響いたとき、日常の感覚の水位があがる。ずぶ濡れになったらどうしよう、雨宿りをして約束に遅れたらどうしようなどとはなぜか思わない。それを一瞬の、ありがたい仕合わせと見なし、空の青みの再生に至る契機を、一種の恩寵として受けとめるのだ。

6 しばらくのあいだ青を失っていた空の回復を、私は待つ。崩れから回復までの流れを、予知や予報を介在させず、日々の延長のなかでとらえてみようとする。

7 イ青は不思議な色である。海の青は、手を沈めて水をすくったとたん青でなくなる。あの色は幻だといってもいい。しかし海は極端に色を変えたとき、幻を重い現実に変える力を持つ。海の青を怖れるのは、それを愛するのと同程度に厳しいことなのだ。

8 空の青も、じつは幻である。天上の青はいったん空気中の分子につかまったあと放出された青い光の散乱にすぎないから、他の色を捨てたのではなく、それらといっしょになれなかった孤独な色でもある。その色に、私たちは背伸びをしても手を届かせることができない。

9 いつも遠い。当たり前のように遠い。それが空である。飛行機で空を飛んだら、それは近すぎてもう空の属性を失っている。遠く眺めて、はじめてその乱反射の幻が生きる。空の青こそが、いちばん平凡でいちばん穏やかな表情を見せながら、弾かれつづける青の粒の運動を静止したひろがりとして示すという意味において、日常に似ているのではないか。

10 単調な日々を単調なまま過ごすには、ときに暴発的なエネルギーが必要になる。しかしその暴発は、あくまで自分の心のなかで静かに処分するものだから、表にあらわれでることはない。心の動きは外から見るかぎりどこまでも平坦である。内壁が劣化し、全体の均衡を崩す危険性があれば、気づいた瞬間に危ない壁を平然と剥ぎとる。ウそういう裏面のある日常とこの季節の乱脈な天候との相性は、案外いいのだ。

11 青空の急激な変化を待ち望むのは、見えるはずのない内側の崩れの兆しを、天地を結ぶ磁界のなかで一挙に中和するためでもある。そのようにして中和された青は、もうこれまでの青ではない。ぽおっと青を見上げている自分もまた、さっきまでの自分ではない。この小さな変貌の断続的な繰り返しが体験の質を高め、破れ目を縫い直したあとでまた破るような、べつの出来事を呼び寄せるのだ。

12 天気の崩れと内側の暴発を経たのちにあらわれた新しい空。雨に降られたあと、たちまち乾いた亜熱帯の大通りを渡るために、私は目の前の歩道橋の階段をのぼりはじめた。事件は、そこで起きた。いちばん上から、人の頭ほどの赤い生きものが、ふわりふわりと降りてきたのである。

13 風船だった。糸が切れ、飛翔の力を失った赤い風船。一段一段弾むようにそれは近づき、すれちがったあともおなじリズムで降りて行く。私は足を止め、振り向いて赤の軌跡を眼で追った。貴重な青は、天を目指さない風船の赤に吸収され、空はこちらの視線といっしょに地上へと引き戻される。エ青の明滅に日常の破れ目を待つという自負と願望があっさり消し去られたことに奇妙な喜びを感じつつ、私は茫然としていた。再び失われた青の行方を告げるように、遠く、雷鳴が響いていた。

設問

(一)「何かひどく損をした気さえする」(傍線部ア)とあるが、なぜそういう気がするのか、説明せよ。

(二)「青は不思議な色である」(傍線部イ)とあるが、青のどういうところが不思議なのか、説明せよ。

(三)「そういう裏面のある日常」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。

(四)「青の明滅に日常の破れ目を待つという自負と願望があっさり消し去られた」(傍線部エ)とはどういうことか、説明せよ。

 

問題文(段落冒頭の数字は便宜上付けたものです)

 次の文章を読んで、後の設問に答えよ。

 

1 昨日机に向かっていた自分と現在机に向かっている自分、両者の関係はどうなっているのだろう。身体的にも意味的にも、昨日の自分と現在の自分とが微妙に違っていることは確かである。しかし、その違いを認識できるのは、その違いにもかかわらず成立している不変の自分なるものがあるからではないのか。こういった発想は根強く、誘惑的でさえある。だが、アこのような見方は出発点のところで誤っているのである。このプロセスを時間的に分断し、対比することで、われわれは過去の自分と現在の自分とを別々のものとして立て、それから両者の同一性を考えるという道に迷いこんでしまう。過去の自分と現在の自分という二つの自分があるのではない。あるのは、今働いている自分ただ一つである。生成しているところにしか自分はない。

