本日は、祖父母の13回忌、7回忌の法要でした。
その法要の際に、住職様からいただいたリーフレットに書かれていたのが、
生死一如
でした。
これは、お経にある言葉だそうですが、生きるということと、死ぬということは一つだということだそうです。
そのリーフレットにはこう書かれていました。
私達が生きているということは只今である。只今生きているその只今はすぐ過去になる。未来はまだこない。そう思うと只今というのは瞬間ではないか。
その瞬間に生きているということは只今何を行っているか、何をしゃべっているか、何を考えているか、この三つがいきるということである。私達は身口意(しんくい)の三業(さんごう)といっている。その只今のこの人生は自分にとって一生只一度の人生、只一度の只今なのである。その只今を大事に生きねばならぬ。
私達はいつまでも生きているように思う。だがこの命はいつ死ぬかわからぬ命である。明日をも知れぬ命である。だが、そうは思わない。いつまでも生きているように思う。
そして、井上靖氏の「化石」という小説を紹介し、リーフレットの結びにはこう書かれていました。
良寬の「死ぬ時は死ぬが、宜しく候」という言葉がそのまま生死一如の心境ではないか。本当に生きるということが本当に死ぬということなのである。死ぬということは水が流れるように、風が吹くようなものと同じではないだろうか。
日々学び、気づきを大切にしていかなければならないと改めて教えられた法要でした。