溝口健二が「天才」である理由の一つは、彼が役者の持つ「特性」を 射当てる眼光の鋭さ持つだけだけでなく、その「潜在能力」をも最大限に引き出す能力を兼ね備えていたからだ。
『祇園囃子』(1953年)は、当時、役者として未知数だった「アイドル=若尾文子」を、状況や運命に対して「抵抗する女」を演じる「女優」として定着させたという意味で、先駆的な作品だったといえる。
(※当時の若尾は『十代の性典』(1953年)で人気を博していたが、後年、この映画に出演したことを自身が恥じたように、単なるセックスシンボルでしかなかった。)
増村保造が『妻は告白する』(1961年)以降の作品で明確化した、「男性社会に抗う若尾文子」の原型は、実は『祇園囃子』にあったのだ。
そういう意味で、溝口の弟子である増村は、師の示した道を忠実に歩んだのだといえる。
また、この作品で忘れてならないのが、『お遊さま』(1951年)に始まる大映時代の溝口と切っても切り離せないもう一人の「天才」、撮影監督・宮川一夫の仕事である。
例えば、小暮実千代と若尾文子が演じる芸者が花街に挨拶回りをする場面(※動画参照・英語字幕付)。二人に歩調を合わせて横移動する映像の素晴らしさには瞠目するしかない。
宮川のカメラは二人の芸者と歩調をあわせて、路地の家並みやその格子戸をなめらかに映し取っていく。
この場面で、「おたの申します」と挨拶して回る若尾文子の、少しに鼻にかかった美声の虜にならない観客が何人いるだろうか? そして、今では聞く事がほとんど叶わないカラン、コロン、カラン、コロンと、路地に反響する二人の下駄の音…。
その下駄の音が途絶えるとともに、'50年代に「王国」を築いた溝口映画は邦画界から静かに消えたのだった。
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