静岡県の冤罪事件の歴史

 袴田事件が発生した静岡県は冤罪の多い県として有名です。戦後、静岡県内で発生し、いったんは死刑、無期懲役判決が言い渡されたものの、上級審や再審によって一転無罪となった事件が4件あります(幸浦事件、二俣事件、小島事件、島田事件)。また、裁判所によって無罪は認められなかったものの冤罪事件であるといわれている丸正事件も静岡県で起きた事件です。

 

【幸浦事件】

 昭和23年11月29日頃、静岡県磐田郡幸浦村(現在の浅羽町)の一家4人が姿を消すという事件が起きました。強盗殺人事件として捜査がはじまりましたが、2か月しても何も見つからず遺体すら見つかりませんでした。翌年の2月12日に警察は窃盗の容疑で村内に住むAさん(当時23歳)、Bさん(当時19歳)を逮捕し、取調べを行いました。警察は取調べの際に、身の潔白を主張するAさんらに対し、殴るけるの暴行を加え、その上、焼け火ばしを体に当てるなどの拷問を行いました。その結果、Aさんは犯行を自供してしまいました。その後、Cさんが二人の共犯として逮捕され、また、Dさん(当時37歳)が盗品を買ったとして逮捕されました。

 公判において、4人は一貫して無実であること、警察の拷問によってデッチあげられたことを訴え続けました。しかし、一審の静岡地裁浜松支部は4人を有罪とし、AさんBさんCさんに対して死刑を言い渡しました。二審の東京高裁も控訴を棄却したところ、最高裁は二審の判決を破棄し、差し戻す判決を下しました。そして、差し戻された東京高裁は全員に対して無罪を言い渡し、昭和38年7月9日最高裁は検察官の上告を棄却し無罪が確定しました。

 

【二俣事件】

 昭和25年1月7日、静岡県磐田郡二俣町(現在の天竜市)の民家で一家7人のうち4人が殺される事件が発生しました。捜査は難航しましたが、2月23日警察は、Eさん(当時18歳)を別件の窃盗容疑で逮捕し、本件の4人殺しについて取調べを行いました。逮捕後5日目にEさんは4人殺しを自供しました。しかし、この自供は拷問によるものであったことが、後に警察官の証言から明らかになりました。取調べは警察署の裏の土蔵の中で行われ、Eさんは刑事2、3人に囲まれ顔や頭を殴ったり、鼻の穴に指を入れて引きずり回すなどの暴行を受けました。そして、Eさんは取調べの恐ろしさからうその自白をしてしまったのです。

 公判において、Eさんは自分は4人を殺していないこと、拷問によって自白させられたことを訴えました。そして、現職の巡査が証人として出廷してEさんが土蔵での拷問によって自白させられたことを証言しました。しかし、一審の静岡地裁浜松支部はEさんに死刑を言い渡しました。二審の東京高裁も控訴を棄却したところ、最高裁は二審判決を破棄し差し戻す判決を下しました。差し戻された静岡地裁は、Eさんに対して無罪を言い渡し、昭和33年1月9日無罪が確定しました。

 

【小島事件】

 昭和25年5月10日、静岡県庵原郡小島村(現在の清水市)の民家で女性がオノで頭を殴り殺され現金が盗まれる事件が発生しました。6月17日警察は松永さんを窃盗の容疑で逮捕し、取調べを行いました。警察は、松永さんに対して暴行などの拷問を行いました。松永さんは取調べの苦しみからのがれたい一心で犯行を自白してしまいました。

 公判で松永さんは無実を主張しましたが、一審の静岡地裁は無期懲役を言い渡し、二審の東京高裁は控訴を棄却しました。しかし、最高裁は「取調べに無理があったと考えざるをえない」として、東京高裁に差し戻しました。昭和34年12月2日東京高裁は無罪を言い渡し、12月16日無罪が確定しました。

 

