問題文(段落番号は便宜上付けたもの)

 次の文章を読んで、後の設問に答えよ。

 

1 タンザニアの行商人の間では現在、SNSを通じて注文を集めたり配達したり、商品代金を電子マネーでやり取りすることが増えている。しかし少なくとも2000年代末までの同国の行商人は、仕入れた商品を携えて客を探しながら練り歩き、遭遇した客と対面で値段交渉する業態が一般的であった。
2 当時、私がムワンザ市で調査していた古着の行商人たちにとって商売上の悩み事のひとつは、貧しい得意客から頻繁に掛け売りを求められることであった。たとえば、2002年から2003年に調査した行商人Aの85日間の売り上げ記録では、一日に平均して3.6枚の掛け売りがなされていた。客の中には「今度の給料日に払う」「次の日曜に貯蓄講の順番が回ってくるので払う」などの支払計画を提示する者もいたが、多くは「カネが手に入ったら払う」「また行商に来たついでに(支払えるかを)聞いてくれ」などと支払期限の曖昧な口約束をした。実際、行商人の得意客の多くも給料日が決まっている労働者ではなく、浮き沈みの激しい零細自営業者や不安定な日雇い労働者であったので、客がその日の生活費を超える余剰の現金をいつ獲得できるかは客自身にも予想がつかないものだった。行商人たちは、「最近、羽振りがいい」などの噂を頼りに客の懐が温かくなる頃を見計らって訪ねて行ったが、居留守を使われたり、「子どもがマラリアになったので、まだ払えない」「貯蓄講で受け取った金は、他の借金の支払いに消えた」などと言われたりし、ツケの取り立てには非常に苦労していた。しつこく取り立てに通うと、得意客は憤り、「待ってくれないなら、返品する」と古着を突き返したり、「洗濯したら色落ちしたので、ツケを負けろ」など過去にさかのぼって値段交渉に持ち込んできたりもした。
3 もちろんア行商人たちにとって掛け売りを認めることは、商売戦略上の合理性とも合致していた。貧しい消費者はツケを認めてくれる行商人を贔屓にするため、得意客の確保や維持につながる。ツケの支払いのついでに新たな商品を購入してくれる可能性もある。また行商人たち自身も、仕入れ先の仲卸商人から信用取引で商品を仕入れており、販売枚数を稼げば、仕入れ先の仲卸商人から仕入れの順番や価格交渉において優遇されることもあった。さらに銀行口座をもたない行商人たちの中には、ツケを緊急時に使用する「預金」のようにみなし、商売が不調の時に回収するべく、好調なときにはあえてツケを取り立てに行かないと語る者も多くいた。
4 ただ、それはツケが返済されてこその戦略である。行商人たちは通常、他の行商人と競争しながら偶然に仕入れた古着の種類や品質に則してその日の行商ルートを選択していた。「高品質で高価なシャツを多く仕入れた場合には、高級住宅街カプリポイントを巡回する」「若者向けの派手なシャツがたくさん手に入った場合には、サッカースタジアム周辺を回る」といった選択である。また、仕入れた古着を見ながら「そういえば、薬局の店主がデニムシャツを欲しがっていた」と具体的な客を思い出し、その人物の職場や家がある地域を通るルートを選択することも多い。そのため、行商ルートから外れるツケの回収に拘泥すると、その日に仕入れた古着の売れ行きに響くことになる。結局、行商人たちは何度か通って相手に支払う気がないとわかると、しばらく放置し、機会があったときに訪ねていくようになる。ただ、数カ月、半年と時間が経つにつれ、訪問回数は減っていき、ついには訪問をやめてしまう。
5 こうした事態が生じる原因のひとつは、行商人が帳簿をつけないことにあった。「なぜ帳簿をつけないのか」と尋ねると、「払える人は払うし、払えない人からはどうしたって取り立てられないのだから、気がかりなことが増えるだけだ」などと返答された。たしかに毎日のように掛け売りをし、ツケの支払いは早くて数日、通常は数週間、時には何カ月も先になるので、ツケは雪だるま式に増えていく。そのすべてを回収しようとするよりも、焦げ付きを価格等に織り込んで商売をしたほうが合理的だろう。それでも私は、日々余裕がない中で、ツケを何カ月も放置する者に怒りもせず、不満も言わず、ただ許している彼らの態度が不思議であった。みな生活が苦しいのに支払う人と支払わない人がいるのは不平等ではないかと思ったのだ。私は時々、「あそこの家には未払いの代金があるから取り立てに行こう」と誘ったが、彼らは「まだ彼/彼女は困難のさなかにあり、いま取り立てにいっても交渉に負ける」と渋ることも多かった。
6 ただし、「このままツケが返ってこなくてもよいのか」と聞くと、「ツケは返してもらう」という答えが返ってくる。その上で彼らは、「いまはその時ではない」「カネを稼ぐまでは待つと言ったのに、相手の時間的な余地(nafasi)を奪うのは難しい」と主張するのだ。実際、数年が経って私が「信用の不履行が生じた」と認識した負債についても、彼らは「イまだ返してもらっていないだけだ」と言い張り、「いつ返してもらうのか」としつこく聞くと、「そんなこと、俺にわかるわけがないだろう」と怒り出した。
