さて、今回からは新シリーズ、科学者とその時代、という事で執筆を進めていこうと思います。


今回のシリーズでは、科学革命以降の各時代のもっとも著名な科学者をピックアップし、その科学者の実績、更には生きた時代背景(及び同時代の科学者)を紹介しようと考えています。


しかし、その前に、まずは科学革命以降の科学史を概観していこうと思います。


16世紀 科学革命の始まり


科学革命は、16世紀初頭にポーランドの科学者、Nicolaus Copernicus (1473~1543)が唱えた地動説によって幕を開けました。

彼は、当時のキリスト教の教えであったClaudius Ptolemaeus (一世紀~二世紀のアレクサンドリア在住のギリシャ系ローマ人天文学・数学者)の天動説を否定し、地球が太陽の周りをまわっているという地動説を発表して、中世のキリスト教的な世界観に対して打撃を与えたのでした。

地動説は当然キリスト教勢力から異端視され、長くその支持者には弾圧が加えられました。

地動説を支持し、無限宇宙説を唱えたイタリアの修道士、Giordano Bruno (1548~1600)は処刑され、

落体の法則・振り子の等時性・望遠鏡制作・月のクレーターや木星の衛星発見などの実績を残し、光速の測定を試みたことでも知られるイタリアの科学者、Galileo Galilei (1564~1642)も、裁判によって地動説支持の自説撤回を強要されました。


しかし、地動説によって、科学的知識におけるキリスト教の権威は失墜し、新しい科学への流れが生まれてきました(この時期の科学は、自然哲学とも言われます…哲学者が科学のフィールドに積極的に関与しており、まだ近代科学として確立してはいなかったからです)。


科学革命は、天文学…当時の世界観を変えるところから、はじまったのです(パラダイムシフトとも呼ばれます)。


ちなみに、このころの科学の実績として他に顕著なものは、William Gilbert (1544~1603)による地磁気の発見でしょう。

当時磁石が北を向くのは北極星の磁気のせいと考えられていたのを、これまたひっくり返したわけで、こちらも一つのパラダイムシフトといえるかもしれません。


17世紀 科学革命の全盛と大成


地動説が発表された当初は、惑星は太陽の周りを円運動すると考えられていました。これは、伝統的な考え方として、天体の運動はきれいな円運動であるはずだというものがあったからです。

(天動説でも、全ての天体運動は円運動として説明されました。基本的な軌道円と、軌道円を中心として動く周転円との組み合わせで説明されたのです)

しかし、そのような円(正円)運動の考え方では、実際の惑星の運航はうまく説明できませんでした。そこで発想を転換し、近代地動説を大成したのが、ドイツの天文学者、Johannes Kepler (1571~1630)でした。

彼は、惑星運行に関して、ケプラーの三法則と呼ばれる法則を1619年に発表しました。


第一法則:惑星は太陽を焦点の一つとする楕円軌道を描いて運動する

第二法則面積速度一定の法則(任意の瞬間で、太陽と惑星との距離と速度との積は一定)

第三法則公転周期の二乗を軌道長半径の三乗で割った商は一定


これらの法則自体は正しかったのですが、導出には問題がありました。

第二法則に関しては、楕円の面積計算法を知らない状態で強引に導出されたものであり、

第三法則は、彼が計算の結果経験則として見出したもので、どうしてそうなるのかの理論的な説明がまだついていなかったからです。

しかし、それらの説明の仕事は、古典力学の登場を待たなければなりませんでした。


さて、天文学から始まった科学革命の流れは、物理(力学)や数学、更には生物学に波及していきました。


フランスの哲学者René Descartes (1596~1650)によるデカルト座標の設定と機械論的自然観の確立は、近代科学の基本的な方法論の方向性を決定づけました。


更に、フランスの数学・科学・哲学者Blaise Pascal (1623~1662)によるパスカルの原理(流体の外部に及ぼす圧力は流体と接するどの部分でも一定)、イギリスの科学者Robert Hooke (1635~1703)によるフックの法則顕微鏡制作・コルク内における「細胞」(細胞壁)の発見

オランダの科学者Christiaan Huygens (1629~1695)による土星の輪の環状性の発見光の波動説ホイヘンスの原理(波の伝播は、波面各店から広がる円形素波の重ね合わせで表される)・エーテル説(光波や力の媒体として仮想された物質、現在では否定)、

イギリスの科学者Robert Boyle (1627~1691)によるボイルの法則(気体の体積は圧力に反比例する)、同じくイギリスの医師William Harvey (1578~1657)による血液循環説

更には、イタリアの数学・科学者Evangelista Torricelli (1608~1647)によるトリチェリの真空の発見(ただし、厳密には真空とは呼べない)

