「魂が成長するとはどういうことですか?」と

ご質問がありました。




私達は、成長する為に

魂が決めて来ている計画書に沿って

魂が望んだことを経験しています。



だから、起きたことに

後悔も罪悪感もいりません。





自分の因果の解消の為に

(自己を浄めてキレイになる為に)

起こっていることなのに

それを罰だと思うのは、

何の罪もない神様に

あらぬ疑いをかけていることです。




自分自身の過去世の因果(魂の宿題)で

物事が起こっているのに

神様やご先祖様のせいにするのは

違うような気がします。




また、そのような思考は、

事象が起こって

せっかく因果が消えていこうとしているのに、

また新たな因果を積んでしまうかもしれません。





魂の成長とは

そのネガティブな出来事と

同じ次元にいないことだと思います。



それに囚われ過ぎて、

同じ次元で闘わないことです。


高い視点で見る努力をすることだと思います。




私も油断すると、

つい病気と同じ低い次元(気持ち)に

なってしまいます。




この話をするのは、誤解を招く恐れがありますが、

私の知人で余命半年だと宣告された人がいます。

その人はそこから

残りの人生を楽しもうと

家族と旅行に行ったり、趣味を満喫して、

10年過ぎた今もお元気そうです。



この人は医師なので、

身体に対する知識や知恵があり

また、カルマの影響(善いカルマが多かった?)

など様々な要因があると思います。



ただ、スピリチュアル的に一つ言えることは、

日々を楽しんで

病気と同じ次元にいないのは確かだと思います。



気持ちの上での次元の話なので、

身体を酷使するとか

無理をするのを肯定するのでは

決してありませんので、

どうか誤解しないでください。





魂の成長とは、

今までより高い視点を持って、

起きた出来事を

眺めてみるということだと思います。




私にもとても難しいのですが、

起きた出来事を

自己中心的なエゴの視点ではなく、

俯瞰して、神的な視点で見る努力をしようと

思っています。




成長するには、

出来事から

何を学び

何に気づいて

何を修正しなければならないのかを

追及してゆくことが必要だと思っています。





起きていることは、

自分の内側を映す鏡でしかありません。

ここがまだ磨かれていませんよーと

相手が、事象が、

見せてくれます。




鏡に映るものを綺麗にするには、

自分の内側をキレイに整えていくしかないです。




次元を上げていきましょう♪






本日もお読みいただき、ありがとうございます。