1983年春に一年の就職浪人を卒業することとなり上場会社の孫の商事会社に入社した。
化学会社の孫会社の給料は、たいしたことがないが、とても纏まった人間の集まりで電材機材他諸々の営業、事務方、設計で忙しい中でも私が60歳になったとき一番人間性が良い集まりと感じた。
経理と営業をしていたがある日に電話を取った時の事、どちら様でしょうかと答えると、「俺の声がわからないのか?俺だ!」と横暴な声が発せられ、すみません分かりませんので教えてくださいと話したが、不満らしく電機部の部長の・・・だ!上司の教育がなっていないと言われたが、名前も言わないのは新人の私には分かるはずもなかった。
上司に話すと困った顔をしていたので私は何とか解決する為、其の親会社から出向していた伊藤部長に相談したら気にするな、・・・が悪い!俺が言っておくから。新人の私を気にかけてくれた伊藤部長により全て解決した。伊藤部長は50代の私の勤めた会社の非常勤取締役にもなり長い年月・・・であった。
可笑しなもので、残念ながら親会社の赤字決算の回避の為、子会社等の整理を行い利喜は半導体関連に出向、移籍となった時、横暴な部長と私の立場は逆転することになるのです。私の方が発注する立場でその部長が頭を下げお願いに来たのです。私はただ宜しく造ってくださいと、何も無かった様に話をしたが気まずい様でした。
世の中はいつ、どう変わるか分からないのですから、気を付けないと思ったところです。
前後になるが私は商事会社の時に結婚した事で奥さんの関係で政治と言う裏側を覗く事とその流れに関係する事となった。奥さんの親は一時は400人もの従業員を抱える社長だったのを知ったのは付き合ってから半年もたってからだった。国会議員、県会議員、市会議員の選挙の裏側に入り手伝わされている事もあった。ただ、結婚する時には縁戚の県会議員が仲人は自分でなければならないと又可笑しなことを言うのだ。奥さんの母親からは国会議員のA代議士と会わされた時にはAさんと呼んだら、先生と言いなさいと!その時には縁戚の部落に居る方なので「先生とは申し訳ありませんが言いません、先生は教員、医者等で先生ではないと思います。」と言ってしまったのです。奥さんの母親には気まずい思いをさせてしまいましたが。案の定、披露宴は、今では銀座にも出店している奥さんが勤めていたH社の係長以上社長までと市会議員、国会議員など知らない人で埋まっていたのです。仲人は高砂席であれは誰かとメモを取る始末。私の関係は100人もいませんが、総勢300人終了まで議員も帰らない。悪しき披露宴でした。
当時は選挙違反の連座制が無かったので国会議員の私設秘書が前科ナンパンとなり自治会館で出所祝いをする始末、与党も野党も変わらないのだと・・・。
この時代の流れは、「川の流れに身を寄せて・・・」と言う演歌のようです。
この後、国会議員のA氏はある事件でフライデーに載る事となるのですが議員を辞めることはありませんでした。一つ言われたのが選挙で勝つのは個人の利益(利害関係)が多い人と当時言っていた人がいましたが、今の時代少しは改善されていると思いたいのだが。
この頃、不思議な体験をする事が起きる初めで、結婚すると決めたあたりから人が亡くなる事が何となく分かる、ある場所を通ると車のタイヤが鳴くような音等29歳まで感じられ、ある時は車庫にバックで入れる時黒い影が見え、祖母になんか前川の叔母さんみたいだったと言うと15分位で電話で亡くなった連絡があったり、夜酒田から離れていた時気分が悪く自宅のあたりがおかしく感じ電話で友達から見てきて貰ったら向いの家が騒ぎになっていた、翌日向いの主人が風呂場で亡くなった事がわかった。又結婚前に奥さんになる人とラブホに向かっているとき墓のある所で二人とも、白い服で立っているのをお互いゾットする思い・・・戻ったが誰もいない墓場、1分もたっていないのに。ただラブホの方が優先で車を走らせた、若かった…今では笑いと。
30歳の時にはお盆の13日、14日に玄関の戸が20時過ぎに誰もいないのにあくのです。閉めても目の前で開く。14日に友達に頼んできて貰っても開いてしまう。今思えばなんでカギを掛けなかったかふしぎです。奥で寝ている祖父は誰か来ていると言います。
話を親戚に話したら巫女に?・・・だというのですが。
母が亡くなった16歳の時からかと、今は思っています。その時階段を上ってくる足音と母と咄嗟に感じた時からです。
人生の流れの一コマです。
海に沈む太陽も海もその時は、いつもとは変わらないと思っていても、後で思うと矢張り違うのです。
人生の流れはまだ川です。
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