など、多くの実績が挙げられたのもこの時期です。


しかし、この数多くの実績の中でも最も顕著なものが、科学革命の一つの大成となった、微積分法の発見と、古典力学の成立でしょう。


近代微積分の考えを発見したのは、イギリスの数学・科学者Issac Newton (1643~1727)と、ドイツの数学・哲学者Gottfried Leibniz(1646~1716)の二人でした。

二人はそれぞれ独立に微積分を発見・確立したのですが、当時はどちらが先にこれを発見したか(先取権)に関して激しい論争が起こりました。

(どちらが先に発見したのかは、今も実はクリアではありません。ただ、それぞれが独立に発見したのは事実であるようです)


現在の微積分学で用いられるdxなどの記号は、多くはLeibnizの案によるものです。

これは、微積分に関しての出版がLeibnizの方が先だったこと、及び、記号に関してはLeibnizの方が極めて充実した体系を作っていたことが理由として考えられます。


一方、古典力学の成立は、Newtonの手によるものです。彼は、ニュートンの三法則


第一法則慣性の法則…物体の運動状態は力を加えない限り不変

第二法則運動方程式ma=F(m:質量、a:加速度、F:力)

第三法則作用・反作用の法則…ある物体Aに物体Bからの力Fが働いているとき、物体Bは物体Aから-Fの力を受ける。


を発見し、更には万有引力の法則の発見によって、ケプラーの三法則の理論化にも成功しました。


これによって近代物理学への道が開け、いよいよ近代科学は自然哲学から分岐していくことになったのです。


ただ、近代科学を開いた彼自身のことを見ますと、光の粒子説を唱えてHuygensと衝突したり、錬金術師としての活動もしていたり、とまだ完全な近代科学者とは言えない側面もありました。


つまり、まだこの時代は近代科学・自然哲学と中世的思想とが混交していた境界的な時代だったわけです。


18世紀 数学・解析学と化学などの新たな科学分野の発展


さて、この時代の力学方面での実績は、17世紀に登場した微積分と古典力学の二つを結合する、解析力学の流れと言ってよいでしょう。

数学でも、微積分を基にした解析学が著しい発展を遂げました。


それらの流れの中で実績を上げたのが、フランスの数学・科学者Joseph-Louis Lagrange (1736~1813)(ラグランジュ力学・最小作用の原理)、

スイスの数学・物理学者Leonhard Euler (1707~1783)(剛体に関するオイラーの運動方程式、関数・力の定義、オイラーの公式など)、

フランスの数学・天体力学者Pierre-Simon Laplace (1749~1827)(ラプラシアンの導入、ラプラス変換、天体力学の創始)などです。


また、この時期には、16~17世紀に賭け事の考察を基礎に始まった確率論も発達を遂げています。Thomas Bayes (1702~1761)によるベイズの定理が発見されたのもこの時期です。

確率論・統計論は、19世紀以降の科学で重要になっていきます。


しかし、科学革命が一通り大成してしまい、まだ古典的な近代科学が上手くいっていたこの時代は、パラダイムシフトのような目覚ましい出来事はありませんでした。


生物学での大きな発展は、スウェーデンの生物学者Carl von Linné (1707~1778)による二名法生物分類の創始でしょう。

ヒトをHomo sapiensと命名したのも彼です。


さて、18世紀の後半から、新たな科学の発達が見られるようになってきます。


その一つは、イギリスの医者Edward Jenner (1749~1823)の創始した種痘法などに見られる、近代医学誕生の動き、もう一つが、フランスの科学者Charles-Augustin de Coulomb (1736~1806)によるクーロンの法則の発見に始まる電磁気学誕生の動きです。

しかし、これらのうねりはむしろ19世紀に大きくなった分野と言うべきでしょう。


それに対し、18世紀後半から目覚ましい発展を遂げるようになったのが、化学、及び既存の科学の成果を応用した科学的技術の分野です。


科学的技術は、所謂産業革命として、この時期から爆発的な発展を見せます。

その端緒になったのが、イギリスの技師Thomas Newcomen (1663~1729)が開発し、James Watt (1736~1819)が改良した蒸気機関の実用化でした。

最初に蒸気機関が実用化されたのは紡績業などの軽工業のフィールドでしたが、19世紀に入ると、蒸気機関車や蒸気船などの交通機関の発達ももたらされていきました。


また、化学では、水素・酸素・窒素などの気体を始めとする物質の発見が相次ぎ、フランスの科学者Antoine-Laurent Lavoisier (1743~1794)による燃素説の否定・質量保存則の発見によって、錬金術から脱却した近代化学の基礎が形成されました。


