いろいろ | 戸田和幸オフィシャルブログ「KAZUYUKI TODA」Powered by Ameba

いろいろ

どうもこんばんわ。

今夜は浅くひろーく話が展開される予感がしてます。

 

 今日ビックリしたのがたまにこのブログをどれくらいの

人が読んでくれてんのかなーとアクセス数をチェックするん

だけど昨日になって急に増えてて。

何かあったかなーと、なーんにもしてないのに何で急に

増えたかなと。いつもの3倍弱だったのでちょっとビックリ。

たくさんの人に読んでもらった方が俺としては嬉しいので

これはいい驚きでした。しかしそろそろこの「長さ」が売りの

ブログの良さが浸透してきたか・・・・・とは思ってません(笑)。


 まあ大事なのは自分がどれだけ誠実に行動してそれを

どれだけの人が理解してくれるか、なのでまずは自分がこの

ブログ含めしっかりとしたものを表現することですから。


 こつこつやっていきます、サッカーと同様に。


それが少しでも多くの人に支持されたり喜んでもらえたらいいなと。


それから深井くんのブログで「寂しがり屋」の俺がコメントを

送ってきたと(笑)ぜんっぜん寂しくなんかないですよ俺は!!


メールも送ったのに返信来ねえなー、なんだ面倒くさがられ

ちゃったかと思ってたらあいつのブログで「出れなくてすみません」

って。俺が見るの前提じゃんかよと(笑)俺に返信しなさいよショック!


 それから大橋君に先日会えなかったので彼のブログにメッセージを

残したんですがそれも取りあげてもらってしまってチョキ

せっかくだから繋がりを持ちたくてつい送ってしまいました。

いろんな人のブログに侵入するのが趣味になってしまったりして(笑)

大橋君からはこちらに丁寧に返事をもらいました。

会ったことないからきっと怖い奴だと思われているでしょうに。

わざわざありがとう。次は深井くんもよろしくねグッド!


 後はなにかなあ。

あっ部分合流だけど一応今日練習に入ってみました。

まだフルでは動いてないので毎日すこしずつ上げていこうと思います。

何事も急とか急いでとかでやると精度は落ちるしアクシデントも

付き物なので。怪我の場合も少しずつ戻していかないとまた痛めて

しまいますからね、ゆっくりゆっくりと。誰に何を言われても動じないぞ。


 さて質問行きましょう。最近こんな流れが出来てきました・・・

 

はじめまして!
エスパ時代からずっと戸田さんに憧れてボランチやってます。
そして、何度か退場処分も喰らいました(笑)

今は 足の裏の筋肉が潰れて走れない状態なんです…

戸田さんは怪我した時とか モチベーションを保つために

なにしてましたか?

いまマジで腐ってます…

アドバイス下さい。

初めまして。ケガ大丈夫ですか?戸田選手に質問です。
桐蔭サッカー部時代の思い出を教えてください。松田先生との

思い出も聞きたいです。昔オフ期間に自主トレいらっしゃってましたよね。

イングランド行く前でしたかね?


可愛い後輩から頂きました、ただ誰かは分かりませんが(笑)


桐蔭サッカー部の思い出・・・・とりあえず2年間は暗黒の時代でした。

何をやっても上手くいかないし監督がとにかく・・・厳しかったです。

誤解があると監督をされていた李さんに申し訳がたたないのできちんと

説明しますが俺が一番困ったのはきちんと「考えること」でした。


社会に出てから、大人になってからどんなことにも対応できるように、

サッカーしかできない人間になるなといろんな話をしてもらいました。

どんな内容だったかは正直憶えてないんですけど(笑)すみません。


 サッカーについても「判断力」、これですね高校時代に叩き込まれた

一番のことは。それまではもう感性というか感覚でしかやってきて

なかったんで、「なんで今そこにパスした?」「なんでドリブルをした?」

と全てに対してきちんと考えてプレイしなさいと、またプレイの仕方を

教わりました。


 もう全然分からなくてね、練習行くの嫌で仕方なかったし。

高校の監督さんっていうのはみなさん人間教育も兼ねてされてるので

本当に大変だと思いますが、こちらも相当に大変でした(笑)。


一度「お前もうサッカー諦めろ!俺が言うことは絶対に当たるから

もう諦めろ!!」って2年の時に練習をストップされてみんなの前で

言われたことがあります。もうほんと辞めようかと悩みました。

それもきっと俺の「なにくそ」という気持ちを出させるための仕掛け

だったんだろうけどその時はそんなこと考える余裕もないし。

「俺の言うことは絶対に当たる」なんて監督に言われちゃったら

どうしていいか分からないし。泣きはしなかったけどきつかったね

あの時代は。

 

 その時の経験が俺を間違いなく強くしてくれたので感謝しています。

だから変な話ですけどトルシエさんなんか全然怖くなかったですよ。

なんでみんなビビってるのかなーって思ってました。


 でも俺がトルシエと喧嘩したとか何したというのは全部嘘です。

「俺はあなたが嫌いだ」なんていうわけないでしょ(笑)。

そういう作り話をして楽しい人がいるだけの話です。


さ、話を戻して。

残念ながら松田先生とはそんなに関わりを持てなかったので。いつも

にこにこしてらっしゃるので「こんな人が監督だったらよかったなー」

とは思ってましたけど(笑)。


 俺の高校時代は本当に苦しかった。3年生になるまで試合に

出れなかったし。でも諦めきれなかったんです「プロ」になることを。


毎日神様にお祈りして気がするしそれしかないんでやりたいことが。

本当に死活問題だったわけです、大学に行った方がいいと3年の

夏に言われたんですが「チャンスがあるならプロでやりたい」と

言いました。

 親の更なる負担を強いて4年間サッカーをするのは俺には

どうしても出来なかったし一か八かで行けるのなら後は

しがみついてでも食らいついてでもやってみようと思ってました。


 高校生ってみんなそれぞれが人生の行く方向性をある程度は

決める時期になると思うんですが俺の場合はもう中学の時から

決めちゃってたんで。勉強も止めてしまったし、これは褒められたこと

ではないんだけど自分自身に対して覚悟を決めたわけです。

「お前にはもう他に行く道はないよ」と。だから中学2年までは俺

偏差値65はあったんですけど中3になったら50まで落ちました。


高校になったら学力テストで学年で下から5番!!くらいになって。

1700人くらいいたんでさすがにその時はビビりましたけど。


 俺は自分を本当に凡人だと思ってるし思ってたので何か人とは

違う覚悟とか考え方をしないとなりたいものにはたどり着けないと

若いながらに考えていたのでそんなめちゃくちゃなことになって

しまいました。


 どうかこれからの人たちは真似しないようにしてください。


なんかいい話にならなくてごめんなさい。


でも人生にはそんな難しい時期もある必要がある気がするし

そういう経験があってそれまでより強い気持ちを持てるようになり

サッカー選手としても大きく成長できたので今は良かったと思ってます。


同期に大宮の小林慶行・新潟の内田潤がいますが、

共にJリーグで頑張ってます。

彼らは大学を経てプロになりましたが大学を経てもああいう上質な

選手が産まれるんだということを立派に証明しています。


 俺とは違う歩みですが素晴らしい歩み方だしまだまだ頑張って

くれるでしょう。俺も負けじと頑張ります。


 ということで今日はこれで終了と。

最後は寂しがり屋なわけがないこの私の元気いっぱいの写真を

見てもらって終わりにしたいと思います。


 俺本当にぜんっぜん元気ですから(笑)


それではまた。おやすみなさい。



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