【島田事件】

 昭和29年3月10日静岡県島田市で6歳の幼稚園に通う女の子が行方不明になる事件が発生しました。付近の捜索もむなしく3月13日に女の子は遺体で発見されました。警察は強姦殺人事件として捜査を開始し、5月28日に赤堀政夫さん(当時25歳)を別件の窃盗容疑で逮捕しました。逮捕されて2日後の5月30日に、赤堀さんの自白調書が取られました。

 公判で、赤堀さんは事件当日にはアリバイがあること、自白は捜査官によって無理やりさせられたことなどを主張し無実であることを訴えました。しかし、一審の静岡地裁は、赤堀さんの訴えを聞き入れず強姦致傷、殺人により死刑を言い渡しました。二審東京高裁は控訴を棄却し、最高裁も上告を棄却して昭和36年1月26日、死刑判決が確定しました。

 死刑確定後も赤堀さんは獄中から無実を訴え再審を請求しました。第一次、第二次、第三次再審請求は棄却されましたが、第4次再審請求において、静岡地裁は再審を開始する決定をしました。そして、平成元年1月31日静岡地裁は無罪判決を言い渡し、無罪が確定しました。

 

※※証拠の捏造※※

 これらの事件は、いずれも捜査機関による、見込み捜査、強引な取調べによる虚偽自白、自白と客観的証拠のつじつま合わせ等によってもたらされた冤罪です。これらは、当時の静岡県の警察の体質によるものが大きいと思われます。すなわち、当時(昭和20年代から30年代)の静岡県の警察は科学的捜査を軽視し、戦前型のとにかくあやしいものを逮捕して自白させるという捜査手法を取っていたのです。そして、これらの事件においては、捜査機関による証拠の捏造があったのではないかと疑われています。

 幸浦事件では、自白によって初めて被害者の遺体が発見されたとされていましたが、実際は自白以前に捜査機関は遺体の場所を知っていたのです。にもかかわらず、捜査機関は自白には真犯人にしか知り得ない秘密の暴露が含まれていることを示すために事実をねじ曲げたのです。

 二俣事件では、被害者宅の時計のガラスふたがなかったことが自白によって初めて明らかになったことが秘密の暴露になり被告人を有罪とする根拠の一つとされていました。しかし、警察、検察は被害者宅を事件直後に検証しており、その時に時計にガラスふたがないことは明らかであったはずです。最高裁も「捜査官が右硝子のなかったことを被告人の自白により初めて知ったということは極めて疑しいといわなければならない。」といっています。つまり、捜査機関は意図的に自白に秘密の暴露があることを示すための偽装工作を行っていたのです。

 小島事件では、被害者の後頭部にオノの峰打ち傷がある事実が自白によって初めて明らかになったとされていました。しかし、犯行翌日に行われた解剖には捜査員が立ち会っており鈍器によるとみられる傷が後頭部にあることが確認されていることから、自白によって初めて後頭部に峰打ち傷があることを確認したというのは明らかに無理があります。ここでも捜査機関による意図的な秘密の暴露工作がみてとれます。

 島田事件では、犯行の凶器が石であることが自白によって初めて明らかになり、自白によって石が発見されたことが有罪の決め手の一つとされていました。しかし、証拠として提出された石で被害者の体が殴打されたか否かは不明であると再審無罪判決は指摘しています。つまり、自白によって初めて明らかになった凶器の石がはたして本当に凶器であったかは疑しいと裁判所は判断したのです。もし石が凶器でないとしたら警察は証拠を捏造したということになります。

 このように静岡における冤罪事件では捜査機関による証拠の捏造が強く疑われています。 袴田弁護団は五点の衣類は捜査機関による捏造であることを主張していますが、このような袴田事件の起こる十数年前の静岡の捜査機関の実績をみれば、あながち希有な主張でないことがわかると思います。

 

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 弁護士 戸舘 圭之 Yoshiyuki Todate/Attorney at Law

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