2 過去の自分は、身体として意味として現在の自分のなかに統合されており、その限りで過去の自分は現在の自分と重なることになる。身体として統合されているとは、たとえば、運動能力に明らかである。最初はなかなかできないことでも、訓練を通じてわれわれはそれができるようになる。そして、いったん可能となると、今度はその能力を当たり前のものとしてわれわれは使用する。また、意味として統合されているとは、われわれが過去の経験を土台として現在の意味づけをなしていることに見られるとおりである。現在の自分が身体的、意味的統合を通じて、結果として過去の自分を回収する。換言すれば、回収されて初めて、過去の自分は「現在の自分の過去」という資格を獲得できるのである。

3 統合が意識されている場合もあれば、意識されていない場合もある。したがって、現在の自分へと回収されている過去の自分が、それとして常に認識されているとは限らない。むしろ、忘れられていることの方が多いと思われる。二十年前の今日のことが記憶にないからといって、それ以前の自分とそれ以後の自分とが断絶しているということにはならない。第一、二十年前から今日現在までのことを、とぎれることなく記憶していること自体不可能である。重要なのは、何を忘れ、何を覚えているかである。つまり、自分の出会ったさまざまな経験を、どのようなものとして引き受け、意味づけているかである。そして、そのような過去への姿勢を、現在の世界への姿勢として自らの行為を通じて表現するということが、働きかけるということであり、他者からの応答によってその姿勢が新たに組み直されることが、自分の生成である。そしてこの生成の運動において、いわゆる自分の自分らしさというものも現れるのである。

4 イこの運動を意識的に完全に制御できると考えてはならない。つまり、自分の自分らしさは、自らがそうと判断すべき事柄ではないし、そうあろうと意図して実現できるものでもない。具体的に言えば、自分のことを人格者であるとか、高潔な人柄であるとか考えるなら、それはむしろ、自分がそのような在り方からどれほど遠いかを示しているのである。また、人格者となろうとする意識的努力は、それがどれほど真摯なものであれ、いや、真摯なものであればあるほど、どうしてもそこには不自然さが感じられてしまう。ここには、自分の自分らしさは他人によって認められるという逆説が成立する。このことは、とりわけ意識もせずに、まさに自然に為される行為に、その人のその人らしさが紛う方なく認められるという、日常の経験を考えてみても分かるだろう

5 自分とはこういうものであろうと考えている姿と、現実の自分とが一致していることはむしろ稀である。それは、現実の自分とはあくまで働きであり、その働きは働きの受け手から判断されうるものだからである。しかし、そうであるならば、自分の自分らしさは他人によって決定されてしまいはしないか。ここが面倒なところである。自分らしさは他人によって認められるのではあるが、決定されるわけではない。自分らしさは生成の運動なのだから、固定的に捉えることはできない。それでも、自分らしさが認められるというのは、自分について他人が抱いていた漠然としたイメージを、一つの具体的行為として自分が現実化するからである。しかし、ウその認められた自分らしさは、すでに生成する自分ではなく、生成する自分の残した足跡でしかない

6 いわゆる他人に認められる自分の自分らしさは、生成する自分という運動を貫く特徴ではありえない。かといって、自分で自分の自分らしさを捉えることもできない。結局、生成する自分の方向性などというものはないのだろうか。

7 生成の方向性は生成のなかで自覚される以外にない。ただこの場合、何か自分についての漠然としたイメージが具体化することで、生成の方向性が自覚されるというのではない。というのは、ここで自覚されるのは依然として生成の足跡でしかないからである。生成の方向性は、棒のような方向性ではなく、生成の可能性として自覚されるのである。自分なり、他人なりが抱く自分についてのイメージ、それからどれだけ自由になりうるか。どれだけこれまでの自分を否定し、逸脱できるか。この「……でない」という虚への志向性が現在生成する自分の可能性であり、方向性である。そして、これはまさに自分が生成する瞬間に、生成した自分を背景に同時に自覚されるのである。

8 このような可能性のどれかが現実のなかで実現されていくが、それもわれわれの死によって終止符を打たれる。こうして、自分の生成は終わり、後には自分の足跡だけが残される。

