神明町車庫に保存されている都電貨物車については、以前にもこのブログでも紹介した。
自動車輸送が発達した今には信じられないことだが、昭和初期までは都内の交通も流通も都電が担っていたのだ。
今日の一葉は、築地の電停標。
右側の行き先に築地二丁目という文字が見えるが、左側の行き先が消されている。
この電停標は、昭和30年代まで残っていた築地市場内への輸送に用いられていた貨物線の電停標ではなかと思われる。
築地市場は、今も昔も東京の台所機能を担ってきた。
特に戦前と終戦直後の配給時代は、築地市場から各市場支部に物資を送るのに、都電の貨物車が活躍した。
当時の築地市場が、どれほど都民の胃袋を担っていたかについて知るには、当時の築地市場の物資を輸送するべく都電だけではなくて、鉄道線が引かれていることからも窺い知ることができる。その物資輸送の栄華を称えるものは、今や鉄道線の踏切がポツンと名残をとどめるのみである。