今日は1/17

阪神淡路大震災があった日ですね。




2時ころから数時間置きに目が覚めるのは

この日だからかもしれませんね。




私は直接大きく被害をうけておりませんが

あの小学生の寒い朝のことは

鮮明に覚えています。





築60年ほどの離れの2階が部屋で

とりあえず布団にくるまって

『屋根落ちてこないで!』

と祈ったこと。




母屋の裏も崖のきりっぱなしだったとこで

危ないから、

家の前の竹藪前に皆で寒いなーって外に出てたこと





震災直後になった電話

いつもと違う変なピロリロリロって音で

それも後には繋がらなくなったこと




学校はいったけど先生がこれなかったこと





お風呂のタイルに大きなヒビがはいったこと





我が家は竹藪に囲まれており土地が固かったこと

地域の地盤も岩だからこそ、数キロ離れた地域よりも被害が少なかったと父から聞いたこと






断層がずれて

山の水の量が減ったこと

数年後には

ほぼ奥の山を流れてた川がなくなったこと

30年もすると

見事に山が枯れっぽくなり、

走り回って過ごした奥山に生気を感じられないこと







神戸へ遊びにいったとき

サンバレーから長田あたりは新しい建物がおおく

震災で焼けて新しく家が建ったからと

教えてもらったことゆうこと




三宮の海近くの公園は毎年ひとがあつまること




高校生のころルミナリエへいったこと







色々あるんですよね。

時系列バラバラに思うこと順に書いてみました。






神戸に住んでたわけではありませんが

あの時に感じた揺れや

あの頃の報道は覚えてることが多いです。






東日本大震災のときは実家にいて

なんか立ち眩みがして

え?ってなってました。




東日本大震災後

産後間もない姉が実家に戻り

入れ替わりで私は上京

横浜駅のダイエー前は道がボッコボコ

湘南新宿ラインは止まってた記憶があります。







朝ドラの描写がこまかくて。

おむすび、ここで震災と繋げていくんだと予感し

でも少しなんか胸が苦しくなるので

今週は朝ドラみれません。





直接大事な人になにかがあったとか

自宅倒壊になったとかない私でもこの気持ち。





震災に遭われた方々の心中は

他の人がはかれるものではないなと思います。





忘れないようにしないとな、と。

子供にお母さんはこうだったんだよ、

と、伝えれるときに伝えないとな。








元気に生きてることは有り難いこと

生きてるからこそ過ごせる時間があること

子供の成長を見れること






身近な人の言葉は1番覚えれますからね。




守るべきものは命であること

しっかり子供に伝えたいと思います。







御冥福をお祈りいたします。









最後までお読み

いただきありがとうございます。