9 だが、本当にそうか。なるほど、自分はもはや生成することはないし、その足跡はわれわれの生誕と死によってはっきりと限られている。しかし、働きはまだ生き生きと活動している。ある人間の死によって、その足跡のもっている運動性も失われるわけではない。つまり、エ残された足跡を辿る人間には、その足の運びの運動性が感得されるのであり、その意味で足跡は働きをもっているのである。われわれがソクラテスの問答に直面するとき、ソクラテスの力強い働きをまざまざと感じるのではないか。

10 自分としてのソクラテスは死んでいるが、働きとしてのソクラテスは生きている。生成する自分は死んでいるが、その足跡は生きている。正確に言おう。自分の足跡は他人によって生を与えられる。われわれの働きは徹頭徹尾他人との関係において成立し、他人によって引き出される。そして、自分が生成することを止めてからも、その働きが可能であるとするならば、その可能性はこの現在生成している自分に含まれているはずである。そのように、自分の可能性はなかば自分に秘められている。オこの秘められた、可能性の自分に向かうのが、虚への志向性としての自分の方向性でもある

設問

設問(一)「このような見方は出発点のところで誤っているのである」(傍線部ア)とあるが、なぜそういえるのか、説明せよ。

設問(二)「この運動を意識的に完全に制御できると考えてはならない」(傍線部イ)とあるが、なぜそういえるのか、説明せよ。

設問(三)「その認められた自分らしさは、すでに生成する自分ではなく、生成する自分の残した足跡でしかない」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。

設問(四)「残された足跡を辿る人間には、その足の運びの運動性が感得される」(傍線部エ)とはどういうことか、説明せよ。

設問(五)「この秘められた、可能性の自分に向かうのが、虚への志向性としての自分の方向性でもある」(傍線部オ)とあるが、どういうことか。本文全体の論旨を踏まえた上で100字以上120字以内で説明せよ。

解説・解答案リンク

 

 

問題文(段落番号は便宜上付けたもの)

 次の文章を読んで、後の設問に答えよ。

 