19世紀 電磁気学・熱力学・化学の発展、進化論などの登場と、古典力学の行き詰まり


19世紀に入って大きく発展を遂げた分野の一つが、熱力学でした。産業革命の主役である蒸気機関(熱機関)に関する考察を加える必要性から発達していきます。

ドイツの医者・科学者、Julius Mayer (1814~1878)による熱力学第一法則(熱力学的なエネルギー保存則)の発見、

ドイツの物理学者Rudolf Clausius (1822~1888)らによる熱力学第二法則の発見(熱効率100%の熱機関は存在しない・エントロピー非減少の法則)、

イギリスの物理学者James Joule (1818~1889)によるジュールの法則(電流と発熱量の関係)・熱と仕事の等価性の発見などが主な実績として上げられます。

更に、気体に関する考察も進みました。17世紀に発見されたボイルの法則と、18世紀に発見されたシャルルの法則とを結び付けたボイル=シャルルの法則の確立、更にその定式化である理想気体の状態方程式の成立、

そして個々の気体分子の運動に注目したオーストリアの物理学者Ludwig Boltzman (1844~1906)による統計力学の創始などがこの時期の実績として挙げられます。

シャルルの法則から予言された、気体体積が0になる温度を0度とする、絶対温度(ケルビン温度)が定義されたのもこの時期です。


また、電磁気学も大きく発展しました。

1800年にイタリアの物理学者Alessandro Volta (1745~1827)によるボルタ電池化学電池)が発明されたことで動電流を得るのが容易になり、動電流に関する考察が進みました。

その結果、ドイツの物理学者Georg Ohm (1789~1854)によるオームの法則と、その一般化であるGustav Kirchhoff (1824~1887)によるキルヒホフの電流測・電圧則が発見されました。

また、電流の本質が電子であることが、Joseph Thomson (1856~1940)による真空放電の観測から発見されました。


また、デンマークの物理学者Hans Ørsted (1777~1851)による電流まわりの磁場の発見によって、電流と磁場との関係を考察する動きが一気に加速し、

ビオ=サバールの法則(磁場の大きさの定式化)、アンペールの法則(磁場の向き・大きさの定式化)、

イギリスの科学・物理学者Michael Faraday (1791~1867)による電磁誘導の発見と定式化(ファラデーの電磁誘導の法則)などの成果が次々と挙げられていきました。

Faradayはさらに、力線の概念(磁力線などの「力線」です)を提唱し、反磁性物質を発見するなど、この分野で数多くの実績を上げています。


さて、この電気と磁気との関連性の考察の動きをまとめ上げたのが、James Clerk Maxwell (1831~1879)によって導かれた、マクスウェル方程式と呼ばれる電場と磁束密度に関する四つの関係式でした。

このマクスウェル方程式によって予言されたのが、電場と磁場の相互誘導の繰り返しで進む波、電磁波でした。
電磁波は光速と同じ速さで、しかもマクスウェル方程式によるとその速さは基準によらず一定という事になる…これは、古典論的な相対速度の考え方ではありえない現象でした。

(古典論では、例えば光速cと同じ方向に速度vで動く基準から見れば、見かけの光速はc-vになるはずであります)

この電磁波の存在はドイツの物理学者Heinrich Hertz (1857~1894)によって確認され、19世紀物理学の未解決問題となり、次の世紀の相対論への道を開いていくこととなりました。


電磁波()に関する考察は、別の方面からも進みました。

17世紀に議論の対象になっていた光の粒子説と波動説に関しては、イギリスのThomas Young (1773~1829)による干渉実験(光の干渉の確認)によって、波動説が正しかったということで一応の決着がつきます。

また、Galileiが失敗した光速の測定に関しても、19世紀には、フランスのArmand-Hippolyte-Louis Fizeau (1819~1896)の測定により、ほぼ現在の測定値に近い値が得られました(だから電磁波の速度が光速に等しいと分かったわけです)。

しかし、同じ19世紀のうちに、波動説が成立すると仮定した場合に矛盾する現象が発見されました。光電効果と呼ばれる効果です。

これも未解決問題の一つとなり、次の世紀の量子論への道を開く一つの端緒となりました。


18世紀からの解析力学の流れは、アイルランドの数学・物理学者William Hamilton (1805~1865)による正準方程式によって完成を見ました。

が、このように、19世紀後半には古典力学では解決できない様々な未解決問題が発見され、古典力学は行き詰まりを見せ始めていました。


19世紀には、化学も大きな発展を遂げました。

イギリスのJohn Dalton (1766~1844)による原子説、イタリアのAmedo Avogadro (1776~1856)による分子説など、化学の基本的な概念が出揃い、新物質・元素(希ガス類・ベンゼンなど)の発見が相次ぎ、

Faradayによって電気分解の法則が定式化され、更には、スウェーデンの化学者Svante Arrhenius (1859~1927)による電離説の提唱など、化学反応や化学現象の理論化が進みました。

