★Raison d'amour/yeux[1]
意味のある理由は、いつだって一つしかない。
残る全てに、理由なんてない。
恋愛なんてしたことがなかった。それどころか、まともな人間関係すらほぼ皆無。
中学校という広くて狭い鳥籠にわたしを理解できる人間などいなかったし、そもそもわたしも中途半端に理解した「ふり」をされるくらいなら、いっそこのまま放っておいてくれればよかった。それが、あの「事件」から中学の卒業までに学んだ全て。
小学生の時分から、父子家庭というだけで既に悪目立ちはしていた。授業参観の折に、私一人だけ父親が来る。買い与えられた日用品のデザインが女性的な感性に程遠い。そして、「うちのママがね……」という、この年代に有りがちな会話に溶け込めない。
しかしわたしとて、この程度ならありふれた不幸として過ごしていられた。父親が毎晩遅くまで帰らないことから家事の能力は飛躍的に高くなって、調理実習のときに教師を上回る技術を披露して驚嘆させたのは、数少ない誇れる記憶だ。
事が起きたのは中学一年の夏。そろそろ二次性徴の始まったわたしを、父親は連日にわたりベッドに組み敷いた。「拒絶したらもっと痛いぞ」という、陳腐な脅し文句と共に。
時期が夏休みの直前だったことも災いした。学校の出欠席という健全チェック機能はストップし、もともと家事のために友人と出掛けることも少なかったわたしは常時自宅に監禁されて、救うものはなかった。
代わりに噂は早々に広まった。自宅は防音性に乏しいアパート、小気味良く人肉が叩く音と、それに合わせて漏れ出す喘ぎ声から、隣人は「女を引き摺り込んだ」と思ったらしい。寧ろそう思ってくれていたのなら、わたしの苦労も減ったのに。
その日もわたしは夜通し獣に跨がらされ、朦朧とする意識の彼方で父親がカーテンを閉め直して通勤していくのを感じ取っていた。自宅に監禁されている間のわたしは常に全裸で、後ろ手に結ばれた手錠と足枷。あまりに背徳的なこの姿を近隣住民に晒すはずもなく、部屋は遮光カーテンで隔離されていた。
運命は、この日父親が閉めたカーテンが僅かに開いてしまったこと、そしてわたしが偶然、そのカーテンのすぐ近くに転がされていたことで動くことになる。父子家庭と知れた家に閉めきられた遮光カーテン、それだけならば、家具の日焼けを防ぐなどの理由も考えられただろう。しかしそこに白い女の肌が見えて、しかもそれが満足に動かないのを見た向かいの家の主婦は、早速警察に連絡した。
訪問に来たのが警官だけなら、深夜に帰宅した父親に事情聴取を行い、父親が「娘が風邪で休んでいた」という常套句を返しただけで、特に部屋の中を確認することもなかっただろう。しかし同行した通報者が部屋に漂う性臭に気付いて、それを聞いた警官が「念のため」と任意の捜索を申し出たことで、全てが終わりを迎えた。
未成年者監禁、強制猥褻、強姦、虐待、その他多くの肩書きを授かって父親は即時逮捕。わたしは実に1ヶ月ぶりに解放された。それが8月中旬のこと。
翌日には大々的に報道された。わたしの名前こそ伏せられたものの、居住地、名字、父子家庭といったことは全て電波によって喧伝され、少しでもわたしを知る人物には、わたしが何をされていたか存分に伝わってしまった。
本当の地獄はここから。元々「女を引き摺り込んだ」という噂が蔓延していたことも手伝って、やれ「娘も同意の上だった」だの「稼ぎのために援交もさせていた」だの、そういった尾びれ背びれの付いた言葉だけが広がり…………新学期にわたしを待っていたのは、哀れみ、蔑み、好奇に満ちたかつての級友だった。
今にして思えば、ここで不登校に陥っていたら、もう少し人間を好きでいられたかもしれない。しかし、わたしは律儀に通学し続け、人間不信を強め続けた。一部の女子が「どう接したらいいのかわからない」と素直に言ってくれたことだけが救いだったかもしれない。わたしも、どう接するべきかわからなかったから。
