前回の記事に言葉が大切だと書きました。 


そのブログを読まれた色々な方のお話をお聞きして、

私の中から出た言葉であっても

受け取る人の

聞きたい言葉に変わってしまうこともあると

学びました。



だからこそ、

自分の言葉にも執着しないでいようと思います。



簡単な言葉では語り尽くせない思いは、

私の中にとてもたくさんあります。

拙い私の言葉が

誰かの希望になれば嬉しいです。



私は脳出血で、臨死体験(?)をしたあとから

それにまつわるような本を読み、

ブログを読み、

動画を見たり、

オンラインセミナーを受けたり、

そして、僧侶の方と

たまたま知り合って、

時折お会いして

お話を聞かせていただいています。



この僧侶の方との会話の中に

いつもとても深い気づきがあります。



仏教のことや真理等、

たくさん学ばせていただいています。



そして、新しい気づきを得るのは

とても楽しいです。



こうやって、

病気をしてから今までの

8年間のさまざまな流れがあって、

今の私の考えに至っています。



だから、一朝一夕に誰かの考えが変わるとも

思っていません。


同じ片麻痺で辛い体験をされている方達は、

勇気のある高いスピリット(魂)の方達だと

思いますので、

救わなければならない弱い人達でもありません。




ただ、楽になる道があることを知らなければ、

残念な事もあるのです。


許可をいただいて、一例を挙げます。

私と一緒に自費のスペシャルなリハビリを

受けられていた方の話です。


毎回治療のたびに、少しずつ回復されて

私の眼には

順調に治療が進んでいるように見えました。


何より優しいお姉様がいて、

高い治療費も

かなり負担してくださっていました。


安心して、流れに乗って行けば良い状況でした。



でも、ご本人様は、とても自分に厳しく、

不安や心配も強く、

激しい訓練で、自分を痛めつけようとされて、

別の道に行かれました。



自分にも他にも、まず愛が一番大事なんだと

分かっていないと、

よく世間で言われる 

病気をしたことが罰だとか、罪だとか

罪悪感だとかの

間違った感情に縛られ、

たとえ、治療が上手くいっていても長続きせずに

正しい方向に向かわないんだと

つくづく考えさせられました。



魂を磨く為に、神様の愛によって、

または、深い真理の宇宙のシステムとして

この状況があるとの

別の視点が少しでもあれば、

突然プツンと

上手くいっていた治療を

やめることはなかったのではと

思うのです。



これが、

リハビリとスピリチュアリティ(精神性)を

私が一緒に語る理由です。




自分を責めて苦しまれている方が

スピリチュアル的な情報も得て、

楽になる方がいればいいなと思います。




ただ、知らない(忘れている)からこそ、

今世の人生をしっかりと演じ切り、

魂を向上させるとの考え方もありますので、

特別な霊的な力がある訳でもない私が

伝えても良いのかという葛藤はあります。




その一方で、

色々な情報がすぐに伝わるこの時代では、

誰でも気軽に発信していいのかなとも

思ったりします。

結論はなかなか出ないのですが、同じ片麻痺等で

苦しんでいる方達には、

ぜひ私の言葉が届いて欲しいです。



今日もお読みいただきありがとうございます。