皆さんはことあるごとに、「本気出せー」とか、「本気でやれよー」みたいなこと、言われたことがあるかなとおもいます
いまの人間社会の、教育の...癖みたいなものでしょうか?
あとは自分で、「本気でやるぞ」、とか「本気でやらなきゃ」とか、そういう気持ちで物事に臨むこと、あるかなとおもいます
しかし、そこにはちょっとした罠みたいなものがあるよ、というお話
まずそもそも「本気」って何なんでしょうか?
全力を尽くす、ベストを出すこと...ですよね
つまり、これ以上やりようがない、というところまでやること。ってことですかね
ぼくたち、わたしたちは(本質的にはそうであったとしても)、全知全能の存在ではありません
なので今できることと、今できないことが必ずあります
今できることをマックスでやって、今できないことはとりあえず置いておく、それが「本気」ってことでしょう
なんてすばらしい心がけなんだ!
......
しかし、ここに罠があります
「自分が本気を出しているのかどうか、
自分ではわからない」
自分がいま、「本気」なのかどうかがわかるためには、自分の限界を正確に知る必要があります
目の前に「できないこと」があったとして、それが今はできなくても仕方のないことなのか、それともすこし気合を入れればできることなのか
それを判断しなければなりません
ん?それって無理じゃね?
できることがなぜ「できる」のかはなんとなくわかりますけど、できないことがなぜ「できない」のかなんてわかるわけないですよね
っていうか、わからないから「できない」んだし
つまり、「俺は今本気を出してるぞー!」という確信というのは、得ることが「不可能」なんです
それを目指しているかぎり、永遠に迷い続けます
「本気を出さなくちゃ」って思っているとうまくいかないです。これは、経験ある人もいらっしゃるかな?
なぜなら、「本気を出しているという確信」というゲット不可能な目標をずっと追いかけているからです
うまくいくわけないですよね
つまり、「本気」を出すためには、
「本気を出さなくても(出せなくても)いいか」
と、思う必要があります
そういう状態にあるときだけ、「本気」になれます。矛盾ですね、でも真実です
要するに、「許し」です。「許し」とは、全知全能でない自我をそれに近づける特効薬
ここまで読んでいただくとわかってもらえることと思いますが、「本気」っていうのは結構誤解されがちなんですよね
なんか汗水たらして、ゼーゼーいいながら、ぐっとこぶし握って、足を踏ん張って...
そういうものじゃないよ、ってことです
「本気」ってどっちかっていうと「自然体」とかそういう言葉の類義語です
例えばあなたがコンビニに行きたいとします。コンビニに歩いていきます
でもそのときに、「よし、歩くぞ歩くぞ」「今、右足を踏み出すぞ」とか考えないですよね
フツーに歩いていきます
それが「本気」です、そのとき「本気」で歩いてます
つまり、「本気」ってすぐそばにあるんです
あなたが、常日頃から当たり前のように出してるものなんです
はい。いかがだったでしょうか。「本気」を出そうとすると出せない。出そうとしないと出る
面白いですよね
今回の話は、たとえば「やる気が出ない、出る」だとかそういう系のテーマとも結局はつながってくるような、そういう話になってます
この話を別に、無理に理解する必要もありません。よくわからんなー、でもいいんです。だってそれが「本気」だから
そういうカンジで今日も今日とて日々を、楽しく生きていきましょう
「本気」でね(笑)
おわり