7 これらの商人や客の言葉や態度から、私はしだいに、彼らは商品やサービスの支払いを先延ばしにする取引契約である掛け売りを「市場交換」と「贈与交換」のセットで捉えているのではないかと考えるようになった。つまり、ツケは商品やサービスの対価であり、支払うべき金銭的「負債」である。これは返してもらう必要がある。だが、ツケを支払うまでの時間的猶予、すなわち客が現在の困難を解決し、ツケを支払う余裕ができるようになるまでの時間や機会は「贈与」したものなので、ひとたび「あげた」時間/機会を取り上げるには特別な理由がいる、あるいはその機会をいつ返すかはプレゼントの返礼のように与えられた側が決めるのだと。
8 しかし支払い期限を決めるのが貸し手ではなく借り手であり、しかも「生活に余裕が生まれた」という借り手の主観に左右される期限であるならば、支払いは50年後になることも、結果として死ぬまで負債が支払われないことだってありうる。明らかに貸し手に不利な契約であるが、「支払い猶予を与える契約」を「代金支払いの契約」と「時間・機会の贈与交換」に分割して考えると、彼らの言動はつじつまがあい、商売の次元とは異なる次元で帳尻があっているようにも見えた。
9 まず掛け売りが支払いの遅延を伴う売買契約に過ぎない場合、ツケを支払った時点で客には負債がないことになる。しかし実際には、ツケを支払っても客は、行商人に「借り」をもつかのように語ったりふるまったりする。行商人たちは客との交渉で「君がピンチのときに、ツケにしてあげたじゃないか」と言うことで、高値で買ったり、在庫を引き取ったりするよう説得する。客も「いつものツケのお礼に、今日は二枚買うよ」などと応じることもある。より奇妙なことは、ツケが未払いな客が「ツケのお礼に」と食事を奢ってくれることだ。奢る余裕があるなら、なぜツケを払わないのかと疑間に思うが、行商人たちは喜んで応じる。さらに客は「ツケのお礼に」自身の商売で行商人に掛け売りしてくれたりもするが、行商人がしたツケと客が行商人にしたツケが相殺されることもない。行商人は自身の商売でしたツケが未払いな客に対し、儲かった日に掛け売りの代金を払うのだ。こうした事態を説明するには、一つひとつの掛け売りの中に商品支払いと別に贈与交換が含まれていると考えるしかない。そして仮に「商品代金の支払い」は遂行されなくても、「時間や機会の贈与」に何らかの返礼が遂行されるのだとしたら、商売の帳尻があわなくても、ウ生活全般の上では帳尻があっているような気もするのだ。
10 いまから振り返ると、掛け売りが代金支払いの契約と同時に「贈与交換」を含むという了解は、彼ら自身が交渉の過程において共同で生み出していることでもあった。行商人と客との値段交渉は、互いに私的な困難を訴えあうことを基本とする。行商人は「昨日から何も食べていない」「取り締まりに遭って商品を失った」ので「高く買ってくれ」などと訴え、客は「滞納した家賃の支払いを迫られている」「息子が病気である」ので「安く売ってくれ」などと訴える。こうした値段交渉を「リジキ(riziki)(食い扶ち。サプシステンス)を分けあう」という言葉で彼らは表現した。行商人は、交渉において客の表情や言葉尻などから相手のその時点での状況を察知し、多少の嘘や誇張はあってもおそらく生活が苦しいのだと判断すれば、価格を下げ、それなりに好調な生活をしていると判断すれは、価格を上げる。このときに行商人と客とのあいだには、「私は騙された(駆け引きに負けた)かもしれないが、それは相手を助けたのかもしれない」「私は騙した(駆け引きに勝った)かもしれないが、それは相手に助けてもらったのかもしれない」という余韻が残る。ツケの交渉も同様であり、行商人も客も互いに真実を話しているという確証はないが、それでもツケが成功裏に認められると、商売上では判断を誤った/うまくやったかもしれないが、「彼/彼女は事情を汲んでできる限りのことをした/してくれた」という余韻が残る。エこの余韻が商交渉の帳尻をあわせる失敗を時間や機会の贈与交換に回収させるステップになるのだとすると、この交渉で実践されているのは、市場取引の体裁を維持しながら、二者間の基盤的コミュニズムを胚胎させることに他ならない。

設問

(一)「行商人たちにとって掛け売りを認めることは、商売戦略上の合理性とも合致していた」(傍線部ア)とあるが、それはなぜか、説明せよ。

(二)「まだ返してもらっていないだけだ」(傍線部イ)とあるが、なぜそう主張できるのか、説明せよ。

(三)「生活全般の上では帳尻があっている」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。

(四)「この余韻が商交渉の帳尻をあわせる失敗を時間や機会の贈与交換に回収させるステップになる」(傍線部エ)とあるが、筆者はどのようなことを言っているのか、本文全体の趣旨を踏まえて100字以上120字以内で説明せよ(句読点も一字と数える)。

(五)省略