高校に上がったからとて、事態は好転しなかった。わたしを引き取ったのが父方の祖母だったこともあり、わたしの名字は変わることがなかったので、その名字と、父母の不在をあっという間に悟られ、噂が全校に広まるのに時間はかからなかった。
「毎日毎日、ほんとうにご苦労だわ」
上履きを覆い尽くして下駄箱に詰まった歪んだラブコール(主に『1万円でヤらせろ』といった類)を、無意識的にゴミ箱へと運ぶ。入学して3日目に始まったこの習慣は、最早わたしの何を抉るでもない。掃除と言っても差し支えのない作業を繰り返していた。
片手では到底掴みきれないそれを、幾度にも分けて捨てていると、ふと乱雑に掴んだラブコールの中に、薄桃色の封筒があることに気付いた。ドギツいショッキングピンクで卑猥さを演出する輩はいたが、こういった手合いは初めてだ。
事件以来、わたしは他人に期待することがない。そうすることが、わたしを守る唯一の術だったからだ。善意の裏には憐瓶がある。そんなものに依存するくらいなら、孤独を気取っているほうが余程マシだった。それでも……なんとなく、その封筒だけは、気になった。
単に、こんな珍しい趣向を凝らしてまで、どんな罵声をわたしに送ってきたのだろう、という自虐的な好奇心に過ぎなかった。大方ラブレターか何かを模して、わたしの反応を盗み見るものだろうけれど。留めのシールを破らないように開封する。
『綾瀬先輩へ。授業後に、音楽室へ来て頂けませんか? 待ってます。 一年C組 印南早百合』
案の定、呼び出し状のようだ。音楽室ということは、直接わたしを罵りでもしたいのだろうか。それも、教師に漏れ聞こえては不味いような言葉で。
だが、それ以上に気になったのはその署名。確か、入学早々学生会に入ったとかで話題になっていたような気がするのだ。
残る全てに、理由なんてない。
恋愛なんてしたことがなかった。それどころか、まともな人間関係すらほぼ皆無。
中学校という広くて狭い鳥籠にわたしを理解できる人間などいなかったし、そもそもわたしも中途半端に理解した「ふり」をされるくらいなら、いっそこのまま放っておいてくれればよかった。それが、あの「事件」から中学の卒業までに学んだ全て。
小学生の時分から、父子家庭というだけで既に悪目立ちはしていた。授業参観の折に、私一人だけ父親が来る。買い与えられた日用品のデザインが女性的な感性に程遠い。そして、「うちのママがね……」という、この年代に有りがちな会話に溶け込めない。
しかしわたしとて、この程度ならありふれた不幸として過ごしていられた。父親が毎晩遅くまで帰らないことから家事の能力は飛躍的に高くなって、調理実習のときに教師を上回る技術を披露して驚嘆させたのは、数少ない誇れる記憶だ。
事が起きたのは中学一年の夏。そろそろ二次性徴の始まったわたしを、父親は連日にわたりベッドに組み敷いた。「拒絶したらもっと痛いぞ」という、陳腐な脅し文句と共に。
時期が夏休みの直前だったことも災いした。学校の出欠席という健全チェック機能はストップし、もともと家事のために友人と出掛けることも少なかったわたしは常時自宅に監禁されて、救うものはなかった。
代わりに噂は早々に広まった。自宅は防音性に乏しいアパート、小気味良く人肉が叩く音と、それに合わせて漏れ出す喘ぎ声から、隣人は「女を引き摺り込んだ」と思ったらしい。寧ろそう思ってくれていたのなら、わたしの苦労も減ったのに。
その日もわたしは夜通し獣に跨がらされ、朦朧とする意識の彼方で父親がカーテンを閉め直して通勤していくのを感じ取っていた。自宅に監禁されている間のわたしは常に全裸で、後ろ手に結ばれた手錠と足枷。あまりに背徳的なこの姿を近隣住民に晒すはずもなく、部屋は遮光カーテンで隔離されていた。
