4年後に向けて
ドイツの優勝で幕を下ろしたブラジルワールドカップ。
決勝戦をNHKのスタジオにてウィークリーハイライトに出演した後残ってスタジオ解説で出演された森島さん・早野さんと一緒に見させてもらいました。
決勝戦後間もなく静岡SBS放送さんの韓国ロケの仕事で飛ばなくてはならなかったので延長戦に入るタイミングで泣く泣くスタジオを後に。
マリオ・ゲッツェの決勝ゴールをリアルタイムで見る事が出来なかったというオチはつきましたが、世界一を決める最後の闘いを手に汗握りながら見させてもらいました。
試合の方はと言うと、アルゼンチンが素晴らしい闘いぶりを前半見せてくれこちら大いに盛り上がりました。
DF4枚MF4枚で構成した2ラインのブロックが非常に固く、ドイツはワールドカップ決勝戦という独特の緊張感があったであろう動きの固さに加えケディラが怪我で先発出来ず急遽出場する事になったクラマーも頭部を激しく打った事により前半半ばでのシュールレ投入というアクシデントもあり。
流れは完全にアルゼンチン、イグアインの決定的なシュートやメッシの強烈な突破からのチャンスも。
これはアルゼンチンあるぞと。
しかし。
後半頭から何故か前半素晴らしい活躍を見せていたラベッシを下げ、アグエロを投入し3トップに。
スタジオで観戦していた僕は「なんでだ⁇」頭を抱えました。
ここでは実際のデータやスタッツは置いておいて。
ああいったものは試合が終わった後に振り返る時必要なものだと思いますがリアルタイムで闘っている人間達にどの選手がどのくらいというデータは届いているとは思えないので。
ベンチから眺めていて感じる手応え、肌感覚での手応えが非常に強かったと思われる前半を終え。
サベージャ監督これはいけるぞと。
チャンスはたくさん作れているしドイツには上手くサッカーが出来ない焦りがあると。
アグエロをここで投入しより攻撃的にすれば一気に畳み掛けれるぞと踏んだのではないのか。
ラベッシの交替についてはモウリーニョ監督も試合後にコメントを残していましたね。
それくらいアルゼンチンが敷いた4と4の2ラインのブロックは固く、特に中盤の4人は素晴らしい働きを見せていました。
マスケラーノのいる中央は絶対に通させない、そしてサイドも簡単には縦には行かせない。
この試合、残念ながら僕の大好きな大好きなディマリアは出場することが出来ませんでたがそれでも替わりに出場したペレス(ポルトガルリーグのMVPです)とこの日特に出色のパフォーマンスを見せたラベッシが本当に献身的に走り続けドイツに隙を一切与えず。
そして奪ったボールはマスケラーノ中心に動かしながら、そこでもラベッシです。
ラベッシが中盤にて背中向きにドイツの選手を背負った状態からでも2人くらいは平気でぶち抜いていくドリブルで前にボールを運んでいく。
ナポリ時代から凄い選手だなと思っていましたが、今回のワールドカップでも本当に走る走る。
まずはそのスピードが素晴らしく、またドリブルをどれだけしても落ちないスタミナとぶれない技術。
ディマリアさんは更にその上に創造性を加えて決定的な仕事をする現代サッカーにおける理想的な選手と呼べるスーパースターの1人ですが、このラベッシも含めアルゼンチン選手の「個」の能力の凄まじさ、1人で状況を打開していく力の凄さというものを改めて痛感した今回のワールドカップでした。
アルゼンチンの固い守備とそこからのドリブルを中心とした強烈な攻めへの警戒心もあり、なかなか思い切って侵入していくスペースを見つけられないドイツはクロースが大きなサイドチェンジなど駆使して変化をつけようと工夫をしましたが前半は完全にアルゼンチンの試合。
メキシコとオランダ戦でのメキシコも同様にでしたが、あれだけ圧倒出来た前半のうちに一つもしくは二つゴールを決めれていれば・・。
ということになるのだと思います。
メッシという存在を最大限活用するための理想の形を模索し続けたアルゼンチンが最高のパフォーマンスを見せれたのがあの45分だったのではないか。
オランダがあれだけ後ろに人数を置きリスクを負わずに闘った理由がよく分かる前半でした。
しかし、結果論にはなってしまいますがあの交代で試合の主導権は完全にドイツに渡してしまい自分達の最大の強みも出す事が出来ない展開になってしまいました。
前線を3人にしたのは良かったもののその3人がドイツのDFにプレッシャーをかけないので、前半は4人いた中盤が3人に減ったアルゼンチンは左右に振られながらも遅らせるディフェンスは出来ても前半のように「奪いに行く」ディフェンスが出来なくなり。
ボールが奪えなければいくら前線に世界トップクラスのFWを3人置いていてもこれは宝の持ち腐れです。
前半と比較したら劇的にアルゼンチンが攻撃する場面は減ってしまいました。
プラス、中盤の位置から独力で相手をぶち抜いてボールを前線に力強く運んでいたラベッシの存在がなくなった分、たとえボールを奪えてもそこから前線へとボールを運び繋げる選手がいなくなった事も影響し前線の3人が良い状態でドイツゴールに向かえるシーンはほとんどありませんでした。
後半立ち上がりにメッシが1度抜け出してシュートを打った場面くらいじゃないですかね、確かにメッシであれば決めなくてはならない、決めて欲しい場面でしたがそこにはノイアーが。
実際、ノイアーがいるゴールマウスはどれだけ小さく見えるのだろう。
あまりにも圧倒的なパフォーマンス、僕はノイアーこそが大会MVPに選ばれるべきだったと思っています。
