助手のみなさんとボウリング
演劇学科の助手のみなさんのお陰で昨年も学科研究室の運営がスムーズにいくことができた。その一年間の労をねぎらうために昨年の暮に助手のみなさんと慰労会を約束していたが、慰労会前日に北京から帰国し体調を崩してしまった。助手のみなさんが心配して日程を1月8日にあらためてくれて、ボウリング+新年会を行うことにした。当日は午前中より学部の教職員新年会が京王プラザホテルで行われたので、その後新宿ミラノボウリング場で合流しボウリングを楽しんだ。組み合わせはA・Bレーンを選ぶあみだくじ。結果は、AレーンがW君、Sさん、Tさん、そして私、BレーンにはMoさん、Nさん、Mu君となり、3ゲームトータル(但し女性には1ゲームにつき30ポイントのハンディー)で順位を決めることにした。みんな投球になると真剣にピンに向かいあう。ガーターがでるたびにため息、ストライクやスペアがとれるとハイタッチしながら喜びを分かちあう、みんな愉快な仲間たちだ。ボウリングが空前のブームとなったのは1960年代後半から1970年代前半まで国民的スポーツとして広まった。女子プロ第一号の中山律子やボーリングブームを切り開いた須田開代子・矢島純一などプロボウラーが活躍し、ボウリングのテレビ番組などが数多くあって一躍お茶の間の人気者となった。当時、私も刺激されて大学の友人M氏とともに明治神宮にあるボウリング場によく通った。コンスタントにアベレージが170前後出せるようになった頃、私の後輩が「六本木にあるピザハウス「ニコラス」が主催するボウリング大会に一緒に参加しないか」と声をかけてくれた。毎週水曜日夜9時から三人一組となって3人の3ゲームトータルで3ヶ月間争う大会で、優勝者には豪華な「ニコラス杯」が授与される。私のノルマは1ゲーム最低170をアップすることが目標であったが、私は1ゲームアベレージ160前半でみんなの足を引っ張る結果となってしまった。今回のボウリングは5年ぶりになろうか。今までは14ポンド(約6.3kg)の球を使っていたが68歳を過ぎた自分には重たいのではと不安に思ったがやはり使い慣れた重さを選んでプレーをした。1ゲーム・2ゲームは投球のリズムや球をリリースするタイミングがうまくあわなくてスペアがなかなかとれなくて100点台とさんざんなスコアー。3ゲーム目は最低150と自分に言い聞かせて望んだところ1~3フレームまでストライクが続くターキースタート、その後2フレームは力んだせいか投球が乱れてしまったが後はスペアが続き172点をマーク、なんとか面目をほどこすことができた。助手のみなさんも久しぶりのボウリングで100点を超えたのはTさんが115をマークした1ゲームだけ。私たちの時代と違って経済的にもまた時間的な余裕もなくボウリングをする機会に恵まれていないのだろう。近くの居酒屋ダイニングで乾杯し、ボウリングが上達できるよう練習を重ねてあらためて2月にボウリング大会を行うことを誓いあった。ボウリングの結果は:上位から私(380)、Tさん(343)、Moさん(277)、Sさん(276)、Nさん・Mu君(262)、W君(210)。 *( )内は3ゲームトータル,女性は3ゲーム90のハンデキャップを含む。
写真:愉快な助手のみなさん、 <2011.1.9記>