問題文(段落番号は便宜上付けたもの)

 次の文章を読んで、後の設問に答えよ。

 

1 仕事の打ち合わせでだれかとはじめて顔を合わせるとき、そんなときには、互いに見えない触角を伸ばして話題を探すことになる。もともとにがてだったそういう事柄が、いつからか嫌でなくなり、いまでは愉しいひとときにすらなってきた。どのみち避けられないから、嫌ではないはずと自己暗示を掛けているだけかもしれない。いずれにしても、初対面の人と向かい合う時間は、ア日常のなかに、ずぶりと差しこまれる
2 先日は、理系の人だった。媒体が児童向けで、科学関係の内容を含むためだった。もちろん、それは対話を進めているうちにわかってくることだ。互いに、過不足のない自己紹介をしてから本題に入る、などということは起こらない。相手の話を聞いているうちに、ずいぶん動植物に詳しい人だなという印象が像を結びはじめる。もしかして、理系ですか、と訊いてみる。
3 「ええ、そうです。いまの会社に来る前は、環境関係の仕事をしていました。それもあって、いまの仕事でも植物や動物を取材することが多いんです。この前は蓮田に行ってきました。蓮根を育てている蓮田です。蓮って、水の中の根がけっこう長いんですよ。思ったよりずっと長くて、びっくり。動物園に行くこともありますよ。撮影にゾウの糞が必要で、ゾウがするまで、じっと待っていたりして」。嬉々として説明してくれる。だれと会うときでも、相手がどんなことにどんなふうに関心をもっているのか、知ることは面白い。自分には思いもよらない事柄を、気に掛けて生きている人がいると知ることは、知らない本のページをめくる瞬間と似ている。
4 私たちの前にはカフェ・ラテのカップがあった。その飲み物の表面には、模様が描かれていた。その人は、自分のカップの上へ、首を伸ばしたようにした。そして、のぞき見ると「あ、柄が崩れている」といった。「残念、崩れている」と繰り返す。私の方は崩れていない。崩れていても一向に構わないので、それならこちらのカップと交換しようと思った瞬間、その人は自分の分を持ち上げて、口をつけた。申し出るタイミングを失う。相手への親近感が湧いてくる。以前から知っている人のような気がしてくる。
5 「台風の後は、植物園に直行するんです」。相手は、秘密を打ち明けるように声をひそめる。「その植物園には、いろんな種類の松が備わっていて、台風の後には、こんな大きな松ぼっくりが拾えるんです」。両手で大きさを示しながら説明してくれる。「それを、リュックに入れて、もらってくるんです」。いっしょに行ったわけではないのに、いつか、そんなことがあった気がする。いっしょに松ぼっくりを拾った気がする。植物園もまた本に似ている。イ風が荒々しい手つきでめくれば、新たなページが開かれて、見知らぬ言葉が落ちている。植物園への道を幾度も通うその人のなかにも、未知の本がある。耳を傾ける。生きている本は開かれない時もある。こちらの言葉が多くなれば、きっと開かれない。
6 その人の話を、もっと聞いていたいと思った。どんぐりに卵を産みつける虫の名前を、いくつも挙げられるような人なのだ。打ち合わせだから当然、雑談とは別に本題がある。本題が済めば、店を出る。都心の駅。地下街に入ると、神奈川県の海岸の話になった。相手は、また特別な箱から秘密を取り出すように、声をひそめた。「あのあたりでは、馬の歯が拾えるんです。海岸に埋められた中世の人骨といっしょに、馬の骨も出てくるんです。中世に、馬をたくさん飼っていたでしょう。だからです。私、拾いましたよ。馬の歯」。
7 「それ本当に馬の歯ですか」。思わず問い返す。瞬間、相手は、ううんと唸る。それから「あれは馬です、馬の歯ですよ。本当に出るんです」。きっぱり答えた。記憶と体験を一点に集める真剣さで、断言した。その口からこぼれる言葉が、一音、一音、遠い浜へ駆けていく。たてがみが流れる。大陸から輸送した陶器のかけらが出るという話題なら珍しくない。事実なのだ。けれど、馬の歯のことは、はじめて聞いた。それから、とくに拾いたいわけではないなと気づく。拾えなくてもいい。ただ、その内容そのものが、はじめて教えられたことだけが帯びるぼんやりとした明るさの中にあって、心ひかれた。
8 拾えなくていいと思いながら、馬かどうか、時間が経っても気になる。その人とは、本題についてのやりとりで手いっぱいで、馬の歯のことを改めて訊く機会はない。脇へ置いたまま、いつまでも、幻の馬は脇に繋いだままで、別の対話が積み重なっていく。馬なのか、馬だったのか、確かめることはできない。
9 ある日、吉原幸子の詩集『オンディーヌ』(思潮社、一九七二年)を読んでいた。これまで、吉原幸子のよい読者であったことはないけれど、必要があって手に取った。愛、罪、傷など、この詩人の作品について語られるときには必ず出てくる単語が、結局はすべてを表しているように思いながら読み進めるうち、あるページで手がとまった。「虹」という詩。その詩は、次のようにはじまる。

