都電荒川線のことを、ブログに書き続けて一年以上。
読者さんからも「よくそんなにブログで都電のことが書けますね」と言われたり、「都電のことが、本当に好きなんですね」と言われることもたびたびある。
しかし、私なんか到底及びもつかないほどに路面電車を愛した男がいる。
歴史上、路面電車を最も愛していた男と言えば、それは夏目漱石である。
夏目漱石の代表作『坊ちゃん』の主人公は、東京から松山へと英語の教師として赴任する。そのときに漱石を出迎えたのが松山の街を疾駆するマッチ箱のような路面電車だった。
漱石は熊本にも教師として赴任している。当時の熊本に路面電車は走っていないが、漱石と路面電車の走る街とは奇妙な縁でつながっていると言える。
そもそも、漱石は超が無限につくほどの路面電車好きでもあった。
教師を辞めて、東京へと戻ってきた『坊ちゃん』の主人公。
再就職先として選んだのは、東京市街鉄道(街鉄)という路面電車の会社だった。
当時、東京には3社の路面電車が運行しており、中でも街鉄は市街地に大路線網を有していた。
その街鉄で、坊ちゃんは技師として勤務する。(街鉄は後に市電になり、都電になる)
漱石の路面電車好きは、そうした自分が描くほかの小説の中でも随所に現れている。
『吾輩は猫である』の中でも街鉄の株のやりとりをめぐる話が出てくるし、『三四郎』では街中に走る路面電車の難解な路線に主人公を迷わせたりしている。また、『彼岸過迄』では東京市電の姿が描かれ、やはり主人公は複雑な路線系統にしばしば悩まされる。
複雑な市電網を描いた漱石だったが、、『彼岸過迄』の記述内容は誤りだと、後年に立証した学者がいた。この学者・前田愛の指摘は正しく、漱石が誤記していたことは事実だった。
路面電車マニアの漱石でさえ系統を間違えてしまうほど、東京の路面電車は長大で複雑な路線だったのだ。
とはいえ、こうした小説の数々からも読み取れるように、恐らくというか確実に、これまでの歴史上で路面電車を愛したのは夏目漱石と言っても過言ではなさそうである。