朝からごめんなさい。
哀しい話がいやな方は読まないでください。
神奈川県の、虐待の被害にあっていた中学生の自死。
またしても、大人によって子どもの命が奪われました。
しかも、「助けてほしい」と具体的にSOSを出していたのに。
「助けて」と訴えている子どもを救えない国なのか・・と、日本の現状から目を背けたくなります。
20年ほど前の日本国内は、今以上に「児童虐待」や「子どもの人権」の認識が低い国でした。
そういう状況で、私は自分の家庭内で起きていることや自分が受けている言葉や行為が、客観的に視て間違ったことであるとは知らずに過ごしていました。
ですから、誰かに「助けてほしい」と言ったことはありませんでした。
けれどやはり心身には影響が出て、小学生時には自律神経失調症と小児科で診断されました。
小児科に行くと頻繁に「入院したい」と自分からお医者さんにせがむので、お医者さんや看護師さんからは「変わった子」だと言われました。
当時は、自分でもなぜ「入院したい」と願うのか、きちんと説明できませんでしたが、振り返ってみるとそれは、私なりの「助けてほしい」「看病してほしい(=攻撃されたくない)」というSOSだったのだと思います。
虐待をする親すべてには当てはまりませんが、私の両親の場合は、決して悪意のかたまりから、私に暴力を振るったり暴言をぶつけたりしたわけではありません。その方法しか分からなかった、それが正しい躾だと思い込んでいた、そして当時は彼ら自身が心を病んでいたように思います。
けれどその行為によって、子どもの心身もまた病んでいきます。
児相にも実は行ったことが(記憶にある限りでは)一度あります。
けれど当時の私は、あれが「虐待」だと知らなかったし、親自身も分かっていませんでした。
ですからもちろん「助けてほしい」とは言いませんでした。そこにいる方々に子どもを助ける力があるとも、その時は思いませんでした。
私は今年で30歳になります。
幼少期~高校生までの間、家での時間は本当に苦しく、「終わりにしてしまいたい」と何百回も思いました。
自分のことや、自分を苦しめる存在を終わりにしてしまおうと思ったことが、あります。けれど決してそれはしなかった。
いま、関係が改善され、自分の心身も健康になり、本当に「あのとき」実行しなくて良かったと心から思っています。
全ての親子に当てはまるわけではありませんが、壊れた関係も、修復する可能性は確かにあるのです。
私は、自身の経験から、辛い目にあっている子どもたちに、自活できるようになるまでどうにか生き延びてほしい、と切望しています。
自活さえできれば、攻撃される環境から逃げることもできます。
そして物理的に距離を置くことで、改善のきっかけがつかめることもあるのです。
けれど子どもは逃げられない。自活できない子どもを守るのは大人の役割です。
親が出来ないのであれば他の大人が守らなくてはいけない。
声をあげられずに苦しんでいる子どももたくさんいます。
「助けて」と発信すること自体にも、とてもエネルギーが要るのです。
疲弊しきっている中で、力を振り絞って、大人に対して「助けてほしい」と訴えた子どもがどうして死ななくてはならないのか。
なぜ「助けて」と言ってくる子どもさえ助けられないのでしょう。
児相の責任は、償いようのない大きなものです。ですが、児相だけの責任でもありません。
一人の大人として、何が出来るのか、考え続けたいと思います。