ご無沙汰しております。
先月からフル勤務にシフトし、
家と職場の往復で1日がおわるとーふです。
さて、7月に入り、
2014年も半分が終わりました。
2013年のわたしには想像もつかない半年になりました。
節目としてこの半年間を振り返ろうと思います。
ちょっと偏った感覚だったり、ダークな内容なので、
不快に思われる方もいらっしゃるかもしれません。
そんなときはブラウザのウインドウをそっと閉じて頂けたらと思います。
闘病ブログでこういったことを書くのは不謹慎かもしれませんが、
わたしはがんになる前からもともと、
生きることへの貪欲さに欠けていました。
何が辛いってワケでもなく、
些細なことで考え込む性格で、
考え込んだ末、問題がより難しくなって、
自分のなかでこじらせて、
不安になったり、嫌になったりして、
でも、ヒトにどう頼って良いかもわからなくて、
どんどん自滅していく。
自分が面倒くさい。
自分のことが嫌いで自信がない。
「こうしたら、こう思われるんじゃないか?」って、何をするにも、
周りがどう思うのか気になって仕方ない。
なんかもうしんどいから全部ヤメにしたいけど、
「死にたい」とかいう生々しい欲求でもなく、
どちらかといえば「消えたい」がしっくりくる。
そんな困ったわたしの人生打開策が
「見える距離にゴールを設定する」
でした。
情けない話ですが、わたし、
ゴールが見えないと頑張れません。
持久走では終盤になると一気にスパートかけるタイプですw
もしも30歳で人生が終わるとしたら。
何をしておいたらやっててよかったと安堵できるのか、
何をしないままだったらあのときやっておけばと後悔するのか、
その結論が海外留学でした。
この目標を立ててからは、
少しばかり生活が、気持ちが充実しました。
でも、今年に入ってがんが発覚し、
数ヶ月後にするはずの留学がダメになりました。
それだけでなく、
結婚→出産という世間が描く
「ふつうの幸せ」すら望めない。
週1以上の頻度で続けていたバドミントンもドクターストップ。
年1の楽しみ海外旅行もドクターストップ。
わたしの「楽しい」を構成していたほとんどのもの、
がんにもってかれてしまいました。
いま、生きてる。生かされている。
でも、出口の見えないトンネルみたい。
立ち止まっても、進んでも、引き返しても、暗く続く。
がんになってしまったことも辛いけど、
それ以上に、今後たくさんの友だちが結婚、出産をこなしていく姿を横目で見て過ごさなければならないのが辛い。
骨転移のせいで課せられた動作制限により、これまでの「日常」がこなせないのが辛い。
スポーツで汗を流して気分転換することさえ出来ない。
わたしは今後、置いてきぼりの自分を痛感しながら生きていくの?
そんなのいやだ。
そんな我慢大会みたいな人生無理だよ。
辛い手術や治療を乗り越えることで、
完治できる可能性があるわけでもない。
孫の顔を見るまでとか、
少しでも子どもの成長を見届けたいとか、
そういうのって、悩みのタネであり、絶望でもあるけど、
逆に、まだ死ねない!って原動力であり希望でもあるよね。
そういうの、わたしにはない。
わたしはまだ、なんにも築けてないから。
死んだ方がマシだよ。
こんなの生き地獄だ。。
こんな弱音を吐き出せる相手もいませんでした。
告知されてから5日間くらいは
「どうやって死のうか」ばかり考えていました。
退院して動けるようになったら、川まで車で行って身を投げよう…とか。
でも、遺された親の悲しみを考えると心苦しい。
かといって親を悲しませないためだけに色のない余生を過ごすなんて献身的なこと、わたしには出来ない。。
数日間もんもんと考えたのち、ふと、思いました。
「死ぬのはいつでもできるよな。」
…と。
ポジティブなのか、
ネガティブなのか、
正しいとは言えない考えですが、
「とりあえず30歳までは生きてみよう。
30歳になったとき、もう頑張れないと思ったら死のう。
もう少し頑張れそうと思ったら、
今度は33歳まで生きるのを目標にしよう。」
…と。
まさに原点回帰です。
「見える距離にゴールを設定する」
出口の見えないトンネルなら、
見える位置に出口を自分で設定すれば良い、と。
その日から、少しだけ心が軽くなりました。
あれから半年。
そのときには想像もつかなかった、
良いこと、悪いこと、
いろいろありました。
心が軽くなったとはいえ、
今でも日によってポジティブになってみたり、ネガティブになってみたり、
こころが忙しいです。
(2015年秋にお別れしました)