説明文は為末大氏の「熟達論」
為末氏はオリンピック3大会連続出場の元陸上競技選手で
400mハードル日本記録保持者です。
文章は非常に読みやすい。理路整然としていて、小学生が順序立てて内容を理解するのに
大変良い教材。
(熟達を探求していく)プロセスには普遍的な要素がある。だから別の領域で探求してきた人と話をする時、同じ学びの話をしているよう感じられることがある。
という文章で始まります。これだけで、私なんかはワクワクしてしまうのですが、次女はまず、
プロセスってなに?から始まり、そして「普遍的」の意味を知りません。
一緒に勉強するというのは、こういうところでタイムリーに教えることなのだ、というのは長女の時に経験済み。
もっともっと一緒に時間が取れれば、一緒に本を読むことの楽しさを知ってもらえるはずだったのだが、ちょっと小さい時の体験がおろそかだったか?
いや、親の読み聞かせなくても自ら、読書の楽しみを知っていく子はたくさんいます。これも地頭。
この文章は、熟達した人に将棋の羽生善治さんとの対談を通して学んだ
熟達への経過には共通するものがあることを述べています。
次に熟達するためには孤独でなければならないことを説明していきます。
そのために、人間の本来の姿を説明します。
つまり、人間は社会的動物であり、孤独では生きていけず、集団の中で生きる術を身につけた。
しかし、その中で、今までにないなにかが生まれるためには、オリジナルな存在とならなければならない。
そして、オリジナルな存在になるには、集団から離れた孤独が強いられる。
孤独から生じる寂しさなどを忘れさせることができるものが、夢中になること、そうやって熟達したものが得られていく。
と言った内容の文章ですが、大変わかりやすいです。
大変気に入った文章だったので、次女に一生懸命に説明し、自分で説明できるようにさせてみました。
まだ語彙が乏しいと短い文章を読むにも大変時間がかかります。なんとかテスト時間の50分間で書き終えましたが、
記述はうまくまとめられていませんでした。ここも自分でできるようにやり直してもらいました。
国語は勉強する時に時間がかかり、それでいて、伸びが少ない、効率の悪いものであるのですが、
良い文章を一緒に読める今は楽しいかなと思います。
海城中学校の国語の問題は選択問題が大変多いです。記述は物語文で1つ、説明文で1つ。
次女にとっては点数激減の問題パターン。
しかし、選択問題は簡単です。傍線のすぐ前後に答えが書いてあります。
特に為末氏の文章は
「~である。なぜなら・・・。」となっていて傍線が「~である。」の理由を答えなさい(選びなさい)
というものが殆どだからです。
さて、
ずっと以前に、為末氏がアスリートは生まれつきの体が99%と言って
炎上していたことを覚えていて、今回少し探してみました。
PRESIDENT誌がこのことを特集していたようです。2013年と、もう10年以上も前ですね。
これを読めばわかりますが、為末氏は地頭論者です。
そして、為末氏という、日本陸上の400mハードルのトップをとった人だからこそ
言質として重みがあると感じました。他にもnoteに
といった為末氏の文章をただで読めるところがあり、本質をついた文章を書く人だなと思いました。
この海城中学校の国語の文章中には努力という言葉はありません。
夢中になれることという言葉を使っています。
この夢中になれるというのが、そもそも先天的なのでしょう。
対照的なのは
王貞治選手の『努力は必ず報われる。もし報われない努力があるのならば、それはまだ努力と呼べない。努力しても報われなかった、それは努力をしていなかったからではなく、努力とは呼べない域だった』
という言質です。
王選手にとっては夢中にバットを振ることを嫌に思うこともあったとしても、報われる、報われないという打算的な(?)ことではなくて、純粋にやらないといけない、そしてやるべき、そしてやりたいこととしてあったのではないでしょうか。努力の先が何らかの報いにつながるものというのがなんとなく引っかかる気がするのですよね。
スポーツや音楽である程度の域に達するには、中学受験程度の熱心さで足りないでしょう。
それこそ才能と夢中に練習を続けられる、練習を嫌がらない先天的特質こそ重要でしょう。
それに比べると、学歴を追うことは特別トップを狙う必要もない、振れ幅も広く、ある程度のいやいやの練習(=努力?)でもなんとかなるので、万人(私も含めて)が頑張ってやってみて、報いを得ることができると考えているのでは?、と思いました。
学歴を追うことの無意味さが、多くの人に知られるようになると、今ほどには受験受験ということもなくなるかもしれません。
ますます、自分の素質にあった多様な生き方を尊重できるのでは?と期待します。