また、化学物質を実際の産業に応用し始めたのもこの頃です。化学染料アリザリン・アニリンなど)・化学医薬品サリチル酸など)の発明・人工合成もこの頃から始まりました。

(化学工業の発達を産業革命の第二波(第二次産業革命)とする考えもあります)


しかし、やはり19世紀科学史の中で外せないのが、生物学の分野での目覚ましい発展でしょう。

当時、生物学はキリスト教的世界観(創造説など)が残っていたという意味では、科学革命の最後のフロンティアでした。

ドイツのMathias Schleiden (1804~1881)やTheodor Schwann (1810~1882)による細胞説(生きている生物は全て細胞から構成されるという仮説)、フランスのLouis Pasteur (1822~1895)の白鳥の首フラスコ実験による自然発生説の否定、ドイツの医者Robert Koch (1843~1910)による近代細菌学の確立・結核菌・コレラ菌をはじめとする病原細菌の発見などはこの時期の顕著な実績の一つです。


しかし、それ以上に大きな影響を与えたのが、進化論遺伝学の登場でした。

遺伝学の方は、オーストリアの司祭Gregor Mendel (1822~1884)が、進化論の否定を試みたことを動機として(今では遺伝は進化論に組み込まれているので、これは皮肉な話ですが…司祭、つまり宗教者としての立場からはそうなる訳です)、

対立形質の遺伝・発現に関するメンデルの法則を発見したことによって創始されました。

(しかしこの業績は、1900年に複数の科学者に再発見されるまで忘れられていました。しかもその発見者の一人、オランダのHugo de Vries (1848~1935)は突然変異説を唱えたバリバリの進化学者でした)


では、彼が否定しようとした進化論はどのようにして生まれたのでしょうか?

進化論を最初に唱えたのは、フランスのJean-Baptiste Lamarck (1744~1829)でした。彼は、「キリンは首を長くしようとして頑張ったから長い首を持つようになった」と言った、獲得形質の遺伝を前提とした進化論を唱えました。

これは進化という考えを指摘した点で先駆的でしたが、現在では否定されています獲得形質は遺伝しないからです)。

近代の進化論を創始したのは、イギリスのCharles Darwin (1809~1882)とされていますが、同じ着想は同じくイギリスのAlfred Wallace (1823~1913)によっても考えつかれていました(そのため学会に出された論文は二人の共著でした)。

彼らが唱えたのが、自然選択という考え方でした。適応度の相対的に高い個体ほど生き残り、その形質が遺伝することで進化が起こる、という訳です。

この考え方は、現代の進化学でも最も基本的な考え方の一つに挙げられています。


進化の帰結として、ヒトも何かから進化してきた、ということになります。これが、キリスト教的な「ヒトはヒトとして創造された」という創造説と真っ向から対立し、生命の起源に関してパラダイムシフトを起こしたわけです。

(生命の起源に関してはいくつか仮説がありますが、現在でも未解決問題です。ただ、この時だけは生命は何らかの理由で自然発生した可能性が高いようです。つまり、自然発生に関しての現代的解釈は、現在の状況で自然発生は起こらない、ということになります)


19世紀科学史に関して、もう一つだけ触れておきたい分野があります。放射線と放射性物質の発見です。

この分野は、1895年にドイツの物理学者Wilhelm Röntgen (1845~1923)がX線を発見したことが契機となり、19世紀末以降急激に発展しました。

フランスのHenri Becquerel (1852~1908)によってウラン鉱からの放射線が発見され、その一部が電子線(ベータ線)であることも確認されました。

また、同じくフランスのCurie夫妻(夫Pierre 1859~1906、妻Marie 1867~1934)は、放射性元素としてポロニウム・ラジウムを発見し、その単離にも成功しました。また、放射線にα(ヘリウム原子核)、β(電子)、γ(電磁波)の三種があることを発見したのも彼らでした。

彼らの発見は、素粒子物理学・核物理学へとつながっていくことになります。そしてこれらの物理も、相対論・量子論なしでは説明されないものになっていきます。


このように、19世紀は、古典力学のパラダイムが行き詰まるような現象が次々と発見され、生物学では進化論のような革新が起こり、現代科学への道が開ける土壌が作られた時代だったのです。


----------


長くなりましたので、今回はここで一旦切ります。

(概観と言ってもかなり膨らんでしまいました…全人類の蓄積した知識の大海を無理に一滴にまとめようとしたのですから、仕方のないことかもしれません)

次の記事では、20世紀から現代にいたる道のりを概観しようと思います。


執筆者:青生享水(開成ボーイ


東大生ブログランキング

ポチッと押してください。皆様の一票が我々の知名度と情報発信力を高め、知識共有という我々の目的の後押しとなってくれます。ご協力お願いします。