1 個人の本質はその内面にあるとみなす私たちの心への(あるいは内面への)信仰は、私生活を重要視し、個人の内面の矛盾からも内面を推し量ろうと試みてきた。もちろん、このような解釈様式そのものは近代以前からあったかもしれない。しかし近代ほど内面の人格的な質が重要な意味をもち、個人の社会的位置づけや評価に大きな影響力をもって作用したことはなかっただろう。個人の内面が、社会的重要性をもってその社会的自己と結び付けられるようになるとき、ア内面のプライバシーが求められるようになったのである。
2 プライバシー意識が、内面を中心として形成されてきたのは、この時代の個人の自己の解釈様式に対応しているからだ。つまり、個人を知るカギはその内面にこそある。たしかに自己の所在が内面であるとされているあいだは、プライバシーもまた、そこが拠点になるだろう。社会的自己の本質が、個人のうちにあると想定されているような社会文化圏では、プライバシーのための防壁は、私生活領域、親密な人間関係、身体、心などといった、個人それ自体の周囲をとりまくようにして形づくられる。つまり、個人の内面を中心にして、同心円状に広がるプライバシーは、人間の自己の核心は内面にあるとする文化的イメージ、そしてこのイメージにあわせて形成される社会システムに対応したものである。
3 個人の自己が、その内面からコントロールされてつくられるという考え方は、自分の私生活の領域や身体のケア、感情の発露、あるいは自分の社会的・文化的イメージにふさわしくないと思われる表現を、他人の目から隠しておきたいと思う従来のプライバシー意識と深くかかわっている。このような考え方のもとでは、個人のアイデンティティも信用度も本人自身の問題であり、鍵はすべてその内面にあるとされるからである。
4 これは個人の自己の統一性というイデオロギーに符合する。自己は個人の内面によって統括され、個人はそれを一元的に管理することになる。このような主体形成では、個人は自分自身の行為や表現の矛盾、あるいは過去と現在との矛盾に対し、罪悪感を抱かされることになる。というのも自分自身のイメージやアイデンティティを守ることは、ひたすら個人自らの責任であり、個人が意識的に行っていることだからだ。このとき個人の私生活での行動と公にしている自己表現との食い違いや矛盾は、他人に見せてはならないものとなり、もしそれが暴露されれば個人のイメージは傷つき、そのアイデンティティや社会的信用もダメージを受ける。
5 ただしイこのような自己のコントロールは、他人との駆け引きや戦略というよりは、道徳的な性格のものであり、個人が自らの社会向けの自己を維持するためのものである。だからこのことに関する個人の隠蔽や食い違いには他人も寛容であり、それを許容して見て見ぬふりをしたり、あるいはしばしば協力的にさえなる。アーヴィング・ゴフマンはこうした近代人の慣習を、いわゆる個人の体面やメンツへの儀礼的な配慮として分析し、その一部をウェスティンなどのプライバシー論が、個人のプライバシーへの配慮や思いやりとしてとらえた。
6 だが人びとは、他人のプライバシーに配慮を示す一方で、その人に悪意がはたらくときには、その行為の矛盾や非一貫性を欺瞞ととらえて攻撃することもできる。たとえばそれが商業的に利用されると、私生活スキャンダルの報道も生まれてくるのだ。
7 しかし、もし個人の内面の役割が縮小し始めるならば、プライバシーのあり方も変わってくるだろう。ウ情報化が進むと、個人を知るのに、必ずしもその人の内面を見る必要はない、という考えも生まれてくる。たとえば、個人にまつわる履歴のデータさえわかれば十分だろう。その方が手軽で手っ取り早くその個人の知りたい側面を知ることができるとなれば、個人情報を通じてその人を知るというやり方が相対的にも多く用いられるようになる。場合によっては知られる側も、その方がありがたいと思うかもしれない。自分自身を評価するのに、他人の主観が入り交じった内面への評価などよりも個人情報による評価の方が、より客観的で公平だという見方もありうるのだ。だとすれば、たとえ自己の情報を提供し、管理を受け入れなければならないとしても、そのメリットもある。
8 「人に話せない心の秘密も、身体に秘められた経験も、いまでは情報に吸収され、情報として定義される」とウィリアム・ボガードはいう。私たちの私生活の行動パターンだけではなく、趣味や好み、適性までもが情報化され、分析されていく。「魅惑的な秘密の空間としてのプライヴァシーは、かつてあったとしても、もはや存在しない」。エボガードのこの印象的な言葉は、現に起こっているプライバシーの拠点の移行に対応している。個人の身体の周りや皮膚の内側とその私生活のなかにあったプライバシーは、いまでは個人情報へと変換され、個人を分析するデータとなり、情報システムのなかで用いられる。ボガードはいう。「観察装置が、秘密のもつ魅惑を観察社会のなかではぎとってしまった」。そして「スクリーンは、人びとを「見張る」のでも、プライヴァシーに「侵入する」のでもなく、しだいにスクリーンそのものがプライヴァシーになりつつある」と。
9 スクリーンとは、ジョージ・オーウェルの小説『一九八四年』に登場するあのスクリーン、すなわち人びとのありとあらゆる生活を監視するテレスクリーンのことである。この小説では、人びとは絶えずテレスクリーンによって監視されていることが、プライバシーの問題になっていた。しかし今日の情報化社会では、プライバシーは監視される人びとの側にあるのではなく、むしろ監視スクリーンの方にある。つまり個人の内面や心の秘密をとりまく私生活よりも、それを管理する情報システムこそがプライバシー保護の対象になりつつある。
10 「今日のプライヴァシーは、管理と同様、ネットワークのなかにある」とボガードはいう。だからプライバシーの終焉は妄想であると。だが、それでもある種のプライバシーは終わった。ここに見られるのは、プライバシーと呼ばれるものの中身や性格の大きな転換である。「今日、プライヴァシーと関係があるのは、「人格」や「個人」や「自己」、あるいは閉じた空間とか、一人にしてもらうこととかではなく、情報化された人格や、ヴァーチャルな領域」なのである。そして、情報化された人格とは、ここでいうオデータ・ダブルのことである。

設問

(一)「内面のプライバシー」(傍線部ア)とはどういうことか、説明せよ。

(二)「このような自己のコントロール」(傍線部イ)とあるが、なぜそのようなコントロールが求められるようになるのか、説明せよ。

(三)「情報化が進むと、個人を知るのに、必ずしもその人の内面を見る必要はない、という考えも生まれてくる」(傍線部ウ)とあるが、それはなぜか、説明せよ。

(四)「ボガードのこの印象的な言葉は、現に起こっているプライバシーの拠点の移行に対応している」(傍線部エ)とはどういうことか、説明せよ。

(五)傍線部オの「データ・ダブル」という語は筆者の考察におけるキーワードのひとつであり、筆者は他の箇所で、その意味について、個人の外部に「データが生み出す分身(ダブル)」と説明している。そのことをふまえて、筆者は今日の社会における個人のあり方をどのように考えているのか、100字以上120字以内で述べよ。

(六)省略

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