ドイツ代表が今大会において見せた、トップレベルの個を持ちながらもそこに「走る」という事を見事に組み込んだサッカー。
少ないタッチでのポゼッションからひとつのボールに関わる人数が瞬間的に多くなり、相手は連なったドイツの選手達の動きに一歩・半歩遅れる中で最後にボールが渡った選手はフリーな状況下で仕上げの仕事が出来る。
ブラジルとの試合ではそんなシーンが非常に目立ちましたし攻撃のスイッチというものをピッチのどこからでも、または誰からでも入れる事が出来るチームであったと思います。
時にはクロースのサイドチェンジやインタセプトから、時にはノイアーのロングフィードから、時にはシュールレの爆発的なスプリントから。
メキシコやチリも同様な要素は持っていたしフランスもあのドイツを相手に恐らくは90分通して1番苦しめたチームだと思いますが、ドリブル・パス・ランニング・ディフェンス、最も高いレベルで様々な局面から一気に相手を崩していくスイッチを入れる事が出来たチームがドイツだったと思います。
サッカーはより上手くより賢くよりタフな選手とチームが頂点に立つスポーツです、状況と相手をよく見た上で次の一手を打つことが出来るかどうか。
そういう意味では今回のワールドカップを通じて「自分達のサッカー」というフレーズがマスコミ各社にて報道にてされていましたが、勝負事には相手がいますので若干の違和感は拭えませんでした。
日本が敗退した事はとても残念で悔しい事でしたが、そこには相手がいるのです。
コートジボワール・ギリシャ・そしてコロンビア。
この3つの国を見た時にこのグループなら「いける」と思った人や報道された媒体が非常に多かった印象がありますが、何故そう思えたのでしょうか?
ブラジル・スペイン・ドイツなどの大国が入っていないグループではありましたが。
随分楽観的な見通しが多かったように今更ながら思います。
番組のインタビューですからそう言わざるを得ないところもあるでしょうが、トルシエさんも「100%グループリーグは突破出来るよ」と仰られていました。
人間は必ず老いて死ぬという事くらいしか世の中の物事に100%はあり得ませんから、そこはトルシエさんもう少し違う言い方はなかったのかなぁとは弟子としては思ってしまいました。
僕はブログにも書かせてもらいましたしメディアのインタビューでも「厄介なグループに入った」と出しましたがそういう論調はあまり見かけなかったように感じました。
全体の雰囲気として日本は強い、優勝も狙えるという報道と雰囲気があった事は否定出来ないと思います。
もちろんそれをメディアを通して発言してきた選手達もいての事でしょうが、その発言を受けてそのままそれに乗っかる形での情報発信の方が多かったように思います。
もちろんどの国にも優勝出来る可能性はありますし、日本がもっと良い闘いが出来たはずだという思いと悔しさも個人的には持っています。
がしかし、ワールドカップにてひとつ勝つ事の難しさ大変さ、その過酷な過酷な闘いを7回繰り返した先にようやくにして手にする事が出来る「世界一」という称号は文字通り想像を絶するものだと思います。
日本も世界に出て活躍出来る選手が増えましたが、同じように他の国々にもいわゆる「国外組」はたくさんいるのがグローバル化した今の世界のサッカーの現実で。
隣の韓国にもたくさん優秀な選手が外に出て頑張っていますし、例えば今大会にて大躍進を遂げたコスタリカにもルイスやキャンベル、そしてリーガでは既に指折りのGKだったナバスがいました。
どの国にも国外組はたくさんいて、またの言い方をすればヨーロッパの各リーグでプレイしている選手は全て日本で言われている「国外組」と呼べるわけですから、国外組が増えたという事で日本だけが強くなりましたとは実は言えないのが今の世界のサッカーだと考えています。
世界の中での日本という視点を持たないとそういったやや偏った形での情報の発信になり必要以上に期待が高まりそれがプレッシャーになってしまうという側面もあるのではないかと感じています。
僕も現役を退き有難い事に各メディアにて愛するサッカーに携わる仕事をさせてもらえるようになりました。
それぞれの仕事に対する姿勢・求められているものはしっかり理解した上で選手やクラブ、サポーターそしてスポンサーにリスペクトの気持ちを正しく持った上で正しく物事を発信していく義務があると強く感じています。
その場が出来るだけ楽しくあるように、もしくは自分が何かの火種になるようなリスクを負いたくないという姿勢になってしまえばサッカーを正しく伝えていく、世界の中での日本という視点をなくしてしまいかねないと思っています。
言葉には十分気をつけていきます、それでも時には失敗をして問題になってしまうかもしれませんが、日本サッカーが歩みを止めずまだまだ遠くにある世界の頂きに向かって一歩一歩着実に歩んでいけるように微力すぎる微力ではありますが自分に与えられた仕事・役割を果たしていきたいと今大会通じて感じさせてもらいました。
自分が発信する言葉にはこれまでと変わらず自分なりの最善の準備と覚悟を持ってこれからもやっていきたいと思っていますし、それがプロのサッカー選手として18年間、実にたいした事のないキャリアにはなってしまいましたがその時間の中で様々経験し見てきた1人のサッカー人として果たすべき責任だと強く認識しています。
すでにサッカーが大好きな人にも、まだそんなに関心がない人にもそれぞれの方達にサッカーの魅力・素晴らしさが伝えられるような仕事と働きかけが出来るように努力し続けたいと思っています。