まだサンシャイン60が建つ前、巣鴨プリズンだった頃の話。  昭和30年代まで、都民の足は都電だった。  つまり、都電が走っている土地は、昔は繁華街や住宅街だったという証拠でもある。    池袋には都電の終点があるだけの東京の片隅だった。対して、現在はあまりぱっとしていない大塚は2系統の都電が交差する繁華街だったのである。  現在、東池袋四丁目の電停は、昭和30年代まで日出町二丁目という名前の電停だった。  このあたり一帯は、今や東池袋となっているが、当時は日出町という町名だった。  池袋と名前がつく都電の電停は1つしかなかったが、日出町は日出町二丁目と日出町三丁目があった。  東池袋-向原の都電の線路の東側に、小さな小さな商店街がある。  そこは、すでになくなってしまった日出町の名前を受け継ぐ商店街として、細々と生き続けている。   日ノ出町