 どうしたことか、雨のあとの
 立てかけたやうな原っぱの斜面に
 ぶたが一匹 草をたべてゐる
 電車の速さですぐに遠ざかった
 (うしでもやぎでもうさぎでもなく)
 あれは たしかにぶただったらうか

10 なんとなく笑いを誘う。続きを読んでいくと「こころのない人間/抱擁のない愛――」という言葉が出てきて、作者らしさを感じさせる。周囲に配置された言葉も、その重さのなかでびっしりと凍るのだけれど、それでも、第一連には紛れもなく可笑しみがあって、この六行だけでも繰り返し読みたい気持ちになる。あれは、なんだったのだろう。そんなふうに首を傾げて脳裡の残像をなぞる瞬間は、日常のなかにいくつも生まれる。多くのことは曖昧なまま消えていく。足元を照らす明確さは、いつまでも仮のものなのだ。そして、だからこそ、輪郭の曖昧な物事に輪郭を与えようと一歩踏み出すことからは、光がこぼれる。ウその一歩は消えていく光だ。「虹」という詩の終わりの部分を引用しよう。
 
 いま わたしの前に
 一枚のまぶしい絵があって
 どこかに 大きな間違ひがあることは
 わかっているのに
 それがどこなのか どうしてもわからない

 消えろ 虹
 
11 言葉の上に、苛立ちが流れる。わかることとわからないことのあいだで、途方に暮れるすがたを刻む。鮮度の高い苛立ちがこの詩にはあり、それに触れれば、どきりとさせられる。わからないこと、確かめられないことで埋もれている日々に掛かる虹はどんなだろう。それさえも作者にとっては希望ではない。消えろ、と宣告するのだから。
12 拾われる馬の歯。それが本当に馬の歯なら、いつ、だれに飼われていたものだろう。どんな毛の色だったか。人を乗せていただろうか。あるいは荷物を運んだのだろうか。わかることはなにもない。その暗がりのなかで、ただひとつ明らかなことは、これはなんだろうという疑問形がそこにはあるということだ。問いだけは確かにあるのだ。
13 問いによって、あらゆるものに近づくことができる。だから、問いとは弱さかもしれないけれど、同時に、もっとも遠くへ届く光なのだろう。「馬の歯を拾えるんです」。この言葉を思い出すと、蹄の音の化石が軽快に宙を駆けまわる。遠くへ行かれそうな気がしてくる。松ぼっくり。馬の歯、エ掌にのせて、文字のないそんな詩を読む人もいる。見えない文字がゆっくりと流れていく。

設問

(一)「日常のなかに、ずぶりと差しこまれる」(傍線部ア)とはどういうことか、説明せよ。

(二)「風が荒々しい手つきでめくれば、新たなページが開かれて、見知らぬ言葉が落ちている」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。

(三)「その一歩は消えていく光だ」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。

(四)「掌にのせて、文字のないそんな詩を読む人もいる」(傍線部エ)とはどういうことか、説明せよ。

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