僕たち一年生が初めて野球部の練習に参加した日。


まだ仮入部期間なので、あくまでも「入部希望者」として20名程が集まった。

僕たち紅中の四人衆は当然同じ中学で固まっていたが、他の一年生は友達がおらずお互い様子を伺っている感じだった。


ただ僕は、北海中学の小森、赤木は山崎塾だったから知っていたし、原島ユニオンズの木林、四川サンライズの中尾などは小学校の頃に対戦していたので、なんとなく顔は覚えていた。



「あいつ、イカツイな…。」


「あいつは上手そうや…。」


「あいつには勝てそうかな。」


「あいつ、なんか苦手なタイプやわ…。」


みんな、心の中では他の一年生たちを見て、色々牽制しあっていた事だろう。

指導員の二年生、松野さんにトレーニングメニューを教えてもらい、一通りのメニューをこなしたあとは、グランドに出て先輩達の練習を見学しに行った。

そこで、衝撃を受けた。


「う、うますぎる…」


先輩達のプレーを見て、高校野球のレベルの高さを痛感した。

特に凄かったのが遊撃手の木崎さん。

木崎さんは、小学校時代は丹羽ビクトリーで全国大会優勝。

そして丹羽中学校では、夏の大阪大会で優勝。

凄い経歴の持ち主だった。

正直、ノックでのグラブ捌きを見ただけで感動した。

紅中学の二個上の先輩の永井君が、僕が出会った中で三本の指に入る選手だと以前述べたが、木崎さんも間違いなく入るだろう。


とにかく、走攻守全てに華がある完璧なプレーヤーだった。

また、他の先輩達もみんな上手かった。

正直、紅中の一つ上の最強世代でクリーンアップだった半藤さんなら、高校でもすぐにメンバー入りし、主軸を打っているんだろうと勝手に思い込んでいた。


しかし、クリーンアップどころかレギュラーでさえもなかったのだ。

それぐらい、レギュラー争いはレベルが高く、熾烈だった。





先輩達のプレーのレベルの高さに驚いたところから高校野球生活はスタートしたわけだが、高校野球は中学までと違って色々と面倒くさいルールや禁止事項も多かった。

先輩から言われたルールは色々あった。



・先輩の姿を見かけたら、100メートル離れていても挨拶をする事


・髪型は夏以外は自由だが夏は絶対に坊主にする事

・他の生徒は制服のワイシャツを出して着ているが、野球部員は必ずズボンの中に入れる事

・炭酸飲料、ジャンクフードは禁止

・先輩の部室への入退室時は「失礼します」など、言葉遣いには注意する事


・練習時のグランド整備や道具運びは勿論のこと、試合に行く時も、キャッチャー道具やボールバッグなど重い荷物を一年生で担当を決めて持ち運ぶ事



以上は一部であり、他にも色々と面倒くさい事を言われた。


ただ、炭酸飲料やジャンクフードは、みんな隠れて飲み食いしていたし、先輩達も平気でやっていたので、あってないようなルールだったと思う。

しかし、一点目の挨拶のルールがとても厄介だった。

野球部独特の挨拶だが、


「ちょぉおす!!!」



という挨拶の仕方であった。

学校内のどこを歩いていても、先輩を見つけると、腹の底から、


「ちょぉおす!!!」


と叫ぶ。

他の生徒からの視線が恥ずかしかった。 


しかも、先輩曰く、



「ちょぉおすの『ち』より『ょ』と『お』を強調する感じがいい。」



いやいや!意味わからん!


なんやねんそのめんどいミステリアスワード!




更に、先輩の姿を見かけたら必ず挨拶をしなければいけないと言えども、練習終わりに彼女と一緒に帰宅する先輩と鉢合わせした時は、かなり気まずかった。



例によって、


「ちょぉおす!!!」


と叫ぶのだが、先輩によっては、彼女の前でデカい声で挨拶されて迷惑そうにする先輩もいたので、その見極めが難しいのだ。

特に、キャプテンの伴内さん。

伴内さんは高崎中学時代は、硬式の高崎シニアでプレーしていた人で、高校でも二年生からサードのレギュラーとなり、前年度の大阪ドームでの開幕戦でも2安打と活躍していた凄い人だ。


この伴内さん、二年生の美人マネージャーである関本さんと付き合っており、毎日帰りの電車で二人はラブラブで、今にもキスをしそうな顔の距離感でお話し中なのだが、そこに遭遇してしまった時の僕たちは非常に気まずかった。


挨拶をすべきなのか、スルーすべきなのか、どちらが正解かわからなかったのだ。

結局僕たちは、いつも無言で目で挨拶をし、なんとなくその場を乗り切っていた…。





挨拶関連で、もうひとつ。

女子マネージャーの先輩達に対しては、普通に会釈程度の挨拶で良かったのだが、初めは廊下ですれ違ったマネージャーにも、


「ちょぉおす!!!」


と全力挨拶で叫んでいたので、相当嫌がられていたらしい。


マネージャーの先輩達には、あの時は本当に申し訳ないことをした。





先程も記したように、一年生には雑用の仕事もいっぱいある。

うちには定時制が併設されており、放課後の部活動は5時頃までと決められている為、朝、昼の自主練で補う。


一年生は先輩達の自主練のお手伝いをしたり、休み時間はグランド整備も行わなければならない。


加えて、古くなったボールを縫い直すのも仕事なのだが、やる時間がないので家庭科とか保健体育とかどうでもいい教科の授業時間内にやる。

このように、部活動でいっぱいいっぱいな状態に追い打ちをかけて、勉強も両立しなければいけない。

定期テストで赤点をとると、放課後の補習にかかってしまい、練習に参加できなくなる。

そうなると、監督に叱られる。


因みに僕は、一年生の一学期、期末試験の倫理のテストで赤点を取り、補修にかかってしまって怒られた。

だから、テストは死ぬ気で赤点を免れなければならず、テスト期間は毎日のように徹夜をした。

こんな生活を続けていたので、一年生の時は帰宅したらもうヘトヘトだ。

テレビなんかもあまり見なくなった。

だから、当時野球部の間で流行っていたガチンコファイトクラブ以外、あまりテレビ番組の思い出もない。

本当に疲れ果てた毎日であった。





そんな生活にも慣れ、夏が近付いた頃、毎年恒例の、夏の大会に向けての早朝応援特訓が始まった。

これが、予想以上に精神的に辛い、そして恥ずかしいものであった…。









次回へ続く。