9月のとある日のこと。
高校時代の友だちに会った。


高校時代、本当に、本当に、
お世話になった友だち。(以後、D君)

D君は、わたしにとってまさに
「恩師」

D君がいなければ、
現役で希望の学部には入れなかっただろう。
今の仕事には就いていなかっただろう。

D君の化学の教え方は、
先生よりわかりやすかった。

けれど、ばかなわたしは
同じような問題でも、
時間が経ってから1人で解くと、
またどこかで躓いてしまう。


何度も何度も同じような質問をした。

何度も何度も同じように1から説明してくれた。



とーふも受験生だけど、D君だって受験生。
自分の勉強がある。



ごめんね、ごめんね、って言いながらも、
申し訳ないって思いながらも、
いつもD君に頼っていた。


「教えるの好きだから、構わないよ。」
D君はいつもそう言ってくれた。



D君は優しい。
D君はわたしにとって恩師であり、
お兄ちゃんのような存在だった。
でも、当時甘えすぎてたと思う。

わたしは仲の良い友人にさえなかなかココロのリミッターが外せず、
上手に他人に頼ることができない反面、
ほんの一部のココロ許せる相手には
頼り過ぎてしまう傾向にあった。






そんなD君は、
センターの結果が奮わず一次で第一志望校に落ち、
二次では第一志望の受験を諦め、第ニ志望校を受験し合格した。



もともと模擬でも第一志望は苦しかったみたいだけど、
D君に対し申し訳ないきもちがあった。

D君が、D君自身のためだけに時間を使っていたら、もしかしたら…
そう思うとやるせなかった。








高校を卒業し、大学在学中に一度だけ学年全体の同窓会があった。

今回D君とはその同窓会ぶり。

D君と同じクラスだったのは1年生のときだけ。

クラスが変わっても、学校内では顔を合わせることもありそこそこ交流があった。
でも、お互い別の大学に進学し、少しずつ疎遠になっていった。


3年のクラスメイトとは、
今でもたまにクラス会が開催され、
会う機会がないわけではない。

それに最近は結婚式などで懐かしい友だちと再会することも多い。


けど、D君とは……
自分から声をかけなければ、
同窓会でも開催されないかぎりもう会うことはない気がした。



みなさんお察しかもしれませんが、とーふはとてもヘタレです。

仲間うちで集まりたいな、とか思っていても、
いつも声がかかるのを待っているタイプです。



‘‘自分から招集しない限り今後会う機会のない恩人に会っておく’’

こんな目標を5月頃にたてたのに、
ずっと実行できないまま9月になった。


そんな状況のなか、
先人たちの「後悔」(備忘録参照)に背中を押され、
自分からD君に連絡をとった。




D君は会うことを快く了承してくれた。
(…はず。少なくとも自分にはそう感じたけど(><))




けれど、
自分が死ぬ前に顔を拝んでおく、
感謝の意を伝える、
という目的以外なにも考えていなかった。

いざ約束を取り付けたものの
久々に会ったD君と一体何を話したら良いのだろうか、

ものすごくキャラが変わっていたらどうしよう、

私の目的なんて会って3分で完了してしまう(←え)







が、そんな心配は杞憂に終わった。



2人で昼食を終えたあと、
スタバに移動し、高校時代の話など他愛もない話で盛り上がった。



スタバに入店したのは14:00前、
気がついたら21:00前。

夕食もとらずに、
7時間、飲物だけで話倒した。



時の経過に気づいたわたしたちは
「そろそろ帰ろうか。」
とその場を後にし、

家まで送ってもらって、
「またね、ばいばい」といってお別れをした。






ばいばいした後も、胸のどこかで
ほっこりと、あたたかいものがあるのがわかった。




すごく、楽しかった。




久々に会ったD君は、少しポジティヴかつ饒舌になってて、
なんだかさみしかったけど、

よくよく話していると、
やっぱり根本は変わっていない。



すごく懐かしい。
D君そのものも、D君と話した高校時代の出来事も、
全てが懐かしくてあたたかい。



楽しい、楽しかった。



D君の車中でずっと流れていたミスチル。




ばいばいしてからも、「くるみ」がずっと耳に残る。


懐かしいきもちと、
あたたかいきもちと、
「くるみ」がシンクロする。







そんな折、急にさみしいきもちが襲ってきた。






D君に病気のことは伝えなかった。


急に連絡したことに関してもとくになにも聞かれなかったし、
わざわざ言う必要もないと思った。


次にもし会う機会があれば、
わたしは病気のことを話してしまうかもしれない。

だからもう、自分から会おうなんて言わない。



D君は久々に会った友だちにそんな重たいこと聞かされたら、どうなんだろう?

やっぱり迷惑なんじゃないかな。




A君に言われたコトバがふとよぎる。

今まで連絡はとってなかったけど、
D君は大切な友だち。

もし仮に逆の立場だったら、
わたしはD君が病気の話をしてくれたら嬉しい。
もちろんすごくショックだろうけど、
後々人づてに聞くより本人から聞きたい。





けど、D君にとって
わたしは大切な友だち?




自分が誰かにとっての「大切な友だち」である自信がない。

わたしが一方的に友だちだと思ってるだけかもしれない。

スタバでの長居だって、
お互い時を忘れて楽しんでいたわけではなく、
D君は帰りたかったけど言い出せなかっただけかもしれない。






……卑屈か。




自分でもツッコミたくなる。

だいたいいつもこうやって自分で思考を拗らせる。

ついつい考えてしまって止められない。

客観的に見ていて、もっと上手に生きられればって思う。






でも、もう会わない方が良いって思う反面、
「また会いたいな」って思ってしまった。

病気のこと、話してもいいかなって思える相手だって多くはない。




連絡をとるきっかけが病気じゃなかったらよかったのに…


不毛な考えが頭をよぎった。





この記事を書きながら、普段は聴かないミスチルを聴いている。




歌詞がふと耳に留まり、タイトルを確認した。
「花 -Memento-Mori-」



たぶん結構昔の楽曲だけど、
Memento-Moriの意味がわからず調べてみた。

ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句。
「死を記憶せよ」などと訳され、芸術作品のモチーフとして広く使われる。
(wiki引用)





…ちょっと、どきっとした。





「くるみ」からの「花 -Memento-Mori-」で泣きそうになった。







「自分に素直」なのと、
「自分本位」なのはどこに境目があるんだろう。


相手との関係や受け手次第…だとすれば、
もうどうしていいのかわからない。




「迷惑かもしれないから伝えない。」
という選択は、
「めんどくさい友だちになりたくない」と思ってしまうわたしが、
配慮を盾に他人のせいにしているだけであって、
相手を信じきれない自分のエゴなんだろうか?




わたしのしてることって、
結局は自己防衛、自己満足なんだろうか。




うじうじ考え込まずにもっと直感的に生きられたら良いのになあ。



せっかくあったかいきもちで満たされていたのに、
結局さいごは思い悩むとーふなのでした(´・_・`)