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ふらにすと

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先日3歳になったお孫ちゃん。今年も大好きなアンパンマンのケーキを作ってもらって大喜び。
ママの後輩のお父さんがやっているケーキ屋さんは、見た目の素晴らしさだけじゃなく、味のほうもとってもよくて大満足。ママと分けっこして食べるくらいだろう、と4つに切り分けたら、しっかり自分の分を主張されて、仕方なく夫と私は1つを更に半分にして食べた。どうせ残すだろうと期待していたのに、次の日に持ち越したものの完食されてしまった。来年は5つに切らなくちゃ。

 今年はオリンピックの年だから、大学時代のクラス会が開かれることになっていて、私は出る気満々だった。北海道の友達に出した年賀状にも「今年は行く予定」とたくさん書いた。両親も高齢になってきたから、元気なうちに会いに行く機会を増やさなくては・・・。と、都合のいい理由をつけていた。

 昨日届いたメールはクラス会のご案内だった。

 なんで!

 何と6月16日に開催という。どうしてその日・・・!お盆前後か秋かと思っていたのに。ちょうど長崎に行くツアーに申し込んだばかりだった。

 さだまつりの全国ツアー初日長崎公演に行くことを決めたのは、つい最近。さださんの40周年記念コンサートだというのに、申込期間を過ぎてから気がついたものだから、大阪でのコンサートは一般販売で買うしかなくなっていた。前夜後夜と2日連続のものだから、ゆっくりと観たかったし、夫が退職して時間の余裕ができたこともあって、まさしんぐワールドの長崎ツアーに参加しようということにした。締め切りギリギリになっての申し込みだった。大学の時に友人4人で訪れた長崎。あれから30年。すごく楽しみだった。

 残念だけど、クラス会は諦めよう。北海道に行くのはまた考えよう。今日は去年亡くなったゆみさんの誕生日。彼女は私たちと一緒に時を重ねていく。そして、さださんを大好きだったY先生は、6月16日の日中は札幌でみんなと過ごし、夜には私と一緒にコンサートを楽しむことだろう。満足そうなお顔を思い出しながら、先生の分もコンサートを楽しまなくちゃ。
 今日はゆみさんの1周忌。癌と戦い続けた彼女の苦しさも怖さもほとんどわかってあげられなかった、そんな焦燥感を持ちながらこの1年過ごしてきた。身近な人の若すぎる死もいくつかあったなかで、そろそろ老いの恐怖がじわりじわりと近づいてきたのを感じる。まだまだ体は思いどうりに動いている今、何も気にすることはないのだけれど、親たちの姿を見ていても、自分の行く末が見えてくる。あたりまえのことではあるけれど、頭の片隅に少なからず意識している自分に驚く自分がいる。こんなことは以前はなかった。漠然とした将来でしかなかった。

 夫がこの3月退職した。今は溜まっていた年休を消費していいはずなのに、他の人たちが大変だから、と仕事を続けている。「私パソコンできません!」と言いきって、「できることがあったら言ってください」と調子のいいことを言いながら出てこない人がいる中、責任感からやっている。仕事に必要なら時間をかけてでもできるようにするのが当たり前なのに。一般の企業では通用しないことが教員の世界ではまだ甘えていられるのが不思議。


 月々にお給料が振り込まれ、ボーナスがあった生活はもう終わる。今までできなかったことを楽しもうと前向きに考えながらも、どうなることやら、と不安も感じる。まぁ、なんとかなるようにしかならないわけだし、老後が始まることを受け止めなくては。