あれからもう4年ほどの歳月が経つけれど、まさか目の前がすべてブラックアウトして、歩くこともままならなくなるほど、その「彼女」に会うことが衝撃的だとは想像できないほど自分でも驚くばかりである…。
自分が都電荒川線を取材するようになったきっかけは、とあるWEB取材で、荒川線沿線担当になったことがきっかけだった。
ただし、都電荒川線を取材するのではなく、都電荒川線沿線の店々を回って、「インターネットの取材なんですが…」とあいさつして回る。
今でこそ、インターネットは高齢者にも市民権を得てきたが、まだ常時接続なんて上陸以前の話。ましてや高齢者が多く住み、店主がパソコンなんて触ったことがない人ばかりの街で、「インターネットとはなにか?」から説明を始めなければならないのでは、取材させてもらうのは当然ながら無理な話だった。
そうした不毛な取材の日々に嫌気がさし、取材と称しては毎日のように都電に乗って遊び回っていたある日、なにげなく立ち寄った荒川営業所で、私は都電職員と都電の車内に忘れ物をして、わざわざ受け取りに来たおばあちゃんの会話のやりとりを目にする。
都電職員は1セット250円ほどのおばあちゃんが忘れて行ったティッシュセットを手渡しながら「これ、取りに来る交通費の方が高いんじゃない?」と心配し、もう支払ってしまった運賃は返せないけどと前置きして、帰りの切符を手渡したのだった。
その一部始終を見てから、ボクの都電取材は少しずつ熱が入っていくわけだが、先述したインターネットの取材は遅々として進まず、結局、3ヶ月後にはインターネット事業部は縮小を迫られ、その余波で私はほどなくクビになった。
別に悔しくも悲しくもなく、なんとも思わなかった。
それから、都電に対して関心はあったものの、だからといって熱心に都電を撮影に出かけたり、貴重な資料を発掘したり、都電関連の話を聞き歩くなど、都電に情熱を入れてわけでも努力をしたわけでもない。
その後、ふとしたことで一人の女性と出会う。
その「彼女」は都電沿線に生まれ、都電沿線で育ち、都電について詳しく、そしてなによりもとても都電を愛していた。
「彼女」の話を聞いたりしているうちに都電を追いかけた昔が蘇ってきて、少しずつ熱が入ってくる。
いわば、その彼女に導かれるようにして、都電に傾注していったわけだけど、その後、いろいろあって、彼女とも会うことはなくなった。
今日、なにも考えずぼんやりとスーパーで買い物をしていると、前方の女性が驚くような表情をした。
一瞬、なにが起きたかわからなかったのだが、次の瞬間に事態を察知した。
目の前にいたのは、その「彼女」だった。
4年近く会っていなかったけれど、凛とした雰囲気を醸し出し、そして心なしか以前より美しくなっていた。
というか、「かっこよくなっていた」という表現の方が適切かもしれない。
音信不通になってから4年半。
都電を追いかけ続けて丸8年。
そして、ボクと都電との関わりは、都電への情熱はいまだ「彼女」の範囲内にある。
歳月だけが流れた…。
それでも、「彼女」が4年経った今も、ボクのことを覚えてくれていたのは、少し嬉しかった。
「彼女」に出会わなければ、たぶん都電を今でも追いかけつづけていることはなかった。
「彼女」が目の前を通り過ぎても、ボクは後ろも振り返らずにその場でずっと立ちすくんだ。
「ありがとう」も言えずに…。