運命は、この日父親が閉めたカーテンが僅かに開いてしまったこと、そしてわたしが偶然、そのカーテンのすぐ近くに転がされていたことで動くことになる。父子家庭と知れた家に閉めきられた遮光カーテン、それだけならば、家具の日焼けを防ぐなどの理由も考えられただろう。しかしそこに白い女の肌が見えて、しかもそれが満足に動かないのを見た向かいの家の主婦は、早速警察に連絡した。
訪問に来たのが警官だけなら、深夜に帰宅した父親に事情聴取を行い、父親が「娘が風邪で休んでいた」という常套句を返しただけで、特に部屋の中を確認することもなかっただろう。しかし同行した通報者が部屋に漂う性臭に気付いて、それを聞いた警官が「念のため」と任意の捜索を申し出たことで、全てが終わりを迎えた。
未成年者監禁、強制猥褻、強姦、虐待、その他多くの肩書きを授かって父親は即時逮捕。わたしは実に1ヶ月ぶりに解放された。それが8月中旬のこと。
翌日には大々的に報道された。わたしの名前こそ伏せられたものの、居住地、名字、父子家庭といったことは全て電波によって喧伝され、少しでもわたしを知る人物には、わたしが何をされていたか存分に伝わってしまった。
本当の地獄はここから。元々「女を引き摺り込んだ」という噂が蔓延していたことも手伝って、やれ「娘も同意の上だった」だの「稼ぎのために援交もさせていた」だの、そういった尾びれ背びれの付いた言葉だけが広がり…………新学期にわたしを待っていたのは、哀れみ、蔑み、好奇に満ちたかつての級友だった。
今にして思えば、ここで不登校に陥っていたら、もう少し人間を好きでいられたかもしれない。しかし、わたしは律儀に通学し続け、人間不信を強め続けた。一部の女子が「どう接したらいいのかわからない」と素直に言ってくれたことだけが救いだったかもしれない。わたしも、どう接するべきかわからなかったから。
高校に上がったからとて、事態は好転しなかった。わたしを引き取ったのが父方の祖母だったこともあり、わたしの名字は変わることがなかったので、その名字と、父母の不在をあっという間に悟られ、噂が全校に広まるのに時間はかからなかった。
「毎日毎日、ほんとうにご苦労だわ」
上履きを覆い尽くして下駄箱に詰まった歪んだラブコール(主に『1万円でヤらせろ』といった類)を、無意識的にゴミ箱へと運ぶ。入学して3日目に始まったこの習慣は、最早わたしの何を抉るでもない。掃除と言っても差し支えのない作業を繰り返していた。
片手では到底掴みきれないそれを、幾度にも分けて捨てていると、ふと乱雑に掴んだラブコールの中に、薄桃色の封筒があることに気付いた。ドギツいショッキングピンクで卑猥さを演出する輩はいたが、こういった手合いは初めてだ。
事件以来、わたしは他人に期待することがない。そうすることが、わたしを守る唯一の術だったからだ。善意の裏には憐瓶がある。そんなものに依存するくらいなら、孤独を気取っているほうが余程マシだった。それでも……なんとなく、その封筒だけは、気になった。
単に、こんな珍しい趣向を凝らしてまで、どんな罵声をわたしに送ってきたのだろう、という自虐的な好奇心に過ぎなかった。大方ラブレターか何かを模して、わたしの反応を盗み見るものだろうけれど。留めのシールを破らないように開封する。
『綾瀬先輩へ。授業後に、音楽室へ来て頂けませんか? 待ってます。 一年C組 印南早百合』
案の定、呼び出し状のようだ。音楽室ということは、直接わたしを罵りでもしたいのだろうか。それも、教師に漏れ聞こえては不味いような言葉で。
だが、それ以上に気になったのはその署名。確か、入学早々学生会に入ったとかで話題になっていたような気がするのだ。