コラム | 戸田和幸オフィシャルブログ「KAZUYUKI TODA」Powered by Ameba

コラム

   少し前にGOAL.COMにて書かせてもらったコラムです。


  せっかく書いたので出来るだけ多くの人に読んでみてもらいたいのでブログにも転載させてもらいます。



    一つの考え方として受け取ってもらえればと思います。


  それではどうぞ。




「あっという間に駆け抜けたワールドカップが終わり気がつけばすっかり日常に戻りました。



皆さん普段通りの生活に戻った中で週末にはプレイをしたり国内外問わず色々な試合を見たりと変わらずサッカーを楽しんでいると思いますが今回のワールドカップを経て皆さん自身の中で、または皆さんの周りでの「サッカー」に何か変化はありましたか?


 例えば周りにサッカーを始めた人が子供大人問わずたくさんいる、自分自身Jリーグを観る際の見方が変わった、子供のサッカーによりのめり込むようになった・・・など色々変わった事があるかもしれません。


サッカーは日常の中で人と人とを繋ぐ役割を果たしそれだけで楽しくまた熱くなれるものです。


どうぞサッカーを通じてたくさんの人と知り合い、熱くプレイし語り合う中で多くの仲間を作っていってもらいたいと思います。



また親子の会話のツールとしてもサッカーの果たせる役割は大きいのではないかと感じています。


 今よりもっともっとサッカーが人々の生活に入り込んでいくように、全国各地域でサッカーがより親しまれ人々が繋がりコミュニティが形成されていってくれたらと願っています。




ワールドカップ以降の僕自身についてはというと今年に入ってから解説業を始めさせてもらい、その流れもあってワールドカップ期間中にたくさんテレビに出させてもらったわけですが、「赤モヒカンの荒れくれ者」だった奴が随分まともに話が出来るじゃないかと少々話題になったようで。



テレビの持つ影響力の大きさを痛感しました。



今年に入り新しい人生を始めたばかりの新参者ですが真っ赤な頭をした「荒れくれ者」はところどころ暴れながらも自分なりに一生懸命人とサッカーに向き合ってきましたというものをこれから少しずつ少しずつ見せていけたらいいなと考えています。



人は皆「イメージ」というものを背負っていてある意味そこに縛られて生きていると思います、物に対しても場所や民族に対しても何に対してもです。




テレビでCMが流れ好感度の高いタレントさんを起用しその商品を売り込んでいく。



そもそも好感度自体も「イメージ」なんでしょうけども、そんなイメージというものは至る所で我々の生活に影響力を発揮していると思います。





ですので誰もが見るような大きな舞台で、誰もしないような髪型をしその上でギリギリのプレイをする、これだけでもうイメージは決まったようなものです。



 普通ではないですからねどう見たって、頭のネジがいくつか外れていると思われても仕方がないのです。




実際外れていたネジはあったのでしょうが、僕個人としては外したネジがあったからこそ選手として出来た事があったのだろうしこれからの人生においては外れたネジはしっかり付けなおしつつより逞しく生きて行けばいいだけの事だと思います。



今まで作り作られたイメージが自分にとってどんな意味と影響を持つのか、よく考えながら仕事をし人と接しています。



引退してからの数ヶ月の間も色々な土地に行きサッカー教室をさせてもらったりしてきていますが、まだサッカーをした事のない子もたくさんいますしJのクラブが近隣にない土地の場合はサッカー選手に会ったり見たりするのが初めてというケースもあります。



僕は既に選手ではありませんがサッカー選手だった1人の人間としてサッカーの楽しさを出来る限り伝えてあげたい、そしてプロ選手を目指すだけのサッカーではなくサッカーを楽しむ人が増えていけるように。


サッカーに親しみ楽しむ人がどれだけ増えていけるかにサッカーが文化となれるかどうかは掛かっていると思いますし子供達が自分を表現しチャレンジしていく心、協調性などを育んでいけるようになるためにもサッカーの持つ力というものは殊更に大きいと思っています。



サッカーは非常に自由度の高いスポーツ、局面局面においてボールを持つ人間が主導権を握る事が出来ます。



 その中で自分自身で見て考えて選んで判断を下し実行してみる、してみたものの結果に対してまた反省しながら工夫を重ねてまたチャレンジしていく。


同じ事の繰り返しがないサッカーだからこそ、常に頭を使って状況を観察しながら限られた時間の中で自分で決断を下していく訓練が出来ます。

大人になって社会に出て生きていく為に必要な力をサッカーは全て与えてくれるのです。


サッカーは足でボールを扱う難しいスポーツだからこそ失敗は当たり前に起こります、当たり前に起こるからこそひとつの失敗を大きなものと捉えずに積極的にチャレンジしていく事が出来るのです。


  子供達にとってはプロになる為に練習や試合をするだけがサッカーではありませんしそうある必要もないと考えています。



全ての子供がそこを目指してサッカーをしなくてはならないわけではないのです。




大人が目の前の勝負に拘り過ぎる事なく子供達に楽しむ気持ちを持たせてあげる事で積極的にチャレンジしていく姿勢を引き出してあげれると思いますし先に書いたような事をサッカーを通じて子供達に身に付けさせていく為にも問われるのは我々大人の子供達に対する考え方と接し方にかかっていると思います。


僕も仕事の合間という不定期な形ではありますが小学生をみています。



書いているほど簡単な事ではない事は指導している身として十分分かっていますがとはいえ小学生の試合会場にてイスに踏ん反り返って一生懸命プレイする子供達にああだこうだと命令をしている方は度々見ますし、プレイひとつひとつ全部ああしろこうしろと答えを出してしまう方も目にします。


上手くたって上手くなくたってサッカーが好きで何か表現したいという気持ちは皆一緒です。



だから結果としての失敗をただ咎めたりチャレンジ出来なくなるほど厳しい指摘をしたり、子供達が自分達で考えたり気がつくための時間を持つ前に答えを出してしまうような事は自分もしないように気をつけていますし目にしない事を願っています。



子供がコーチの顔色を伺いながらプレイする姿は見たくありませんし選手が見るべきなのは味方であり相手でありスペースですから。


サッカーをすると子供がのびのびしていく、自主性が身に付くし人とのコミュニケーションも上手になる、自分で考えて行動出来るようになる。


こんな風になっていくと大人も子どももみんなで楽しむことが出来るサッカーがより広まっていくのではないでしょうか。


日本サッカーの未来は育成年代にかかっているのという事は間違いありませんが、競技としてのサッカーだけでない楽しめるサッカーも大切に考えていくことが日本サッカーの裾野を広げ文化となっていく為に必要なことではないかと思っています。


こういった事を僕が考えているというのもイメージとは違うのかもしれませんね。





これからも行く先々で皆さんにお会いする事を楽しみにしながらひとつひとつの仕事に打ち込んでいきます。



それでは。」
















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